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窓際から今日も #06 | バナナパウンドケーキは二十歳の味 | 阿部朋未

誕生日は誰にでも平等に訪れる。しかしながら、祝ってもらいやすい / もらいにくいタイミングが存在するのも少なからず事実であろう。

夏休み、冬休み、年末年始、年度切り替え etc... つまりは学校や会社にて人と会う機会が極端に減ったりクラス替えや人事異動などにより、いつもの顔触れがガラリと変わってしまうタイミングがその一例とも言える。無論、私の誕生日も例外ではない。

4月初旬に誕生日を迎える私は、家族や長い付き合いの友人でなければ祝ってもらえる機会がほぼほぼ存在しない人間だ。

新年度を迎えるタイミングですでに誕生日を迎えては、新たな顔触れが普段の日常に馴染む頃には学年の先導を行くポジション的な立ち位置を確立しており、気づけばもっぱら全力で誰かの誕生日を祝う側に立っている。人の誕生日を祝うことは大好きなので決して苦ではないが、それはどれだけ時が経とうがどこに居ようがあまり変わることはなく、特に上京し数日しか経っていない中で迎えた19歳の誕生日のしんどさは今でも忘れられない。これまで家族に囲まれて祝われていたのが知っている人もいない、友人すらいまだにできていない、生まれて初めて住む東京の街でどう過ごしていいかもわからず、学生寮の近所にあるつけ麺屋でひっそりと夕ご飯を食べたことしか覚えていない。太麺で濃厚な魚介スープのつけ麺はおいしかったけれど、それ以上でも以下でもない、極めて淡白で味気ない思い出として残り続けている。

その翌年、20歳の誕生日を東京で迎えた。

春休み期間だったために実家へ帰ったりしていたものの、新年度を迎えるにあたっての顔合わせや説明会によりすぐに東京に戻った。学校の本館校舎で所属する学科全員が集まり学科長の先生から1時間程説明を受けた後、夕方には解散となった。入学から1年が経つ頃、少ないながらも気の合う友人ができた。私が通っていた音楽の専門学校は皆何かしらの演奏者を目指していたので、学科からさらに細分化された楽器ごとのコースに所属している人たちで集まっては行動することがしばしばである。おもしろいことにコースごとに特色があり、バンド形式でセッションする授業があるのでギター・ベース・ドラムコースの人達は境界なくいつも集っては休み時間や放課後に仲の良さそうな様子を見せている。さらにはそこにヴォーカルコースの人がその場の流れに乗って加わるので、最後に残るシンガーソングライターコース、つまり私達はいつだって本校舎と仮校舎のある春日と水道橋を行き来する"動く陸の孤島"と化していた。半ば極論かもしれないが「ウェーイ」というテンションでない、言わば普段から内側に閉じ籠り、社会とは不器用な隔たりがある故に自ら曲を書いては歌っている人間なので、皆が皆、積極的な社交性を持ち合わせているとは言い難い。気づけばいつも群れているのは同じコースの同じ顔触れでしかなかった。しかしながら念を押して言うと、プロではない一端の学生だとしてもそれは決して傷の舐め合いだとか自己憐憫の集まりではないし、常に密接にくっついている訳でもなく「付かず離れず」な感じで互いにとってちょうど良い距離感を保ちながら行動している。野生動物が持つ習性の如く自然とそうなってしまうのだ。現在もSNSで見かけるように、主にプロのミュージシャン達が"ドラマー飲み会"や""ベーシスト飲み会"を頻繁に開催しているのに対し、"ヴォーカリスト飲み会" が滅多に目撃されないのは上記の理由によりどちらかというと大抵サシ飲みする方が多いから、という持論を上げておく。

話が少々逸れてしまったが、口にせずとも各々に潜在するそんな理由から今日も今日とて放課後に集まるのはいつものメンバーたち。他のクラスメイト同様にすぐに帰る者もいれば、一緒に下校するタイミングを見計らっている私達もいる。というのも、この日は珍しいメンツの集まりで、そのうちの一人である"あーか"の家に遊びに行くことになっていた。BUMP OF CHICKEN が大好きで "藤くん" を外見や音楽性含めてそのまま模したような寡黙な男の子と、ファッション雑誌の読者モデルページに登場していても違和感がなさそうなのに毎回何かしら突っ込まれていて結局オチ要員になってしまう三枚目。清楚でありつつもどこかダークメルヘンな雰囲気を醸し出している優しい女の子、私にキリンジや Chocolat など渋谷系の音楽を教えてくれた年上の同級生、ポップな曲調の楽曲に長けていて独自の世界観を持つあーか、そして私。どんな経緯でどうしてこのメンツで集まることになったのか、今では覚えていない。なぜだか気づけばこの日にこのメンツで集まることになっていた。

私と同じく板橋に住んでいるが、東武東上線沿線に住まう「あーか」の家に向かうまでの景色はどこもかしこも新鮮だった。たくさんの人で賑わっている街並みは年季の入った懐かしさがあり、なんだか親しみさえ感じられるよう。駅前にある大きなスーパーで食材やお菓子やらを買い込み、やいのやいのとふざけ合いながら坂の上に広がる住宅地に建つ「あーか」の家へと向かった。

閑静な住宅街の一角に建つあーかの家はそこまで大きくないにしろ立派な家で、両親・弟と一緒に暮らしているという。都心部でない、どちらかというと郊外に近いが今立っているここは紛れもなく「東京」なわけで、一人で暮らすことさえ大変な東京に一軒家が建っていてしかもそこが実家である事実と、そこに至るまでの静かなスケールの大きさを想像して「どうやったらこんな暮らしができるんだろう」と少し羨ましく思ってしまった。勿論、特に親御さんに関しては付随する苦労は計り知れないものだろうけれど。あーかと彼女のお母さんが夕ご飯を振る舞ってくれるとのことで、その間残った私たちは彼女の部屋でおしゃべりしながら待つことにした。ナチュラルな家具や雑貨で彩られた部屋には曲作りで弾いているであろうギターが立て置かれていて、棚には隙間なく本や CD が並んでいる。その中にいずれ買おうと思いながらそのままだった安藤裕子さんのアルバム『Acoustic Tempo Magic』があって、忘れないようにスマホのメモ帳に書き残した。

「大したことなくてごめんね」と笑いながらテーブルの上いっぱいに並べられた料理はどれも手が込んでおり、その場にいた皆が「あーかの家の子になりたい……」と漏らすほどにとんでもなくおいしい。部屋に帰ったら私もちゃんと自炊しようと密かに心に決めたのだった。そうやって楽しい時間は続き、買ってきたお菓子を広げてトランプで遊んでいると、ふと部屋の電気が消えた。あれ、と思っているといつの間にか部屋から出ていっていたあーかが小さく火の灯るろうそくが刺さったミルクレープのホールケーキを手に戻ってきた。そのケーキの上にはチョコペンで "Happy Birthday ともちゃん" の文字が。「Happy birthday to you……」と歌い始めたあーかの歌声に、楽しく弾むように他のみんなが続く。状況をすぐに飲み込めなかったが、徐々に理解できるようになってきたのち、うれししさのあまり泣きそうになるのを必死に笑って誤魔化すことしかできなくなってしまった。今までメールや LINE の文章を通してでしか祝ってもらえなかった誕生日が、この目の前で直接祝ってもらえている現実。家族以外の人に、友達に祝ってもらえるってこんなにもうれしくて幸せなことなんだ。しかも生まれ育った街ではない、辿り着いた先で仲良くなった友達に祝ってもらえるありがたさよ。限りある学生生活がとうとう折り返しを過ぎ、この先この場にいるみんながどんな道を歩んで行くのかわからないけれど、それでも今は同じ空間で楽しく過ごせている幸せをできるだけ噛み締めたいと切に願った。

終電の時間が迫り、会は名残惜しくもお開きとなった。さながら二次会のようなトークを繰り広げつつ、駅まで送ってくれるあーかと一緒に女子たちだけで帰路に着く。住宅街から大きな道路へ出た途端、坂の上から静寂と共に広がる街の明かり。皆と別れてひとり乗り込んだ終バスの車窓には規則正しく流れていく首都高近くのオレンジ色の街灯の光。cero の『roof』を聴きながら、楽しかったあの時間が少しずつ遠ざかっていくのがわかった。どれだけ手を伸ばそうと指先にも掠らず、不可抗力によってその指先からもより遠ざかっていくのが。

帰り際、あーかはお土産を持たせてくれた。白い紙袋の中には「よかったら部屋で食べてね」と、手作りのバナナパウンドケーキ。それも1"ピース"でなく1"本"。実を言うと果物はりんごと梨しか食べられない超偏食人間である私であったが、折角作ってくれたのだからと意を決して一口食べてみると、甘さ控えめかつシナモンが効いたその味は不思議と受け入れることができた。しかも部屋の隣にあるコンビニで当時流行っていた生クリームのアイスを買って添えてみると、まるで魔法に掛かったかのように思わず夢中になって食べ進めた。市販のものではどこか物足りない、あーかの作るあの味を知ってしまったがために私は今でもこれ以上のバナナパウンドケーキに出会えずにいる。たとえいくらかの思い出補正がなされているとしても、全てが暗澹として苦味しかない二十歳を振り返る時、唯一の甘美な記憶としてこれからも残り続けていく。

あれから私達はそれぞれの暮らしの中で生きていて、各々なんとか元気にやっているのだろう。そうやって思いを馳せることしかできないのは数年前に私のスマホが壊れてしまい、LINE もろともデータが消えてしまったからだった。ガラケーからの仲だったらアドレスや電話番号も知っていただろうに、私達の連絡は主に LINE だけで完結してしまっていた。連絡先だけでなくクラスや所属コースのグループトークも全部消え、それはすなわち入学してから卒業するまでの思い出だけでなく卒業した後の繋がりも断絶された瞬間でもあった。正真正銘、2年間の思い出は過去のものとして現在と切り離されてしまったのである。連絡先に僅かに登録されていたアドレスと数少ないSNSでの繋がりを手がかりに数人だけ再度 LINE に登録できたが、あーかは今も連絡が取れないままになってしまった。

先生や友達に聞いても、あーかの連絡先を知る人は誰もおらず、卒業式で一緒に写真を撮った時の姿のままで10年近く時が経っている。Twitter には2014年で更新が止まったまま使われていないアカウント、スマホのアルバムにはあの夜、バースデーケーキを持った私を囲んでみんなで撮った記念写真。「ともちゃんはベリーショートか、逆にオノ・ヨーコくらいに長い髪にした方が似合うと思うよ」と笑いながら言ってくれたのはいつだったか。鏡の前に立って髪を梳かす度、時々その声を思い出す。今ではもう前髪は眉上のぱっつんではないし、真っ赤な色以外の口紅も塗るようになった。それでもいつかまた会えるんじゃないかと淡い期待を抱きながら、頑張ってもうちょっと髪を伸ばそうとブラシを手に取った。

阿部朋未


阿部朋未(アベトモミ)
1994年宮城県石巻市生まれ。尚美ミュージックカレッジ専門学校在学中にカメラを持ち始め、主にロックバンドやシンガーソングライターのライブ撮影を行う。同時期に写真店のワークショップで手にした"写ルンです"がきっかけで始めた、35mm・120mm フィルムを用いた日常のスナップ撮影をライフワークとしている。2019年には地元で開催された『Reborn Art Festival 2019』に「Ammy」名義として作品『1/143,701』を、2018年と2022年に宮城県塩竈市で開催された『塩竃フォトフェスティバル』に SGMA 写真部の一員として写真作品を発表している。
https://www.instagram.com/tm_amks
https://twitter.com/abtm08

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