パラリンピックの場で「公平」を実現することは難しい

1、 パラリンピックは、先進国優位なのではないか?
 
2021年8月24日から9月5日まで東京パラリンピックが開催され、僕は、日本人選手を含む多くの選手が限界に挑戦する姿を、テレビ越しに観戦した。
 
 

その中でも、今大会最も印象に残っているのは、日本男子の車椅子バスケットボールの躍進である。今大会は、圧倒的な選手層を活かして決勝まで勝ち進み、絶対王者のアメリカに対して最終クオーターまでリードするなど、見事銀メダルを獲得した。日本車椅子バスケ界の歴史を塗り替えた選手たちの懸命な姿は、とても印象的だった。

 
このような日本勢の躍進とともに、僕には違和感を覚えることもあった。日本は準々決勝以降、オーストラリア・スペイン・アメリカなど先進国の国々との対戦が続いたが、最終的な結果は、上位4か国はアメリカ・日本・スペイン・イギリスといずれも先進国であった。こうした先進国優位の状況は、メダルランキングにも現れており、メダルランキングの上位は大半が先進国であった。それに対して、発展途上国の多くの国々はメダルランキングの上位にあまりおらず、1つもメダルを取ることができなかった。僕には、パラリンピック全体を通して、先進国と発展途上国との格差があるように感じられた。
 
 
2、パラリンピックの理念は公平であり、オリンピックとは違う
 
もちろん、オリンピックにおいても、発展途上国のメダル数が少ない傾向にある。しかし、僕は、オリンピックにおいてよりもパラリンピックにおいての方が、格差の問題が深刻であるように感じている。その理由に、パラリンピックとオリンピックの理念の違いがある。
 
パラリンピックの理念は、国際パラリンピック委員会(IPC)によると、「共生社会の実現を促進すること」であり、4つの価値の1つに「公平」を掲げている。ここに記されている「公平」とは、「多様性を認め、創意工夫をすれば、誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力」である。一方、オリンピックの理念は、日本オリンピック委員会(JOC)のオリンピック憲章によると、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進」であり、オリンピックの価値に「公平」という項目はない。

パラリンピックの方がオリンピック以上に「公平」を重視しているのだ。
 
 
3、公平と言っているけど、「経済格差」がある
 
しかし、メダルの数という意味では、パラリンピックにおいて、発展途上国と先進国との間で「経済格差」の問題が生じている。このような明らかな格差が存在している現状では、パラリンピックでの「公平」の理念が実現できているとは言えないのではないだろうか。
 
 
4、障がいの違いはクラス分け出来るけど、「経済格差」のクラス分けは現実にはできない
 
こうした「経済格差」は、解消しなくてよいのであろうか。
 
「格差」は、違いによって生まれるのが前提であろう。パラリンピックでは、身体能力の格差に関しては、ある程度解消されているように思う。障がいの程度・種類に応じてクラス分けをすることによって公正性が保たれているからだ。そういう意味では、ある程度パラアスリートたちが公平に競える環境が整っていると思う。
 
同様に、「経済格差」も解消できないのだろうか。例えば、個人の収入の額でクラス分けをしたり、全員同じ道具を使って競えるようにしたりすることで、経済格差を解消することはできるだろうか。
 
僕は、どちらの案も現実的とは言えないと思う。
確かに、1つ目の個人の収入の額でクラス分けすることが実現できるのであれば、「経済格差」は解消できるように感じる。しかし、現実的に収入でクラスを分けることにより、パラアスリート1人1人の年収が公表されることになれば、それこそ社会問題になってしまう。
 
また、2つ目の全員同じ道具を使うことに関しても現実的ではないと感じる。一見すると、道具を揃えれば、「公平」になるように感じるかもしれない。しかし、実際には「公平」にはならないと思う。なぜなら、全員が同じ道具にフィットすることはありえないからだ。例えば、野球で使用するバットは、様々な種類のバットがあり、人によってマッチするバットは異なる。そのため、多くの野球選手は多種多様なバットを使っている。同様に、競技用車いすや義足に関しても、人によってフィットするものが違い、道具を揃えることでかえって不利になるアスリートが出てしまう可能性がある。
 
 
5、 まとめ
 
こうして考えてみると、パラリンピックにおいて、現在の「経済格差」を解消することは難しいのだと思う。現実的には、「経済格差」は所与のものとするしかないのかもしれない。しかし、「経済格差」を所与のものとしてしまえば、パラリンピックの価値の1つである「公平」に矛盾してしまう。大切にしたい理念があっても、現実には体現できないことがある。そうした矛盾をどう考えたらいいのだろうか。テレビを見ながら感じた「格差」への違和感を抱えつつ、僕は、これからもパラリンピックの可能性や限界を模索していきたいと思っている。
 
 
 
         参考文献
・読売新聞オンライン「東京2020パラリンピック」
https://www.yomiuri.co.jp/olympic/paralympic2020/results/result/bra/WBKMTEAM5---45080-----------------/
・朝日新聞DIGITAL「東京パラリンピック2020」https://www.asahi.com/paralympics/2020/results/medal/
・科学のはなし
https://www.inc-reliance.jp/science/67632
・東京新聞TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/117105
・パラサポWEB
https://www.parasapo.tokyo/paralympic
・平成25年度 日本の医療機器・サービスの海外展開に関する調査事業(海外展開の事業性評価に向けた調査事業)「リハビリテーション事業の中国展開に関する実証調査プロジェクト 報告書」
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/iryou/downloadfiles/pdf/25fy_aizawa.pdf
・筑波大学オープンコースウェア「オリンピック・パラリンピックの理念」https://ocw.tsukuba.ac.jp/discovery/olympic_paralympic/philosophy/
・公益財団法人日本オリンピック委員会「オリンピック憲章」
https://www.joc.or.jp/olympism/charter/konpon_gensoku.html

written by きょん

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