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2012年8月7日『大相撲札幌場所』

【中井祐樹Diary on Facebook 2011-2013】
かつてFacebookにて投稿していたコラムをまとめた旧「ノート」機能の廃止により、こちらに復刻リンク致します。
のちの拙著『希望の格闘技』(2014年刊行)の原型ともなりました。

10年前の201287日のコラム】
 夏が、夏休みが来れば思い出すのは、僕にとっては「大相撲札幌巡業」である。
 小学生の時分はほぼ毎年、札幌中島スポーツセンター(のちの中島体育センター別館)に見に行ったものだ。プロレスより生観戦が回数的に多かったのは親の趣味とも合致していたからに違いない。プロレスや、今で言うMMAよりは家族向きってことなのだろう。

 序の口、序二段といった下位クラスから横綱まで、もっと言うと朝稽古からしょっきり(反則技を紹介するコメディ。知ってます?)や相撲甚句(囃子唄のような…)までテレビじゃ映らない相撲のすべてが楽しめる一大イベントなんですね。
 超アイドル的存在の大横綱・北の湖や旭國、ほぼジモティーの琴若(知らねーか)ら北海道勢の応援に大興奮し、出羽の花や蔵間、若三杉、鷲羽山に見惚れる。力が貰えるような気がして、身体にもよく触りにいった。
 昭和の力士たちがホント大好きだった…。千代の富士がまだ細くてあまり強くなかった頃、よく覚えている。吊り出しは当時から素晴らしかったが。

 のちの1990(平成2)年に、同所で七大学の柔道大会が母校主管で開かれたとき、僕はひとり興奮していた。敬愛する力士たちがいた、その場所に立っていることに。僕は新技「逆膝乗せ返し」を七大戦初陣となる東大戦に投入した。当時の東大師範がとてつもなく高名な方だったのでそれにも奮い立っていたのだろう。
 裏返り過ぎて亀になられ、その試合は引き分けに終わったけれど、デビュー戦なのに大胆不敵な心で臨めたのは大相撲やプロレスに表現される不動心のようなものをずーっと見てきたからだ。間違いない。改めて感謝したいと、思う。

初出:2012年8月7日のウォール


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