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2012年9月23日『長谷川保夫氏』

【中井祐樹Diary on Facebook 2011-2013】
かつてFacebookにて投稿していたコラムをまとめた旧「ノート」機能の廃止により、こちらに復刻リンク致します。
のちの拙著『希望の格闘技』(2014年刊行)の原型ともなりました。

【10年前の2011年9月9日のコラム】

 本日は、僕が代表を務めさせて頂いている日本ブラジリアン柔術連盟の全日本NO-GI柔術選手権兼東京柔術オープン選手権が浅草で行われた。

 好試合の連続。日本柔術は等身大の進歩を絶えず継続している。関わっている皆様に改めて感謝したいと、思う。

 ところで。

 休憩時間中にお茶を買いに階下に降りた僕に白髪の紳士が
「貴方はレスリングか何かやってましたか」
と尋ねて来られた。明治大学レスリング部のご出身で、いまや伝説的な国際プロレスの営業をされていたらしくストロング小林やマサ斎藤(!)をプロレス入りさせた方だとおっしゃる。
 話していて僕は子供の頃以来の夢の世界へ…。

 柔術大会参加者がウォーミングアップで「タックル」の打ち込みをする姿におっ?と思われたのだそう。同じ会場で開催されていた台東区民空手道大会の来賓として来場されていたようだ。レスリングは少しですが…柔術です、と言ったらすぐに
「ああ、木村政彦さんと闘った…」
とわかって頂けた。嬉し過ぎます。

 エレベーター前で別れる前に2年半ほど前に「Gスピリッツ」で読んだインタヴュー記事を思い出した。あ、あの方だ…。

 長谷川保夫氏。力道山道場の練習生として通われ、国際プロレスの旗揚げに参加し営業職やリングアナウンサーを務められた、まさに「生き字引」。その当時の凄まじいエピソードの数々は「Gスピリッツ」Vol.14(2010年発行)に詳しいです。必読ですよ。

 僕は、MMAや柔術の人間だけれど、長い目でみれば長谷川さんの側にいるのかもしれません。あまりに心がうわずって、名刺も渡せませんでした。痛恨! 
 記事を改めて読み返すと都内で飲食店を経営されていらっしゃるようです。どなたかご存じでしょうか?

初出:2012年9月23日のウォール



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