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猫背で小声 season2 | 第15話 | ヨがあける

2023年2月の話

有益な関係がそばにある。
そんな関係がぼくの「そば」にいた。

ウチのオトンには妹がいる。
その妹がとついだのが新宿区歌舞伎町のあるおうちだった。

その妹はぼくにとっては「叔母さん」なのだが、その叔母さんがとついだ歌舞伎町のおうちとぼくの家族は幼い頃から仲が良かった。

その歌舞伎町のおうちには『カズヤおじちゃん』という叔母さんの旦那さんがいるのだが、そのカズヤおじちゃんが幼心にもパンチのある人だなと感じていた。

まず会社の社長なのである。しかも歌舞伎町の。

歌舞伎町の一等地が実家であり、今の住まい。見た目は、どこかの国の指導者的な顔をしていて、笑うと「この人なにか企んでいるのかな」と、子どもなりに、おじちゃんにはあやしさを覚えていた気がする。

次に、カズヤおじちゃんの奥さんである。つまり叔母のトウコおばちゃん。控えめな見た目だけれど、家のことやおじちゃんの会社のこと、それに加えて、確か歌舞伎町会の行事とかを手伝っていたと記憶している。

その夫婦には子どもが3人いて、それぞれ女・女・男という順番。

長女であるモモコちゃんは歌舞伎町生まれということもあり、見た目がとても華やかな女性。

1998年に椎名林檎が「歌舞伎町の女王」という曲を出して、世間にセンセーショナルを与えたけれど、ぼくはどこかで「椎名林檎」を冷めた目で見ており、「調子に乗るな!」と感じていた。なぜならぼくの中では歌舞伎町の女王と言えばモモコちゃんで、近くにいる「リアル歌舞伎町の女王」ことモモコちゃんと椎名林檎を重ね合わせていたからだ。今でも覚えている。

次女のシエちゃんもとてもきれいで、日本人にはあまりいない茶色の目をしている女の子だった。目が茶色ということはオカンから言われて初めて気づいたけれど、子どもの頃からシエちゃんとは仲良しで、モモコちゃんに比べると、歌舞伎町の女王の妹のわりには控え目な女性だなと感じながら接していた。ぼくが30歳を越えたあたりにシエちゃんのカラオケの歌声を初めて聞いたのだが、その歌声は甘く、歌手のようで聞き惚れてしまった。声色が違えど、ここにもいたんだよ椎名林檎が。

長男であり末っ子のエイジは、今でこそカズヤおじちゃんの会社を手伝ってはいるが、子どもの頃はヤンチャだった。歌舞伎町の家に遊びに行くとぼくはちょっかいを出され、ヤンチャなエイジを前に、ここでもイジられる要素は隠しきれないんだと思った。「大都会・歌舞伎町」の厳しさを、駆け出しのホストのように耐えていた。

そんな「歌舞伎町のおうち」に、法事や食事会などで集まる時は、もちろん厄介な親戚も集まる。ぼくが精神に闇を抱えている時期、いわゆる「暗黒の黄金時代」にそんな集まりに参加すると、

「まなぶちゃんは可哀想ねえ。可哀想ねえ。ほんと可哀想。」

と、こんなやり取りを秒単位で何度も繰り返してくる親戚もいた。さすがにこんなに「可哀想」と言われると、「あ、ぼくって可哀想な人間なんだ」と感じざるを得なくなってしまう。

とある厄介な親戚は、ことあるごとに「まなぶちゃんは大器晩成型よ」と根拠のないことを言っていた。
酒の力を借りていたのかもしれない。亡くなったいま、定かではないが、なんだかある意味、不思議な親戚がいたのである。

風も吹けば 山もある
林に迷い 火を浴びる

ここ歌舞伎町は世の有耶と無耶を感じる場所。今でもこのカズヤ家とは仲が良く、コロナ前はよくうちの家族とカズヤ家で食事会をしていた。昔からの仲の良さを確認しながら、こんなつながりをしっかり用意してくれるうちのオトン・オカン、そしてもちろんカズヤ家に感謝する。大都会歌舞伎町のでっかくあったかい「新宿ひとコマ劇場」だった。

ぼくは最近「思ったことは即行動」というマインドになってきたので、明かすつもりのなかったこの「猫背で小声」の連載をカズヤおじちゃんに伝えたところ、とても驚き、そして喜んでくれた。

ぼくが統合失調症で子どものころから悩んでいやのは薄ら薄ら知っていたとは思う。ただ、そんなことよりも、この「猫背で小声」の作風が、作家の北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」という作品に似ているという返事をくれたのだ。

この北杜夫。本名は斎藤宗吉で自身も精神科医であり、父は斎藤茂吉、兄は斎藤茂太という、共に著名な精神科医の家庭で育った。

その斎藤家の北杜夫と並び評されたものだから、とてもうれしいのである。

精神の病と闇に苦しんできたぼくだけど、生きてりゃこんな風にプレゼントをもらえることもある。ぼくの理解者でもあるカズヤおじちゃんからの大切なプレゼント。

連載の告白をした勢いで、先日ぼくの誕生日の前日に、いてもたってもいられず、新宿でカズヤおじちゃんと逢ってきた。たぶん5年ぶりくらいの再会。

お互い歳を取り、カズヤおじちゃんは75歳を迎えた。

以前に比べると呂律が回らなくなったカズヤおじちゃんだが、「連載スゲエな。楽しみにしているぞ」との言葉。

カズヤおじちゃん。ちょい乱暴な口調も昔と変わんない。

「まなぶは20年引きこもりで苦しんできたから、20年分の修行をしてきたのと同じだ。厳しい修行をしてきたお坊さんとおんなじ」

こんな言葉をカズヤおじちゃんからもらえる日が来るとは思わなかった。

「明日はまなぶの誕生日。43歳を迎えるけど、20年間社会に出ていないんだから明日は23歳の誕生日だ。まだまだ、これからだ」

なんも言えねえ。なんも言いたくない。

今まで生きてきた史上最高級の言葉に酔いしれているぼくに、カズヤおじちゃんがさらにポツリとひとこと。

「まなぶな、まなぶが小学生の時に不登校になって、その不登校のことを俺が責めちゃったんだ。」

「そうしたら、普段おとなしいまなぶが、感情を表すように俺の身体を叩いたんだ。」

「あの時は、ごめんな⋯。」

ぼくは、そんなこともあったな、くらいしか覚えていないけれど、それを昨日のことのように覚えててくれて、しかも謝ってくれたおじちゃん。

ほんと、なんという日なんだろう。

ほんと、なんと名付けたらいい日なんだろうか。

楽しい時間は過ぎゆくもので、3時間ほど話していた。ぼくはお酒を4杯飲んで、やっとおじちゃんの世界に追いついた。お酒を交わしながら、今の悩みとしてぼくが抱えている、障害者雇用の給料の安さについて話したりもしながら、お会計の時間を迎えた。

2人合わせて2万円の会計。ぼくが財布からお金を出そうとすると、

「低所得者に払わす金はない!!」

この気遣いと関係性こそが、カズヤおじちゃんこと歌舞伎町のおうちなのである。

2023年2月9日。

明日はぼくの誕生日。

実はその翌日は、両親の結婚記念日。

少しばかり「ヨ」が明けたぼくからのメッセージ。とさせてもらう。

文 : 近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00

絵 : 村田遼太郎 | RYOTARO MURATA
北海道東川町出身。 奈良県の短大を卒業後、地元北海道で本格的に制作活動を開始。これまでに様々な展示に出展。生活にそっと寄り添うような絵を描いていきたいです。
https://www.instagram.com/ryoutaromurata_one

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