小田原から吉祥寺にかけて雷雨(9/8~9/14)

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文章のラベンダー畑へようこそ!是非ゆっくりしていってくださいね!

9/8(火)曲を作っています

曲を作っていました。詰め合わせたものを置いておきます。

6曲入っていますが、どれもまだ作りかけで完成していません。出来ているところだけを繋ぎ合わせた、ツギハギのエプロンです。ツギハギのエプロンを着ているのが俺で、その俺がこの音声ファイルということです。

俺は元来、一つのものに集中できない性格です。複数のタスクを並行で走らせ、それぞれを少しずつつまみ食いしては全体の進捗を押し上げる、そういうスタイルで生きてきました。このnoteだってそうです。毎日1本の日記を完成させるのではなく、7日間かけて7日分をまんべんなく書きあげています。

「一つだけに取り掛かると、それが完成するまでに飽きてしまう」という問題に対する俺なりの解決策です。Aを進めて、飽きたらBを進めて、Cをちょっと直してからAに戻る。そうやってモチベーションを保ってきました。しかし、この制作方法は「どれもが中途半端なまま投げ出される」という可能性を抱えています。これは重大な問題です。20%を5つ出すより、100%を1つ出さないと意味がないのだから。そう書いている今でさえ、俺は合間合間にスプラトゥーンを4戦挟んでいるのです。1勝3敗。何か一つだけ、そんな集中の仕方は一生出来ないのでしょう。

果たして俺は死ぬまでに、いくつのものを100%まで仕上げることが出来るのでしょうか。この「俺は」は、「みなさんは」でもあるのですが。



9/9(水)旅行の計画

旅行の計画を立てるのが好きだ。というより、計画を立てないと気が済まない。

幼少期を思い出してみると、父はあまりにも無計画な人間だった。年に2,3回は家族旅行をするのが恒例だったが、旅行のプランを聞くといつも「父さん得意の行き当たりばったりよ」と誇らしげに返事をされた。行き当たりばったりの、何を誇ることがあろうか。

父は、食事はおろか宿泊先ですら計画しなかった。車で「山」やら「ダム」といった広義すぎる観光施設を回り、夕方過ぎるころ、ようやく目ぼしい旅館に電話をし始める。母を筆頭とした我々反乱軍は、「また始まった」と車内で愚痴を言い合った。

「ぜーんぶ計画してると、こんな店見つけられないだろ?」父は蕎麦をすすりながら得意げに言う。行き当たりばったりで、掘り出し物を見つけるという経験こそが旅行の醍醐味。これが父の言い分である。

が、それは幾度しかない成功体験に酔いしれているだけである。インスタント麺をそのまま出すラーメン屋や、階段を登るだけで建物全体が揺れた旅館などの苦い思い出たちを無視しているだけ、カウントしていないだけなのだ。父の旅行はギャンブルと同じ。トータルではマイナスなのに、それを無視し、数えるほどしかないプラスの幻影を追い求めている。

そんな反面教師が身近にいたことで、俺は大人になるころ、れっきとした計画マンになってしまった。飯はここ、宿はここ、買い物はここ。この順番で回って、ここで一服します。そんなことを何日も何週間もかけて事前リサーチするのである。俺はこの時間がとんでもなく愛おしい。雨は降るだろうか、アーケード街を調べておこう。晩飯は豪華だろうか、昼は軽めにしよう。食べログと一休とGoogleレビューを併用して、候補の店を品定めする。たった1泊2日の旅行を、1ヶ月もの間楽しんでいるのだ。

とはいえ俺は、ガチガチに縛りきってしまいたいわけではない。飯は2軒ピックアップしておき、「あとは前通って決めよっか」で保留にしておく。これこそが旅行の本当の醍醐味である。その日の食べたいもの、それぞれの店の混み具合、そして何よりノリで決める。ノリは旅行にグルーヴをもたらす。俺の旅行計画とは、車のハンドルでいう「遊び」を残しながら、それでいて合理的に動くことである。親父から受け継いだ行き当たりばったりの遺伝子は、俺の合理的プランと合わさり、完璧な旅行を生む。

兎にも角にも、合理的に生きるにはルート選びが肝要である。飯と買い物と水族館と温泉。これを俺は一本の道で繋ぎたいのだ。どれだけ飯が美味かろうが、どれだけ風呂が絶景だろうが、一瞬でも(あっ……この道引き返すのか……)と思ったが最後、俺は道中ずっとそのことを考えてしまう。父親のアドリブ旅によって培われた、悲しい性である。

温泉の道中に水族館があれば、水族館に先に寄るべき。たったこれだけのことを徹底するだけで、あの憂鬱な気分にならなくてよくなる。そしてそのルート選びは、当日までにたっぷりと悩むことができるのだ。であるならば、たっぷりと悩んでやろうではないか。俺はこの先の人生、もう二度と「ここ通ったな」と思いたくないし、同行者に思わせたくないのである。ケーニヒスベルクへの旅行は俺に任せてくれ。

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などというようなことを先輩に話したら、「全部タクシーで回ればいいじゃん」と言われた。先輩は副業として会社経営をしている。副業として会社経営をしている人とは話が通じないので決して会話しないように。




9/10(木)多摩讃歌

友人たちと酒を飲んだ。場所は近所の鳥貴族である。

以前までは都条例を守って22時に閉店していたのに、いつのまにか深夜2時まで営業となっていた。この街は東京都ではないらしい。そういえば先日、まだ鳥貴族が条例を遵守していたころ、22時に追い出された俺達は代わりの店を探して、とある居酒屋にたどり着いた。おしぼりを出してくれる店長に「いまどこも22時で閉まっちゃうから助かりましたよ~」と言うと、「え?なんで22時で閉めるんですか?」と驚かれた。やっぱりこの街は東京都ではない。

俺はこの街のことを知っているつもりだ。が、この街が東京ではないのであれば俺は東京のことを何一つ知らない。大学卒業後、関西から上京し、職場に近いからという理由で選んだこの地にずーっと住んでいる。ここは多摩地区。23区から外れた、東京ではない場所。

多摩には何があるか。何もない。何もないが、緑だけは無数に溢れている。オフィス街にぽつねんと点在する「これでも見て目を休めなよw」という趣旨の、舐めた公園なんかではない。多摩には本気の田んぼがある。俺たち人間にとって本当に有用な緑とは、誰かが生きるために植えられたもののことであり、「まあまあ落ち着いてw」とシムシティのプレイヤーが植えた植物のことではない。コロナの影響で窓が空いている中央線。新宿から西に向かっていくと、ある地点から明確に青臭さが立ちはじめる。それこそが本物の緑であり、そのちょうど境目に俺は住んでいる。

俺はこの街を溺愛しているわけではない。この街に骨を埋めるつもりはないが、とはいえ、今すぐ引っ越したいということでもない。腐れ縁のような関係だ。そんなこの街で、22時以降も酒を飲み続ける。

最終電車に乗る友人を駅まで見送る。「終電、30分早くなったらこの時間まで飲めないね」という会話を交わす。ただでさえ東京でない俺たちは、2021年春、更に東京でなくなる。




9/11(金)昼食とタバコ

帰宅直後、布団に入ってごろごろしているといつの間にか23時になっており、そこで初めて丸一日何も食べていないことに気付く。

昼夜の2食が俺の普段の生活リズムだ。ここ最近の昼食はというと、会社から6,7分歩いた先にあるドトールでミラノサンドを食べるのが定番となっていた。が、そのミラノサンドが、今日、体内で完全に飽和した。「もうミラノサンドのAもBもCも受け付けません」と身体が叫んでいるのだ。そのSOSを聞きつけた俺は、Cの「スモークチキンと半熟たまご ~味噌ジンジャーソース~」を差しかけた指を引っ込め、アイスコーヒーだけを注文した、という次第である。

ではドトールではない店に入って飯を食えばよいのではないか。否、俺の昼飯はタバコなのである。俺は毎日毎日タバコを食っている。タバコはタンパク質、脂質、炭水化物がバランス良く含まれている完全食であり、ミラノサンドはそれに添える副菜に過ぎない。「タバコは万物の長」とはケンドーコバヤシの言葉であり、俺はそれを信じる。テレビに出ている人で嘘を吐く人はいない。

にもかかわらず、東京都は4月から職場の喫煙所を廃止し、街の喫煙所を廃止し、俺に死ねと言ってきた。俺は税を納めているのに、都の一員ではないらしい。であるならば次の都知事選では、投票所の真ん中にどかっと座り、投票用紙でタバコ葉をくるみ、投票箱を灰皿にし、灰票を投じるのみである。誰に入れても東京でタバコが吸えないのであれば、これが俺の答えだ。


先端に火を点けた瞬間、自然に開いた投票用紙からまだ燃焼する前のタバコ葉がヒラヒラと滑り落ちた。

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ともかく、東京でタバコが吸えないので毎日ドトールに逃げ込む。なぜならここは治外法権だからだ。カタカナなのでアメリカかどこかの企業なのでしょうか?日本の法が適用されていないので助かる。

平日、昼間のドトールは大変混みあっており、「コロナにより3人まで」と書かれた喫煙ブースには5人のサラリーマンが並ぶ。全員が脱法を求めている。そしてその6人目が俺だ。汗水垂らし、夏のオフィス街を歩き回り、汗臭い格好で男どもがドトールに詰め寄る。狭いブースで身体を捩りながら、タバコを食べて今日も生活をしている。




ドトールを出た瞬間に禁煙外来の病院に電話し、受診の予約を済ませた。こんな状況でタバコなんて吸ってらんねーだろ。俺は主食を断つ。




9/12(土)罪と罰

郵便局に行く用事があったにもかかわらず、数日間放置していたら土曜日になってしまっていた。時間は勝手に進む電車であり、「昨日降ろしてくれれば良かったのに」と文句を言っているのが俺である。

電車の先頭車両で一生懸命足踏みしても早く到着しないように、同じ電車に乗っている俺達はまったく同じ時間を過ごしている。誰かが特快に乗っている、誰かが各停に乗っているといったことはない。ただ、ちゃんとしている人は降りるべき駅で降り用事を済ませ、出発するまでにまた乗りこむ。そこで差が生まれてくる。始発から終点までぼーっと呆けるだけの乗車体験になるかどうかは、乗客次第である。

俺はというと、手に持ちっぱなしのレッドブルの空き缶をうざったく思いながら、スマホ操作を優先するためにつり革も持たずドアにもたれ掛かっているだけの日々である。さきほど駅に着いたは着いたが、急いでゴミ箱に向かい、レッドブルを捨て、戻り、今度はつり革を持ちながらSNSを巡回している。そして日付が変わったころ、先ほどの駅が「郵便局用事済ませ駅」だったことに気づき、「昨日降ろしてくれれば良かったのに」と文句を言っているのが俺である。


仕方がないので、土日もやっている郵便局に向かうため隣駅まで歩く。俺の怠惰という罪、それに対する罰がこの徒歩という刑務作業である。罪と罰はいつの時代もセットであり、そして面倒くさい用事と雨もセットでやってくる。俺は罪人、そのどちらも受け入れる。

11時、郵便局着。俺の前で5人ほど待っている。番号札を貰うためにイヤホンを外すと、遠くで椅子に座ったおじいさんが大声で電話をしているのに気付く。「じぃじだよ」と名乗った彼は、電話先の誰かの住所をメモしていた。なにやら町のなにやら-3-6に住んでいることだけは分かった。相手が詐欺グループでないことを願う。

13時、喫茶店に入る。休日はよく喫茶店に入り浸たっている。が、平日もドトールに通っているので結局俺は毎日喫茶店に行っていることになる。

休日に喫茶店に行く理由は「このまま家に居ると休日がなくなる」という、あまりにも消極的なものだ。何か作業をやるわけでもない。今となっては珍しい、席でタバコが吸える喫茶店でタバコを吸い、ぼーっと呆けるだけである。木陰で風の吹くテラス席には、カップルの言い争いと外国人同士の談笑と子供の泣き声が延々と響いていた。外していたイヤホンを再度装着する。何もしないためにここに来ているのは俺しかいなかった。


夜、家に帰ると干しっぱなしにしていた洗濯物が雨曝しになっていた。慌てて部屋に取り込み、サーキュレーターをMAXにして忌むべき部屋干しを開始する。これは俺のどの罪に対する罰なのだろうか。一体全体、どの罪がどの罰に対応しているというのだろうか。なにかそういうのまとめたpdfみたいなのあります?じゃないと何処から正せばいいか分かんないですよね?言ってること分かります?




9/13(日)丸亀製麺におけるたった一つの正解

うどんは冷たければ冷たいほうが美味い。

にもかかわらず、平安時代、空海のバカがよりにもよって「飩」という字で日本に持ち込んでしまった。空海のバカ、黙って宗教だけしてればよいものを、飯業界にもいっちょがみしてきた。空海のバカのせいで、今日も丸亀製麺では温かいうどんが売れ続けてしまう。平安から令和までずっと。空海のバカのせいで。

俺はそんなお前らの釜玉の椀に一石を投じる。うどんは冷たければ冷たいほうが美味い。うどんとはすなわちコシのことであり、そのコシは冷たいうどんで最大限に発揮される。だからうどんは冷たければ冷たいほうが美味い。聞いてるか?空海。

例えばお前らが店内に入り釜玉を注文した瞬間、店員が湯から麺を取り出し(※1)、量り、卵と絡め、提供する。受け取ったお前らは天ぷらを悩み、前のジジイが財布取り出しにもたつき、お前らはお前らで丸亀製麺アプリの「お好きなうどん 100円引き」クーポンの提示にもたつき、会計、ネギと天カスを盛り、空いているテーブルどこかなを経て着席。おっと水を忘れていた、取りに行き、戻り、しょうゆをかけ、混ぜ、ふーふーふーふーふーぐらいした後に一口目を食す(※2)。

※1から※2まで、お前らがぼーっとしている間うどんはコシを失い続けている。温かいうどんとはコシを失い続ける電車であり、「さっきのコシがあった駅で降ろしてくれれば良かったのに」と文句を言っているのがお前らである。「それがよい」というのであれば俺は何も言わない。何も言わないが、俺は冷たいうどんを頼むことで※1の直後に「冷水で締める」という行程を挟む。これによりうどん快速コシ無し行きは完全に停車、俺という特快との待ち合わせをさせるのである。

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俺は上記の形をしたグラサンをかけて丸亀製麺に向かう。これでブルーライトと温かいうどんをカットする(とろろを乗せたうどんも映らない。とろろはキモくて食えない)。ここでメニューを改めて吟味する。いつものにするか、新商品にするか。吟味に吟味を重ねる。後ろで待っている人がイライラしないギリギリまで吟味する。するとそうこうしているうち、天ぷらゾーンのさらに奥、IH調理場からよい香りが漂ってくるだろう。

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2016年、丸亀製麺の全店に導入されたIHコンロ。俺はこれを「偽りの調理場」と呼んでいる。読者諸君に、はっきり言っておく。ここから香ってくる焼肉やらなんやらの匂いに、騙されてはいけない。

うどんは冷たくないと美味くない。これは世界の常識で、丸亀製麺の上層部も痛いほど理解しているはずなのに、それなのにあいつらは「冷たいうどん」の上に「できたての焼肉」を乗せる(※3)。平気で乗せる。するとどうだろうか、焼肉は冷め、うどんは温まる。互いに足を引っ張り合っているのである。

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(※3 こういうやつのこと)

そもそもこのIHゾーンは、丸亀製麺が「できたてですよ」と必死にアピールする、「やってる感」の演出のために作られた設備のほかない。そう、彼らはオナニーで肉を焼いているのだ。

麺は茹で置き、つゆはかけるだけ、揚げ置きの天ぷらを勝手に取っていってね。これでは”作った感”がない。そう丸亀製麺は悩んできたのだ。「俺たち、ちゃんと作ってるよな?」「うん、大丈夫大丈夫」と自分たちに言い聞かせて調理してきたのだ。しかしとうとうその劣等感が爆発し、全店にIH調理場を設置させた。彼らは、答えのない「作ってる感」を求めているのだ。

だが、俺たちが必要としているのは、本当に「作ってる感」なのだろうか?

本来、うどんとはそこまでする必要がない食べ物ではないだろうか。本場香川のうどん屋なんて注文から一口目まで30秒とかからない。そう、うどん屋には矜持、いや自我すら必要ないのだ。「作ってる感」?否、むしろ「冷たいものは冷たいまま食え」、これこそがうどん屋の本当の矜持なのではないだろうか。

俺はカバンにぶらさげた「IH必要ありません」のバッヂを見せ、ぶっかけの冷の大を頼む。お盆をスライドさせながら、IH調理場を睨み、小銭をうどんの上で渡してくるレジ店員を睨み、着席し、10人ほどで騒ぐ部活帰りの高校生を睨む。

ぶっかけの冷の大を、全方向へ向けた殺意を纏いながら食う。これが丸亀製麺におけるたった一つの正解である。空海、分かったか?




9/14(月)小田原から吉祥寺にかけて雷雨

何も特筆すべきことが起きなかったので、代わりに、書きかけていた6月7日の日記を載せます。

"日記"の言葉の意味に厳しい人「おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

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朝7時に家を出る。小田原までの2時間は毎回心が折れる。薬のせいで身体がだるいし、頭痛で眠れていないまま電車に乗るからだ。

なぜ小田原に向かっているかというと、俺は群発頭痛という持病を持っており、小田原には頭痛医学の権威がいる。病気三段論法である。普段は都内の病院に通院し、症状が酷くなった際は小田原で治療をしてもらう。初めて権威と会ったのは3年前で、そこから何度かお世話になっている。

7時半、駅ナカのドトールで朝飯を済ませ、湘南新宿ラインの快速に乗る。武蔵小杉に差し掛かったあたりで電車の揺れが強くなり、怖くて不安になる。速すぎる電車は好きではない。イヤホンで耳を塞ぎ、関西に住んでいたころを思い出す。

阪急電車の特快、西宮北口から梅田までの間がとても嫌いだった。大きな揺れと速すぎるスピードもそうだが、なにより対向車両とすれ違う際に響く爆音が嫌いだった。車両同士の間隔が狭いからだろうか、ドアにもたれようものなら爆圧で5cm身体が浮くほどである。俺は阪急電車のど真ん中で仁王立ちして腕を組み、平静を装う毎日であった。

9時半、ようやく病院に着く。目的の病院は様々な科が併設された総合病院で、受付には長蛇の列が出来ていた。土曜日はどの科も午前中しか診察をしていない。脳神経外科の前まで行くと、既に20人ほどがベンチに座って診察を待っていた。

土曜日の脳神経外科は心が落ち着く。若いサラリーマンや学生がちらほら見受けられるからだ。これが平日であれば、ひとたび待合室はババアとジジイに占拠される。診察室からはババアの爆音の世間話、受付ではジジイの爆音の聞き返しである。

それに比べて今日の脳神経外科はどうだ、平穏すぎる。おばさんのスマホカチカチが少しだけ気になるくらいだ。長く伸びた爪が画面を叩き音を立てる。あまりにも両の人差し指で一点を連打するので、「スネアロールのアプリですか?」と訊ねると、「そうです」と答えられた。俺はカバンからサックスを取り出し、脳神経外科ビッグバンドの結成である。

どうやら診察の前にMRIで脳の輪切りを撮るらしい。用意された服に着替えて機械の中に通されると、首にかけたままだったサックスが磁力で宙に浮いた。

20分ほどMRIの爆音に耐える。耐えているうち、耳栓の向こうからうっすらピアノアレンジされたカントリーロードが聞こえた。が、どうもハウス風のドラムが不自然に大きすぎる。注意してよくよく聞いてみると、ピアノとドラムのテンポが全く合っていない。つまり、カントリーロードとハウス風ドラムはそれぞれ別の音源で、それぞれ別のスピーカーから流されていることになる。はたしてなんの目的があるでしょうか。”何の曲流すか会議”で意見が丁度真っ二つに割れたのでしょう、それぞれの騒音に耐える。

撮影が終わってからも30分ほど待ち、ようやく診察室に通される。入ると、ギリギリまで顔を近づけてMRI画像とにらめっこする先生がいた。70歳くらいだろうか、彼こそが頭痛の権威である。早口で、それでもニコニコといつもどおりの応対をしてくれる。MRIの結果、特に別のヤバい症状はなく、毎度おなじみの頭痛ですねと診断される。権威は大きな大きな医学書を取り出し、こちらからも読めるようにページを開いた。ギリギリまで本に顔を近づけ「この薬は有効度Aだから試してみよう」と言うので、「Bですね」と訂正した。首元に神経ブロック注射を打ってもらい、診察を終えた。

13時、薬局で薬を受け取った後、目星を立てていた小田原おでん屋に入る。駅まで戻る道中にある店だ。奥にも席があるようだが、どうやら客はカウンターの俺1人らしい。

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牛すじ丼を半分ほど食べ終わったころ、暇に耐えかねたのか店員のお兄さんが喋りかけてきた。曰く、普段は予約でいっぱいなのに、今日は俺が1組目の客らしい。東京から来たんですよ、と言うと彼は、

「小田原はなにかのついでで来るところだからね。箱根のついで、熱海のついで。それが今は県跨げないからさ。東京からの人が来なくなっちゃったら、お店やってけないね」とおでんのつゆを足しながら言った。

東京から来たと言ってしまった手前、本来感じなくてよかったはずの居心地の悪さを感じる。あなたの目の前でおでんを貪る男は、そのやっちゃいけない県跨ぎをしてここに来た男なのです。とはいえ、2時間かけて病院に来たんです、とも主張しづらく、観光で来たという嘘も吐けないので、モゴモゴした言葉たちをがんもどきと一緒に咀嚼した。お兄さんはこちらの気まずさに気付いたのか、ごめんね、ゆっくりしてってね、とお茶のお代わりを入れてくれた。

14時、小田原城を散策した後、近くの温泉施設に入る。

いつも飲んでいる鎮痛剤は、血管を収縮させて頭痛を治める。そのため頭痛の時期は毎年肩こりに悩まされる。だからしばしば肩こりを解消するために風呂に入るのだが、長風呂しすぎると血管が膨張し頭痛が起きてしまう。頭痛で肩こり、肩こりで風呂、風呂で頭痛。最悪の三すくみによる病気ジャンケンである。俺はもう何年も、自分の身体と病気ジャンケンを続けてきた。皆さんはどうか温泉の手だけを出し続けて生きてください。

露天風呂でぼんやりとしていると、空が光り遠くで雷鳴が聞こえた。この遠くとは、俺が帰る東京のことだろうか。内湯に戻るころには小雨が降り始めていた。

脱衣場に出ると、真っ裸のジジイが清掃のお兄さんに話しかけていた。「こういう時はパンツ履くんが先かね?マスク付けるんが先かね?ガハハ!」と捲し立てる。最高である。「ま、パンツが先よね!コロナより金(きん)が大事か!ガハハ!」俺はこれを聞くために小田原に来たのであった。このジジイに出会うことこそが、要であり急だったのだ。

16時に小田原を発ち、18時に吉祥寺の美容室に向かう。なにも、遠出をした帰りに散髪することはないだろうとも思ったが、仕事の都合で一度キャンセルしている以上、再び延期するのも申し訳なく、無理のある計画になってしまったというわけだ。俺は優しい怪物。受付を済ませたあとトイレに行くふりをして、首筋に貼られていた絆創膏をこっそり剥がす。

4ヶ月ぶりの散髪は大変な大工事だった。店内には、俺と同じく「もう我慢ならん」といった人たちで溢れかえっていた。美容師曰く、緊急事態宣言が解消されてから連日予約でいっぱいとのこと。外出してもいいよ、となったとき人は真っ先に髪を切る。小田原のおでん屋はその次であったというだけだ。もしかしたらこれは大規模な社会実験なのかもしれない。

一応お願いします、とセットしてもらった髪は、土砂降りの雨ですぐにグチャグチャになった。肌に纏っていた温泉の効能は流れ落ち、ゴポゴポと逆流を起こす側溝へと吸われていった。雷鳴は露天風呂で聞いた時よりも近く感じて、まるで俺が小田原から吉祥寺まで雷を追いかけて来たように思えた。

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