2012年3月26日『現在・過去・未来』
【10年前の3月26日のコラム】
柔術大会の常打会場となっている駒沢オリンピック公園屋内球技場は1964年(昭和39年)の東京オリンピックのバレーボール競技のメイン会場として使用され「東洋の魔女」と謳われた日本女子代表チームが優勝した、あの伝説的な試合の会場である。
歴史的建造物と言って差し支えないだろう。(東京に震災が襲ってくるならかなり心配な感じだ。)リオデジャネイロのいにしえの柔術会場、チジューカ・テニス・クルービを彷彿させる味わい深さだ。
特に1階の事務所脇の更衣室やトイレ、会議室のあたりに来るとさながら昭和40年代にタイムスリップして来たかと錯覚しそうになる。「定点観測マニア」の僕にはたまらない瞬間である。
或いは、格闘技関係者の方々の間には、かつて慧舟會主催で開催された着衣の総合格闘技大会「トーナメント・オブ・J」が3度行われた会場として記憶に残っているかもしれない。
1996年3月と97年7月には菊田早苗選手が連覇し、97年12月の同大会では軽・中量級のトーナメントが行われ、軽量級では植松直哉選手が、中量級では須田匡昇選手がそれぞれ優勝している。すべてが、出場選手や関係者のその後のキャリアの礎になったはずだ。
余談だが、この時使用していたジョイントマットを大会主催者であった故・守山竜介先生(和術慧舟會東京本部代表=当時)から譲り受けたものが僕のジム、パラエストラ東京の初代マットとなったのだった…。この時期の慧舟會の試みを後発のブラジリアン柔術が受け継いだ、と見ることも十分可能だと思う。
他には全日本アマチュア修斗選手権の第5回大会が1998年8月に一度だけ同所で開催されている。これにも何らかの形で関わった人はきっと多いに違いない。
とにかく、総合格闘技を今よりいろんな角度から手探りした(できた)時代が思い起こされ、気持ちを改める("新た"める)ことができる。そんな時間も、やはり重要だったと思える。無駄なものなど、実はそんなにない。いや、無駄こそ必要、というか。
身の回りに起きるすべての事象は、次に生かすことができると、僕は考えている。ポジティブにひたすら、進もう。
初出:2012年3月26日のウォール
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