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悟りとか覚醒ってなんでしょう

今年から占い師1本で

本業をしていこうと計画して

当初の計画よりは数日遅れで

無事デビューしたわけですが


悩みました

まず名前から

いろんな名前を考えては

生命判断サイトに放り込んでは

没になり


最終的には

複数のサイトのどこでも

ほぼ満点の名前におちつき


世にお披露目する以前に

根拠のない自信と

必ず上手くいくという

確信が湧き上がりひとり楽しんでいました


ここに至るまでには

正直なお話

本質の自分と向き合う

悟ることや覚醒に関することを


より多くの探求するひとに

対して講座など

していこうと1年前には思いながら


講座のテキストも作りながらも

途中で頓挫してしまい

自分のなかの一番はなんだろう?


冷静に俯瞰してみると

占い師として書いてる記事の

アクセス数が半端ないことに

気がついて


まずは占い師として

ある程度まで名前が拡がったら

その時に、悟りや覚醒のことを

やろうなどと画策していたのです


結果は覚醒占い師という

新ジャンルが確立して

自分のやりたいことが上手く

ひとつにまとまったわけですが


覚醒占い師と名乗るからには

覚醒とは何なのか?

おさらいしてみたいと思います


そもそも悟りだとか覚醒の定義自体が

誰かの言ったことや本に書いてあること

に沿ってイメージが出来上がっているような

ふしもあります


多くのひとのイメージが

ひとつの悟りや覚醒の像を

創り上げているというのも現実です


わたしも探求し始めた頃なぞ

もろに誰かの言葉や

本の内容がそのままスライドして

思考していたと思います


昔に比べると、多くの情報が容易く

ネット上で得ることができる

便利でありながらその反面

別の局面も生み出しています


ちなみに、わたしが書いてきた、わたしの

体験談はわたしに起きたことです


また他の誰かが書いたり

お話していることも

それはその人の体験談ですから

人それぞれなんですね


なのでとても個人的な

体験であるのです

しかしながら全ては繋がっている


という奇妙な世界です


では魂(スピリット)の状態というものは

どうでしょうか


静寂と歓喜の

どちらもあるのですね

非二元という言葉だけに

囚われてしまうと


魂(スピリット)自体を静寂か歓喜の

どちらかに定義してしまいそうです

そのどちらもあるのですね


以前、わたしは

魂(スピリット)のわたしは大笑いの

状態と書きました


まさしく私の体験は

大笑いが止まらない体験で

感極まる歓喜の状態です


その一方で

凄く深い、物差しでは計りきれない

深さの静寂もまたそこなのです


ある意味二極のどちらも

在る状態です


1元でありながら2元でもある


こんな感覚が本来の

魂(スピリット)の状態ではないでしょうか


悟り体験や覚醒体験の後

わたしは、なぜこの肉体を持ち

地球に生れてきたのだろう

何をしにきたのだろう


と思いました

人生の目的ですね


最初のうちは

自分の内面を探究しながらも

やがてこの肉体を

持ちながら出来ること


しかも楽しみながら

それをするということを

選んできたのだと思いました


そりゃそうだ

わざわざ肉体を選んできたのだから

この肉体を持ちながら

何かをすることも自由なのです


覚醒とか悟る

ということは覚者であろうとか

覚者だと思っていたひとの

ふるまいを真似ることではないのです


体験を通じて自分自身が

本来のわたしという

存在に気がつくこと

そしてさらにそのわたしが


自由に生きることでは

ないでしょうか


わたしも長い間

悟りや覚醒という

既成概念に縛られて

足踏みをしていたように思います


また覚醒したから

悟ったからといって完璧な

状態なのかといえば


肉体のわたしである以上

そんなこともないのが

本当のところではないでしょうか


本人は気がついていなくても

素のままでもう覚醒しているような

悟っているような人も

沢山います


小さな子供

そのものなひとたちです


純粋に魂(スピリット)として

生きていることが

覚醒とか悟るということに

繋がります

















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