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中国最古の旅行記「穆天子伝」を読む

老荘思想を伝える「列子」の中に、周穆王(しゅうぼくおう)という人物の話があり、「列子」を読み返していたら妙に気になりました。

話のあらすじは以下です。

周という国の穆王のところに魔法使いがやってきた。穆王は彼をもてなすが、何をしても満足しない。

その後、魔法使いが「遊びに出掛けましょう」といって連れて行かれたところは、ひとつは自分が財の限りを尽くして用意しても作れないような素晴らしい王宮、もう一つが何もない真っ暗闇の空間。

5、60年も過ぎたかと思う頃、それはちょっとした昼寝の夢だったと知らされ、「道」における時間の長短や価値観などは、人間の感覚を超えたものだと教えられる。

それからの穆王はというと、自分のやりたいことをやりたいように散々やりたおし、様々なところに旅行に行くようになった。そしてそんな自分の姿について、民衆はダメな君主だったと嘆くのだろうなと思ったりする。

最後は、とはいえ穆王が死んで百年も経つと、人々は彼は昇天したと思っていると締めくくられる。

何か示唆があるかというと、あるような、ないような、ですが、老荘思想に従えば、人間の価値観は「道」においては屁のようなものなので、誰でも好きなようにするのがよい、くらいでしょうか。

それで、この穆王という人物が気になったので、調べたところ、言い伝えによると八頭の駿馬を持ち、西方に遠征した人物のようです。1日に千里(4000キロ)を走ったとか...。
というのも、穆王は「穆天子伝」という中国最古の旅行記を遺しているらしいです。

ちなみに余談ですが、ヨーロッパ最古の随筆は、クセジュ?でおなじみのモンテーニュが書いた「エセー」といわれています。
私もちょっと読んでみたのですが、"バカな部下のせいで馬に蹴られて大怪我をした件"という話がありました。
いってしまえば、それだけというか...。

話を戻しますと、興味がわいたので「穆天子伝」を読んでみました。

内容といえば、王様が諸国を訪ねて、いろいろなもてなしを受けたり、贈り物をもらったり、そこで詩を遺したり、といったところです。
途中で、仙人が住むといわれる昆侖山に行き、西王母と呼ばれる伝説的な?神話的な?人物にも会ったりするそうで、どうもファンタジーな世界観あり、というところでした。

たしか「万葉集」の序盤もこんなだったかと思うので、まあ古い旅行記というのはこんななのでしょう。

で、はじめに「列子」において、"民衆はダメな君主だったと嘆くのだろうなと思ったりする"と書きましたが、「穆天子伝」にも同様の記載がありました。

ただし話としては少し続きがあるようでした。以下、私の意訳です。

そんな穆王に家来がいった。

民衆は世の中があるべき道であることを願うものです。
それは、住む家があり、食事に困らず、仕事のある生活を送ることです。
もし王が自分の楽しみだけ考えていたら、どうして民衆が嘆くだろうと思うのでしょうか。
どうでしょう、王が楽しいと思ったなら、それを民衆とも分け合ってみては。

それを聞いた穆王はその家来に褒美をあげた。

「列子」と比較して、人のために王はこうあるべしというか、孔子的な示唆があるような気がします。
で、「列子」では意図的にそこを落としているような…。
なんというか、「浦島太郎」や「杜子春」など、挙げればきりがないですが、昔話はどこかでちょいちょいメッセージを変えてくること、よくありますよね。

そんな感じでしたが、「穆天子伝」は「道」という考え方もなく、"ただ王がトラブルにも遭いながらも楽しく西方を旅した"という話のような気がします。

優秀な馬ということで、今風に解釈すると、モンスターのようなエンジンを積んだごっついバイクの集団が、広い荒野を延々走っていたのではないかと想像します。

そして、その総距離は二万五千里(10万キロ)だったらしいです。
地球でいえば2周半ですか...そうですか...。

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