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悟りって何?。。。って何?

いきなりの表題ですが

わたしなりに自称悟った人で

悟ることは気づくこと

と標榜しているのですが


気づくことと述べているように

それは、誰かの書いていることを

咀嚼して納得するものでもなく

昔から言われていることをそうだと

言うのでもなく


自らの体験を通じて

悟るという体験をしたときに

ああ、これなんだな!

と思うことであると思うのです


それなので

このnoteのシリーズでも

過去に書いてきたブログの記事でも同様に

これはあるひとりの体験談なのです


参考にして頂けるとありがたい

と感じています

はたまた共感共有できると尚

うれしいものです


不肖、僭越ながら

過去の悟りびとの残した

もしくはその弟子たちの残した

遺稿を読ませて頂くと


共通に体験がそこにあったり

まさしくその通り!

なんて共感するものがあったりして

うれしいものです


もちろん、わたしも歩きはじめは

貪るように情報を咀嚼しましたが

体験した途端にそれらは自ら選んで

手枷足枷を課していたいたことに気が付きます


体験の後にも右往左往しながら

肉体スーツの世界も模索して漂っていました

ここで悟りびともいくらかに分かれていくように

思っています


そのまま入滅ではないですが

イメージそのままの悟りびとを選ぶ人

『わたしは無い』なんていう枠にはめた状態で

生きていく人

絶望の淵を彷徨いながらさらなる悟りびとの

世界に旅立つ人


千差万別とはこのことで

人の数だけその道は存在するのでは

ないだろうか?と思ってしまうのです


私は無い

確かにわたしは無いんですよね

しかしながら肉体スーツを纏った以上

何々さんは確かに存在するのです


昨今の、いや昔からその傾向はあると

思うのですが、精神世界自体がどちらかというと

ビジネス界に取り込まれていて、その手段のひとつに

なっているのでそこから抽出していくのが非常に難しく

なっているのは否めないのですね


あっ、勘違いしないで欲しいのがですね

ビジネス自体は否定をしてるのではなく

大いに経済をにぎやかしてほしいわけで

ただそのなかで探求していくことは困難極まりない

という状態を言っているだけです


とはいうものの

これもまた通過点と捉えれば良いのだろうと

いやはやクエストのなかの通過点であり

多くの人に共通している社会からの

洗脳状態にいるからこそ、この道を辿る

ということなのですね


この社会からの洗脳は

世界を席巻したコロナの時代しかり

ふつうとされる人たちの(意識もそうですが)

中に潜むものと

ふと考えたときに


最近頓に増えてきている

所謂、発達障害といわれるようなひとたち

世間の常識からは若干逸脱しているひとびと

こそが社会からの洗脳から解き放たれた人種

であるのかな?


なんて頭の中を巡るのです

ここらへんはいずれ

別記事にて考察してみたいです


ある意味の洗脳状態である以上

このように考えていくと


【悟りって何?】


っていう思考自体が

やはり情報に左右されなく

自らが体験しているこの地球上

肉体スーツの世界で観た世界と

魂(スピリット)で観た世界の

融合の後に感じる世界だとわたしは

考えています

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