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issue 28 「小さな道に明かりを灯す日。 『小径のノエル』 を終えて。 」 by ivy

『道(径)』という言葉の意味を考える。

物理的にも、概念的にも、ヒトの暮らしや営みと切り離せない存在だ。あなたが仕事へ向かうとき、家に帰るとき、今会いたい誰かを尋ねるとき、そこには道がある。数ある中から選ぶ以上、その瞬間、他の道を歩くことはできない。

これは道、を人生の生き方や進み方に置き換えてもいえる。あなたが生きる道は、交わらない道がたくさんあるし、違う道へすぐにはたどり着けない。

下北沢で冬至と夏至の年2回、行われる『小径のノエル』というイベントを手伝っていて、ふと感じた。

『小径のノエル』は今年で11回目を数える、下北沢のローカルなお祭りだ。下北の街をキャンドルで照らす夜。キャンドルを制作するアーティストも、運営もすべて有志が集まって、小さな明かりを灯していく。

キャンドルが照らすのは、下北沢にあるスモールショップ、個人商店が中心。いつもなら素通りしてしまうような裏通りや、目立たない店にも、道行く人が足を止める。

小さな店や道は、いつも通う人の日々、道筋の中にある一方で、その道にいない人には通りがかっても見えない存在だ。

下北沢の学生時代から古着やレコード、ライブを求めて彷徨った道に、気づかなかった場所がたくさんある。そういう場所に集う人も、たとえ目と鼻の先ですれ違っていても、交わらない。

そういう場所にキャンドルを並べる『小径のノエル』当日、小さな人だかりができて、全く見ず知らずの人同士、会話に花が咲く。見えなかった、交わらなかった道を照らす明かりは、街に生きる人々の営み・道筋へと導く光になる。

『小径のノエル』を手伝うようになったのは、学生時代、クリスマスにイルミネーションではない乙なデートスポットを探していて、偶然知った。そこで足を踏み入れたのがキャンドルで照らされたカウンターカルチャー専門古書店、気流舎。お客が3人も入ったら超満員の、小屋みたいな空間なのに、吹き抜けとロフトがある、天井まで高い本棚が伸びている、奇妙な異空間。ガチガチに緊張しながら、ぎこちなく飲み物を飲んでいたけれど、本のラインナップや店内の会話、店番の佇まい … だんだん気になることが溢れてきて、店の人と話し込んで。翌年には、『小径のノエル』スタッフに回っていたんだ。

看板も目立たないし、下北沢のメインストリートからほんの少し横道に逸れるから、知らなかったらなかなか足を踏み入れなかった気がする。

そこに集まる人それぞれ、日々巡らせた思考や葛藤を、言葉にする人もいれば作品にする人もいて、どこからともなく色々な人が集まってくる場所だ。

私も丁度去年、人生のことや日々のことに悩み、心身ともに疲弊していた時期があったけれど。時折足を運んでは語り、分かち合える場だった。

学生の頃、何度も目の前を素通りしている場所で、まさかこれほどまでに気が休まるとは思わなかった。

道を歩いていて、目的地を見失ったり、道が塞がっていたり、今まで見えていなかった新しい道を欲するときがある。そういう人にこそ、あって欲しいイベントなのかな、と。

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見過ごしていた、見てみぬふりをしていた道へ、柔らかな光が私達を導いてくれる。無数の人が遊び、集い、働き、夢を追い、その傍らで暮らしている、下北沢という街にこそ根付いたイベントなんだろうな。

さあ、まだ見ぬ道へ踏み出したくなったら、今年も待ってるよ!


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ivy(アイビー)
会社員で物書き、サブカルクソメガネ。
自己満 ZINE 製作や某 WEB メディアでのライターとしても活動。
創り手と語り手、受け手の壁をなくし、ご近所付き合いのように交流するイベント「NEIGHBORS」主催。
日々出会ったヒト・モノ・コトが持つ意味やその物語を勝手に紐解いて、タラタラと書いています。日常の中の非日常、私にとっての非常識が常識の世界、そんな出会いが溢れる毎日に、乾杯ッ!
https://www.instagram.com/ivy.bayside

イラスト:あんずひつじ


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