見出し画像

#3 中井祐樹と柔術~第二章~


本日のテーマ

本日テーマは、前回の中井祐樹と柔術との遭遇の続きで”プラジリアン柔術ルール”にチャレンジを始めた頃の話です。

時系列

96年10月
VTJ’96で『日本最弱』の汚名を着せれれた修斗が『失地回復』と銘打った興行。
同年7月の全日本アマ修斗ウェルター級決勝の桜井マッハ速人vs宇野薫のカードがそのままのカードでプロデビュー戦。
その大会で、同年に開催された第1回ムンジアルの青帯メイオペサード級で優勝したイーゲン井上とのエキシビジョンに白帯を巻いて出場。

96年同月
ホノルルグレイシーオープン出場の際に、白帯でエントリーしようとしたところ、へウソン・グレイシーから青帯でエントリーしろとの事で、へウソン・グレイシーから青帯を認定。
青帯ミディアムライト級にエントリーして優勝、試合後へウソン・グレイシーから紫帯を認定。
※今は青帯から紫帯に昇帯するのに2年の修了期間が必要だが、当時はなかった。

96年11月
骨法の祭典【他流試合B-1】で後にパラエストラ東京に入る阿部和也選手と柔術のエキシビジョンマッチ。

97年3月
パンアメリカン柔術選手権 紫帯ペナ級で優勝。

97年6月
ジョーモレイラ杯 紫帯ペナ級で優勝。

97年7月
第2回ムンジアル
紫帯ペナ級でベスト8
黒帯ではホイラーが優勝。

97年10月
ブラジレイロ(ブラジル選手権)に出場。
紫帯レーヴィ級で3位。
カーロス・グレイシーJr.より茶帯に認定。

97年12月パラエストラオープン

98年3月
パンアメリカン柔術選手権に出場
茶帯ペナ級で優勝

98年10月
ブラジレイロ(ブラジル選手権)に出場。
茶帯ペナ級で2回戦敗退。

99年3月
パンアメリカン柔術選手権に出場
茶帯ペナ級で3位。
カーロス・グレイシーJr.より黒帯に認定。

99年7月
黒帯になって初のムンジアル
フレジソン・アウベスに2-4で敗れる。
カーロス・グレイシーJr.より日本連盟を任されることになる。

『柔術のマットの上で行われていることは柔術だ』
カーロス・グレイシーJr.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?