【第0538稿】”人”が笑いを”足す”ことで笑いを”促す”効果があるのです
例えば、笑い声が全く聞こえないネタと、笑い声が意図的に足されたネタであれば、同じ内容でも絶対的に後者の方が面白く見えるだろう。
そしてエンタの神様はバラエティー番組であってドキュメント番組ではない。「面白い」を作り、視聴者に届けるのが役目だとさえ言える。
例えば、めちゃイケで昔よゐこの濱口が「笑い男」というネタをやっていた。とにかく何かを目ざとく見つけて笑うだけのコントだが、何故か見ていると笑えてしまう。
もっと古いものだと「笑いぶくろ」というものがあった。操作をすると、笑い声が聞こえてくるというものだ。何が楽しいのか分からないが、少なくとも当時は売れた。一定数の重要があり、利用価値があったのだろう。
あるいは、演者が自ら笑ってしまう、というのもある。俺の中では、サンドウィッチマン(伊達ちゃん)がそれを良くやっている、というイメージがある。ダウンタウンの浜ちゃんが松っちゃんのボケに笑う(のちにツッコむ=殴る)のも、同じ理由かもしれない。
そう考えると、「笑いを足す」こと自体には「笑いを促す」という効果・目的があり、エンターテインメントとして考えると、決して悪ではない行為だ、と私は思う。
ダウンタウン松本氏が言うところの「笑うポイント」というのはまた少し意味が違っていると思う。エンタの神様がそれを目的として笑いを足しているいるとは思えない。もちろん、ダウンタウンが絡んでいる番組が意図して笑うポイントを作っている可能性はあると思うが…。
いずれにしても。
足された笑いに頼っていると、いわゆる「一発屋芸人」のようになってしまうだろう。エンタの神様から出て来た芸人がイマイチ突き抜けないのは、そういう「足された笑い」に胡坐をかいているからなのかもしれない。
ところで、全然関係ない話で終わらせるけど…
人が足すから「促す」
漢字の成り立ちってスゲーな、と改めて思った。
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