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第2回 1987年から、なぜパリへ?

冒頭の写真は、「1987パリ国際ランジェリー展」のカタログとインビテーション&プレスバッジ。イラストの女性の肩をはらりと落ちるランジェリー。この美意識がフランスなのです。

長年の年明け年中行事 

 「パリ国際ランジェリー展(SALON INTERNATIONAL DE LA LINGERIE PARIS)」には、1987年から昨年2020年まで、一度も休むことなく出かけました(湾岸戦争の時も変わらず飛行機で飛びましたが、さすがに今回のパンデミックには太刀打ちできませんでしたね)。30年を過ぎる辺りから、指折り数えることをやめました。1990年頃からは、夏の展示会通いも加わり、年2回の定期的な取材となりましたが、そちらについてはまた追ってお話ししたいと思います。 

開催時期は当初は2月、そのうちに1月になりましたが、いずれも年明けのファッションウィークとリンクした時期です。プレタポルテや服飾雑貨など、同時期に開催していたファッションの見本市にも以前はよく出かけましたし、今でもインテリアの「メゾンエオブジェ」には足を運ぶのを楽しみにしています。加えて、いつもソルドの時期と重なるので、市場視察と銘打って、30代、40代の頃は買い物もよくしました。 

「ずいぶん寒いでしょ?」とよく聞かれます。確かに日本では一番寒さが厳しい時期ですが、ヨーロッパは12月のクリスマス辺りが一番寒いのではないでしょうか。パリで本当に寒い思いをしたというのは、数回しかありません。ドイツなど北の方に比べると、気温がマイナスに下がることも雪が降ることもまれです。日本のような強い風や乾燥もあまりないので、むしろ、あのキーンと空気が張り詰めた感じが心地よいのです。 それに、旅行のオフシーズンだけあって、往復の飛行機代は年間でも最もお手軽な時期となるのも魅力です。 

 フランスはサロンの根強い伝統  

一般にはわかりにくいかもしれませんが、ヨーロッパ、ことにフランスというのは、業種の違いを超えて(まさにアートから兵器や化学、農作物まで)、昔から「サロン」(国際的な見本市・展示会)を軸に経済が成り立っている所です。今は世界的に流通の形態が変わってしまいましたが、従来は方々にある小売店(ファッションでいうとブティックですね)が次のシーズンに店で売るものを、サロンで買い付けるというのが主軸でした。今世紀に入って物作りから販売までの一気通貫型のSPAチェーンなどが浸透しても、従来のサロンの伝統が根強く残っているのです。 

サロンは商品の売買を行うだけではなく、新しい流行発信の場としても機能していて、この「パリ国際ランジェリー展」は、いわゆるランジェリーのパリコレともいえる役割を果たしてきました(パリコレはデザイナーごとにバラバラにコレクションを披露するのに対し、こちらは巨大な見本市会場に多くのブランドと人が集結するという違いはありますが)。 

ランジェリーの国際見本市については、以前はドイツ・デュッセルドルフで開かれていたIGEDOが有名でしたが、トレンド情報の発信という面で、リーダー役のバトンを徐々にフランスに渡したといえます。そういうふうに展示会ビジネスとしてパリの優位性が勢いを増している時に、私の取材がスタートしたのです。 

いずれにしても、この「パリ国際ランジェリー展」に1980年代からずっと通い続けているプレスの人間は、世界でも他にあまりいないのではないでしょうか。出展者も入場者も、最近ではすっかり代替わりして、同年代と思われていた人々はいつのまにかリタイアしています。

 以上、前書きが長くなりましたが、こんな私がパリに通うようになったきっかけは何でしょうか。これは今まであまり口外したことがありません。  

パリ取材を始めたきっかけ

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