見出し画像

猫背で小声 | 第18話 | 思春期は漫画模様

先日、キャッチコピーのコンペに応募した。

宣伝会議賞 という、ちと名の知れたコンペです。

ちなみに去年は2次審査通過、今年も結局2次審査通過止まりだった。
今年はなんとか3次審査通過までいきたかったが、そうはいかなかった。
もう何度目のチャレンジだろう。そろそろ結果を出したいな、と思っていたけれど、神様の機嫌を損ねてしまったようだ。

ああ、楽しみたい。
結果を出したい。
歌うような気分になりたい。

そんなことを想う下界の未熟人です。


--------


前回、*リワーク施設に通い始めたぼくでしたが、次第に親しくなる仲間が増えていきました。

*リワーク施設 … 主に仕事などでメンタルの病気になってしまったひとたちが、気持ちや体調を整えるためにプログラムを行う施設


特に通称『本屋さん』、『コンサルさん』、『SE さん』とは、高校のクラスメイトのように毎日つるんでいました。30代のぼくに比べ、その3人は40代だったので、ぼくの中で「ちょいワルでカッコイイお兄さんたち」という位置付けでした。

まずは本屋さん。
新潟出身で無口そうな見た目。忌野清志郎のファン。英語も話せて、一見とっつきにくい印象ですが、優しくて、『利用者内の頭脳』だとぼくは思っていました。今、ぼくは、こうして、文章を書いている身分ですが、当時プログラムの一環だった『日経新聞の文章要約』がうまくまとめられなかったぼくに、本屋さんは、本屋という『普段文章に接している人の視点』から、親身に文章要約の方法を教えてくれました。その的確かつ深みのある口調は、今でいうコロナ分科会の『尾身会長』のような頼れる存在。あなたのおかげで今のぼくの文章があります。

次に、コンサルさん。
北海道出身で色黒のおじさん。趣味はサイクリングで見た目は健康。『病気に見えないオブザイヤー』感満載の人でした。コンサルさんはタバコが好きで、施設の前の公園にある喫煙スペースで、他の利用者とタバコを吸う姿が印象的でした。そのタバコを吸う人たちは通称『ヤニーズ事務所』と言われていて、ぼくはタバコを吸ったことはありませんが、そのヤニーズ事務所の喫煙(いわばコンサート)にスポット参戦していました。タバコは吸いませんでしたが、喫煙所で繰り広げられる話がとても楽しく、「タバコって会話が進むいいアイテムなんだな」と、遅まきながら感じた時間でした。またヤニーズ事務所のコンサート開いてほしいですね。

最後に SE さん。
四国の愛媛新居浜市の出身。港町出身なのに性格は穏やかで口調も優しく、一番話しやすい人でした。年齢はぼくより5歳上でしたが、接しやすい人柄だったので、ぼくはついつい『〇〇くん』と、くん付けで呼んでしまえるナイスミドルでした。〇〇くんと言っても怒らず、ほんと SE くんの優しさは際立っていました。『くん』と呼べる見た目と人柄、それも人によっては大きな武器なんだと思いました。どちらかというとぼくも『くん』呼ばわりされる見た目だと思っているので、これからもケースバイケースで『くん』と呼ばれたいと思っています。

これからも年下の同級生として接していきたいです。
よろしくお願いします。

さて、こんなカラフルなひとたちがいるのだから、カラフルなできごとは当然起こります。

ある日、体験利用に1人の女性が来ました。その女性は施設中に通るくらいの、とにかく大きな声をしていました。ただ、背が高く、顔がとてもかわいくて、なんか「ぽわん」としてしまったのを覚えています。なぜこんなにも声が大きくて、通るんだろうと思っていましたが、職業が保育士さんということがわかり、納得。
ちょっとすると、その女性は体験利用を終え、ぼくらと同じように通所しはじめました。

今でも想い出に残っていること。

みんなで絵を描いて、その絵を元に伝言ゲームをするというプログラムがありました。

女性「私負けず嫌いなんで、絶対にこのプログラム、勝ちましょう !!」

なんか気になってしまいました。なんか気になってしまったんだよな。負けず嫌いな点が気になったのか、容姿が気になったのかわかりませんが、なんか気になる存在が目の前に現れたのであります。

恋をしてしまいました。
こうして恋に落ちるんだよな。

ぼく自身、声が小さいため、よく通る声には憧れを抱いていて、しかもかわいくて、負けず嫌いなその子が、いきなりぼくの前に現れたもんだから、も〜気持ちを抑えるのに必死でした。人を好きになるってこういうもんなんだな、と、遅ればせながら青春時代が到来したのです。

その子は智恵ちゃん(仮名)といい、1988年生まれ。ハンカチ王子と同世代でした。ハンカチ世代、にくいねえ〜。この出会いはハンカチなんてものではなく、今治タオルのようなフカフカな高貴な出逢いです。

年齢的にはぼくと8歳離れていますが、なんか、その子といられる時間が楽しく、一方で常にドキドキしてしまう自分が苦しくもありました。ぼくを苦しませる罪深い女性でしたが、施設内では明るい姿が印象的。少しずつ話せる関係性になり、智恵ちゃんのことも聞けるようになりました。

智恵ちゃんは保育士という立場から園児の親との関係に悩み、メンタルを病んでしまったようです。そんな過去があったと聞いた時は、普段そんなに苦しいのに明るい姿を見せているんだなと、ぼくも苦しくなりました。


「無理しなくていいのに。」


そんな言葉をかけてあげたくなるような、いつも全力な女性でした。

ある日、ぼくは仲の良い利用者から声をかけられました。

「あの智恵ちゃんの目線の動かし方は、絶対に近藤くんのこと好きだよ」

と。

その話をぼくにしてくれた人は、心理学を学んでいた人だったので、ぼくはこの上ない喜びを感じました。浅い知識ではありますが、目線の動かし方で、人の心理がわかるということは知ってはいたので、ますます智恵ちゃんのことが好きになりました。


男って浅いね。


プログラムの最中は、智恵ちゃんの声を聞くだけでドキドキしてしまう自分がいました。まだまだ「近藤さん」「智恵ちゃん」と呼ぶ関係でしたが、以前よりだんだん密になっていきました。LINE も交換。いい感じ。

智恵ちゃんを好きになったことで情緒が安定してきたのか、『あまちゃん』の放送を見て涙する、純粋かつ純粋な日常を過ごせるようになりました。





ある日のプログラムで、少し悩み事ができてしまいました。それを智恵ちゃんに聞いてもらいたいと思い「ちょっと話を聞いて欲しいんだけど。」と声を掛けました。

「無理です。」

智恵ちゃんは少しだけ怖い顔をして断りました。

その怖い顔は、ぼくへの嫌悪感。たった一度断られただけですが、智恵ちゃんから全てを否定されたような気がしました。なぜか自分の中で「智恵ちゃんに悪いことをしてしまった」という気持ちがあったので LINE で「今日のことはごめんなさい」とメッセージを送りました。

返事は来ませんでした。

その日は断られたショックからプログラムも上の空。元気のないまま家に帰り、早めに食事を済ませ、お風呂に入って寝ることにしました。ただ、ベッドに入っていても今日のことがショックで、「智恵ちゃんとの関係を自ら終わらせてしまった」と自分を責める気持ちになってしまいました。翌日もちゃんと早起きして施設に行かなきゃならないのですが、目覚ましとして使っていたスマホが気障りなので主電源を切り、一人静かに眠れない夜を過ごしました。


... ぜんぜん眠れねえ。


眠れないまま迎えた夜中。ふとスマホが気になり、スマホの電源を入れました。

ブーンブーン。スマホが震えました。

「今日はごめんなさい。
ちょっとプログラムの課題に取り組んでて。
近藤さんの話聞きますよ !!」

智恵ちゃんからのメッセージでした。

目を疑いました。
目が覚めました。
こんなことってあるんだと。

目はしっかり覚めましたが、すっかり安心したぼくは朝までの軽い眠りを楽しみました。今までにないような気持ちのいい朝。施設までの道のりが遠足のようで、ワクワクしていました。

さて本番。
お昼休みです。

いつも通りタバコを吸うヤニーズ事務所を横目に、公園の遊具に腰を掛けながら話をしました。今日も暑い夏。

ぼく「実は悩んでいて。」

智恵ちゃん「近藤さんは悪くないです。」

その悩み事は智恵ちゃんも前から思っていた事だったらしく、親身になって聞いてくれました。

マジ菩薩(ぼさつ)。
マジで菩薩かと思いましたよ。

ドキドキしました。こんなかわいくてやさしい人と一緒にいれたらどんなに幸せだろう! と、タバコを吸うヤニーズたちがジロジロとこっちを見るなか、遊具をグイグイと照れ隠し程度に引きながら、晴天の『おとな悩み相談室』は終わりました。

「菩薩っているんですね。」

と、今までの苦しかった人生が智恵ちゃんとの出逢いで吹っ飛びました。


画像2


その施設のことを学校とは思ってはいけないですが、ほんと学校のような場所で、本屋さん、コンサルさん、SE くん、智恵ちゃんとの出逢いは、心に穴のあいたぼくでも『色のある人生』を送れるようにしてくれました。

このような施設、出逢い、できごとは稀(まれ)かと思いますが、あの日、あの時、死ななくてよかったな、と、しみじみ感じられる日々を過ごせました。

こんなことがあるから、死なない、死ねない。


その後の智恵ちゃんとの関係ですが、しばらくは連絡が続きましたが、忙しくなったのか次第に連絡が取れなくなっていきました。

結局、智恵ちゃんを独り占めできたのはこの日だけでした。

出逢いもマル、恋もマル、欲張りはいけませんが、両方手に入れたかったです。

正直な気持ち。

でも、なんだか詩人になれた夏でした。

「ありがとう。」それしかない。

「誰か近藤くんに冷えたスポーツドリンク差し上げて〜。」


画像1

近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00
 近藤さんへの質問や応援メッセージなども受付中です。なんでも答えます!気軽にどうぞ!
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdPNjBL64hkKw-GLX_pynk-EoKX8-I6dX5awcOZFy6dRUGVtA/viewform

全18話はこちらから👇


🙋‍♂️ 記事がおもしろかったらぜひサポート機能を。お気に入りの雑誌や漫画を買う感覚で、100円から作者へ寄付することができます 💁‍♀️