【KG_001】適当に炒めた油揚げと目玉焼きごはん

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40代になり、食べられる量や食材の好みに目に見えて変化が現れだした。

よくコラムなどに書いているが、飲食店でランチをしようとすると、1食の量がたいてい自分には多すぎる。そこで会社員時代は、強いて適量と思えた「小諸そば」のかけ/もり、または、そこにイカ天を足したものか、「はなまるうどん」のかけ小を主食とし、ローテーションしていた。やがて弁当も作るようになった。
が、会社を辞めて約1年。仕事場が徒歩圏内になり、家で仕事をすることも多いので、昼間に外食をする必要性も、弁当を作る機会も、急激に減った。

仕事の原稿書きなどに没頭していて、気づけば昼食を取らずにもう14時。あ、すげー腹減ってる。そんなとき、とりあえず自宅のキッチンへ向かい、冷蔵庫を物色する。漬物だの、納豆だの、ご飯のおともになりそうなものがなんらかある。茶碗にご飯をよそい、それらをおかずに食べる。ほぼ無心で。これが、量も、体が求めていた感じも、ものすごくちょうどいい昼食なのだ。

しかしながら、あるときふと思った。

「枯れたメシ食ってんな、おれ」

と。

それが例えば写真の、「適当に炒めた油揚げと目玉焼きごはん」だ。フライパンに油を敷き、細切りにした油揚げを炒め、途中で卵をひとつ加え、半熟くらいになったらそれを、茶碗に控えめによそったご飯の上へ。醤油を回しかけ、ゴマをふったら完成。

見た目は枯れきっている。もちろん定番メニューなどではないし、冷蔵庫にあった食材をただ組み合わせただけだから、もう一生作らないかもしれない。お気に入りだから使い続けている茶碗も、欠けている。
しかしながらこれが、それなりのどうでもいい味かというとそんなことはなく、自分にとってはめちゃくちゃうまい。

決してインスタ映えしない、口が裂けても「彼に作ってあげよう!」などとはおすすめできない、だけど日々の小さな幸福である「枯れごはん」の記録を、飽きるまで続けてみようと思います。


※ネーミングにあたり、似たようなものがないか一応検索してみたところ、唯一、料理研究家、麻生要一郎さんの「枯れ飯」というのがヒットしましたが、こちらはものすごくちゃんとした料理だし、名前もまるっきり同じじゃないからいいか、という判断で公開しております。


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