見出し画像

いよいよ

手術の日
パピヨンヨード入りのボディソープで念入りに体を洗い、準備万端にストレッチャーに乗り、いざ、手術へ。

私の病院では手術する前に、小さな待合室みたいな、体にチューブを入れたり、手術を終えた人が目を覚ますまで待つお部屋があり、そこへ着くと、異様な緊張感になり、急にやめたいです!って言いたくなった。
心拍はマックスで、すぐに看護師に精神を安定する薬を、早速つけた管から挿入され、色々、優しく話しかけてくれるんだけど、返す余裕もなかった。

次に運ばれた部屋が手術室。
日本のテレビで見る、ピカピカな手術室とは違って、色んな人が行き来してて、扉も開けっぱなしで、機材がざっくばらんに置かれていて、執刀医がニコニコしながら、やるよーって言ってきた。
そして、すぐに意識を失った。

おおよそ5時間だった、私の手術。
私の病院では、日本みたいに手術の日に、親族がそばに居るというのは、だめで、結局、いたところで何も変わらないからかもだけど。一人きり。
って言っても意識ないですが。

なので、終わった瞬間に執刀医の先生が、手術室から携帯で、彼に連絡して成功した旨をお知らせしてくれました。
私の彼は、「DUNE」という映画をちょうど見終わったら、連絡が来たらしい。
私だったら、映画なんて頭に入らないと思うよ。
フランス人って、すごいと思った。


少しだけ意識が戻った。目を開けても真っ暗だった。自分が生きてるのか死んでるのかよく分からなかった。
どうやら、気管にチューブが入ってるようで、それを私が抜こうと触ったようで、看護婦さんが2人来て、私の手を優しくぎゅっと握って名前を呼んでくれたのは、なんとなく覚えている。

そこで初めて、生きてるんだって気づいた。何も見えなかったけど、暖かかった。

その後2日間は、痛みと薬のせいもあってか地獄だった。
殺してくれって思った、その度に執刀医の先生な笑顔が出てきて、だめだ、先生がせっかく助けてくれた命、頑張らなきゃ!
ってのを何度も2日間繰り返し続けた。
本当に地獄だった。

まだ地獄を引きずる3日目から、もう歩くためのリハビリが始まる。
これも地獄だった。
無理なんですけどーって、何度も言ったけどちょースパルタで強引に座らされ、お尻がすごい痛かった。

よく聞かれるのは、看護婦さんは優しかった?って。
日本と同じだと思います。人による。
でも、私の病院は1人しか意地悪な人はいなかった。他の人はみーんなとても優しくて、笑わない私を一生懸命、笑わせようとしてくれた。
痛くて、それどころじゃないのよ、って思った。笑った時、看護婦さんがすごい喜んでくれて、なんか救われた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?