キャリア官僚とノンキャリ官僚

 「キャリア官僚」というのは不思議な職業だと思う。事務系で入省すれば、仕事の半分は国会対応で、質問を聞きに行き、質問の形に文字でおこし、それに対する回答を作成する。数時間で幹部のチェックまですべて終えるので、回答への作成時間なんて、精々30分。これまでの言い回しから外れず、とはいえ質問にしっかりと答えている体を保てるよう、必死で言い回しを考える。もちろん、30分で下っ端が作成するので、新しいことなど何も入っていない。何を言われてもこれまで通り。「調査すべきではないか」と言われれば、「まずはしっかりと今の対策に万全を期してまいりたい」。「見直すべきではないか」と言われれば、「見直しについては、〇〇においても××とされているところであり、こうしたことも踏まえつつ、国民にとって真に必要な仕組みとなるよう、必要な見直しを行っていきたい」である。要は、「調査しろ」と言われたら、「今まで通り頑張ります」、「見直せ」と言われたら、「これまで決まっているスケジュールで頑張ります」と答えているが、30分で作成しろ、と言われたらこの程度しかできない。

 何度も同じことを言われて、幹部が腹をくくるようになると、「どのような調査が必要か検討したい」と答弁がレベルアップし、本当に調査しなければならない感じが漂うようになる。「見直し」についても、同じく「ご指摘の問題点について、どういった対応が可能か検討してまいりたい」となる。その後、「先生からも強く言われていますので」と国会の議事録を持ちつつ関係各所を回り、必要な予算の確保と対応の方向性の了解を得つつ、真面目に動いていくことになる。

 一方で、その「調査」やら「見直し」やらが政治マターとなると話はとても厄介で、何を言われても「やりません」という答弁を繰り返すことになる。何かを「調査すること」「見直すこと」には、一般的に「やらない理屈」はつかない。なぜなら、予算や労力を度外視すれば、調査すること、見直すことは一般的に正しいからである。国会議員が指摘するということは、それは本人が「重要だ」と思っていることに他ならないため、「いや予算や労力に見合いませんよ」なんて答弁は絶対にできないし、そんなこと口が裂けても言えない。こういう問題は、幹部が直接乗り込んで、問題意識を聞き取ったうえで、膝を突き合わせて調整していただくほかない。与党ならそれでいいんだけども、野党の指摘で、かつ、それが微妙な問題への対応の場合だと、誰も調整などしてくれないし、「こんだけこだわってるんだから調査なんてやればいいじゃねぇか」とみんな思っていても、調査結果がろくでもないこと、例えば、与党肝いりのこれまでの政策への否定につながりかねない結果がでることが予想されると、もう何を言われても与党の先生との関係で「やりません」としか答えられない。こうなると、国会が地獄と化すわけである。


 大体50問くらい自分で作ると、どの部署でも答弁を作れるようになる。主に答弁を作るのは係員~係長なので、20代~30代前半くらいの職員が日々夜なべをする。これまでのラインから外れることなく、とはいえ、聞かれたことにきちんと答えているように見える答弁を作成するのは、意外と特殊技能であり、しっかりと係長までに身につけないと、後から「答弁がかけない補佐」という、本人にとっても課にとっても地獄みたいな存在が誕生することになる。正直なところ、最近では、係長・係員の下働き、例えばE-Govとか文書開示請求とか主意書とかの普段が重すぎて、国会答弁を書いている暇などなく、補佐が答弁を書くようになった結果、係長・係員の答弁作成能力が落ちているなんて話も聞く。そうすると、数年後は課長が答弁を自ら書く事態になるのだろうか。それはそれで楽でいいんだが、まぁうるさい課長だと、部下から上がってきた答弁に大きく×をつけて自分で書きはじめるので、それは今でも人によってはそうなんだろう。

 答弁を書いて、必要な決裁ルートを経ると、印刷・セット組というこれまたクソ面倒くさいことをやらされる羽目になる。ただ、この手の仕事は、キャリアではなく、ノンキャリの若い人たちがやってくれることも多い。彼らは、自分で答弁も書かないのに、最後の最後まで残って答弁を印刷してセット組するという不毛な業務を担わされるため、実はキャリア官僚以上に若いときは不遇である。いつぞや「家ついていっていいですか?」で経産省のノンキャリが出ていたと思うが、彼が担っていたであろう業務が、まさにこれである。

 セット組ってそんなに大変なの?と思われるかもしれないが、5人の議員から10問ずつ、1日50問被弾すると、50の答弁に順番とインデックスをつけて、大臣、副大臣、政務官、局長等10数のセットを作成しなければならない。これは相当に面倒くさい。ノンキャリで国会対応があるポストに行かされると、残業時間が過労死ラインの2倍に到達しうるくらい「職場にいなければならない」ため、彼らはほとんどが20~30代の男性が担うことになる。さすがにこんなところに女性を配置できないという切羽詰まった事情だろうが、そうすると、同じ職種で同じように入省したにも関わらず、国会対応をしている同期の男は本当にふらふらになるまで職場にいて異臭を発している傍ら、人事や庶務に配属となった女性は毎日定時帰りという、地獄と天国が同居するような状況になる。

 ノンキャリにとって、国会対応はキャリアの下働きであり、キャリアがあほみたいに疲弊している以上、ノンキャリはそれ以上に疲弊する構造となっている。しかも、キャリアには留学というご褒美&キャリアアップチャンス、大使館勤務や地方自治体での課長ポストが用意されている一方で、彼らにはそれがない。彼らにとってのご褒美ポストは、本省の中での、原係という制度を所管する係か、地方であるが、地方などめったに出れないので、本省の中の「それほど忙しくないポスト」が実質的なご褒美となっている。とはいえ、何かあれば当然地獄と化すし、何もなくても担当としての国会待機はしなければならないし、ご褒美といえるほどのご褒美ではない。キャリアに比べ給料は安くご褒美もなく、とはいえ国会対応をさせられればクソみたいに働かされ、しかもこの業務負担は男女での不均衡はなはだしい。国家一般職が不人気な理由はおそらくここにあるだろう。

 正直なところ、国家一般職になるなら、市役所に行くか、県庁を受けたほうが絶対いい。都心の有名私大出身が担っていながら、これほど報われない仕事はなかなかないのではないか、と思われるほど理不尽である。女性で国家一般職であれば、国会にはよほど運が悪くない限り回されないので、正直なところそれほど悪くない仕事だと思うが、男で国家一般職で本省でなんて、近くで見ていた身としては、あまりにも悲惨で、とても人様にお勧めできるような代物ではない。

 ぶっちゃけて言って、国家公務員は階層構造になっているので、「キャリア官僚」ばかり注目されているものの、実はキャリア官僚の待遇そのもの自体は、それほど悪くない。なぜなら、キャリア官僚の待遇がイメージほどに悪いものであれば、その下のノンキャリの処遇はさらに悪いものにならざるを得ず、もはや大卒の人間を集められるほどの魅力を持たなくなってしまうからである。言い換えれば、ノンキャリで有名私大の大卒が集められる程度の処遇が確保されており、キャリアはそれにさらに下駄を履かせている状態となっている。給料でいえば、大体30歳で550万程度(残業なし)~700万程度(残業月50時間くらい)、35歳で700万~900万程度、40歳で1000万超であり、決して安くはない。さらに、キャリアの4人に1人は留学の機会が与えられ(財務省はほぼ全員)、2年間で、就業を完全に免除された上で、学費や給料・手当も払われ、これにより「たとえ家賃がクソ高いニューヨークでも妻子連れで留学」という夢のような生活が実現できる。これは誰がどう見ても破格である。また、地方出向、大使館勤務、国際機関勤務、民間出向等もあり、係長~補佐なりたてあたりで留学すると、帰国して2~3ポスト(3~4年くらい)本省で頑張れば、またこれらのうち1ポストくらいには派遣してもらえる。

 数えきれない徹夜や理不尽にあいつつも、そうは言っても役人を辞めないのは、係長~補佐クラスで、苦痛を補うだけのご褒美が用意されているからである。一方で、最近増えている「若手の離職」は、「いや留学なんて興味ないし、地方とか海外とか行きたくない、というか妻の仕事でいけないし、ご褒美の意味ないんですけど」という人が増えている証左でもある。結局、本省でご褒美を全く用意できないので、外部の機関への派遣を通じてしか本人を休ませることができず、共働きで移動制限がかかった瞬間に、ご褒美の意味が霧散するのである。留学も4人に1人いけるということは、4人に3人は行けないことと同義であり、それなりのボリュームゾーンが留学に行けることは、一定層にとっての将来の餌にはなったとしても、最初から諦めた者、興味がない者にとっては、離職をとどまる要因にはなりえない。「ただただ無心で勤めればリストラにもあわず祝日は休め人並み以上の給料はいただける」という事実はありつつ、もともとキャリア官僚になろうという人間の多くにとって、心を殺したロボットのような道を選ぶことも耐え難いのか、もともと実家が金持ちでそこまで給料に執着がないのか、たとえ給料が下がろうとも民間に活路を見出そうとするのである。

 正直なところ、ご褒美があるとはいえ、国会対応のノンキャリより拘束時間が少ないとはいえ、それなりにこの仕事は辛い。残業が100時間というのは、間違いなく体調を崩すし、家族との時間も平日は崩壊する。残業が200時間になると、休日ですら家族と会えなくなる。いくら先にご褒美があろうと、その時点時点で辛いことはごまかしようがない。この仕事の「コツ」はおそらく耐えること、なるべく心を鈍くすることだと思う。国会が被弾しても、「まぁタクシー帰りでも仕方ないかな」、国会議員に何を言われても「明日の国会も大変そうだけど、また数日頑張れば土日がくるなぁ」、休日出勤になっても「まぁ休日ならタクシーはないかな、朝も少しは寝れるかな」と、いついかなる時でも諦観を忘れないことである。あるいは、国会対応のノンキャリが死にそうな状況でも、「大変だと思うけど、そういうポストから仕方ないよな」、死にそうな同期を見ても、「大変だな、でも、自分じゃなくてよかったな」。

 なんで自分が家族に会えないのか、なんでこんなに言われなければならないのか、なんで体調を崩してまで働かなければならないのか、なんで寝れないのか、なんで自分の時間すら持てないのか、なんであの人はこんなに働かなくてはならないのか、なんで誰もあの人を助けようとしないのか、なんでこういう不幸な人を毎年のように作り出すのか、こういう普通にわいてくる感情にいちいち向き合っていては、おそらく潰れてしまう。どんな無茶ぶりを言われても、「まぁ、なんとかなるか」、どんなに罵倒されても怒られても、「どうしようもなくね?そんな怒っても仕方ねーじゃん」、どんな悲惨な人を見ても「あぁ、自分じゃなくてよかった」と思えるようになると、段々この仕事を無心でこなせるようになってくる。

 もちろん副作用は重大で、おそらくこの境地に達すると、外部への関心をまるで失うので、陳情や請願や報道等で深刻な困った状況を訴えられても、「でもどうしようもなくないですか?」と思考停止することになる。おそらく、国民が最も憎む官僚像に一歩近づくことになる。最も仕事を継続でき最も長時間働ける官僚は、おそらく国民からすると最も憎むべき悪代官である。これは不幸としか言いようがない。

 今後、「働き方改革」の旗印のもと、ある種官僚を「神聖化」して、「優秀でなくては困る」だの「彼らの質が落ちれば国が亡びる」といった言説がこれまで以上に取りざたされるだろうが、こんな言説はクソの役にも立たない。「国が亡びる」とかそんな高尚な話以前に、過度なまでの一部の厚遇と、過度なまでの理不尽を混ぜて練り上げたこのキャリアシステムの下、まともな人間は役人を続けない現状をどう思うかである。

 官僚の待遇を改善することの理屈に「このままでは国民の負託にこたえられない」なんて高尚なことを持ち出す輩がいるが、正直、この意見はクソくらえだ。むかつくことはむかつくし、理不尽なことは理不尽だし、子供の顔を見たいものは見たい、でもそんな気持ちを発散するあてもなく、そんな感情に真面目に向き合えば心のバランスを崩してしまうほどに、まともな人間がもはや続けられなくなったクソみたいな仕事を、「国民の負託にこたえる」ための高尚な仕事などとは到底思えない。

 この仕事の問題は単なる長時間労働ではない。キャリアシステムという組織内部の理不尽と、国会という組織外部の理不尽と、要は「筋をしっかり通すべき、理屈をしっかり通すべき」と口を大にして言いながら、その足元には解消しえない理不尽がうごめいていて、自分もノンキャリの犠牲の上、その理不尽に加担し、場合によっては容易に人をつぶしかねない状況にある、それが役人から人間らしさを奪う、この最悪な循環に誰も向き合おうとしない、その腐りきった構造そのものが、終わっているのである。