野党の先生

役人になって、一年目には「なんでこの人たちはこんなに怒るんだろう」「なんでこの人たちはこんなに理不尽なんだろう」と単純に疑問だった。

だが、自民党が野党になれば、やっていることはかつての民主党と同じ、いやもっとひどかったかもしれない。訳の分からない主意書はバンバンだすし、通告だって遅かった。民主党が政権運営に慣れていなかった分、お支えも大変で、当時は官僚といえば悪の枢軸のようだったし、そもそも年金問題を発端として政権が交代したので、国民の当たりも今よりずっと強かった。東日本大震災で財政不足に直面すれば、人事院勧告のマイナス査定に加えて、ボーナス込み10%の減給があり、これは国民からは「減給が少ない」と非難された。「そもそも労働基本権がないから勝手に給料下げるなんてひどいじゃないかー」なんてみんな思っていたけど、何かにつけて無駄使いだという批判や、そもそも役所発端の不祥事は止まらなかったし、厳しい財政状況も雇用情勢も重々にわかっていたから、そんなこと口にも出せなかった。苦難の時代だったと思う。

自民党が政権に返り咲いてからは、「通告が遅いじゃないか」と国会で文句を言ってくれた元総理の通告が遅かった。結局、その立場ではそう思っても、いざ質問する側になれば、こちらを慮る必要などなくなったからだろう。民主党でもう少しで総理になれるところまで行った人は、とんでもない時間に通告してきて、終電で役所に戻って徹夜して答弁作るなんてひどい目にもあったことがある。まぁそういうことは年に2回くらいは毎年あるけど。。

結局、与党になれば子分の役人を少しは慮るし、野党になれば、敵の子分はやはり敵なのである。政治家にねちょねちょと纏わりつくことでその権力を発揮してきた我が国の官僚の宿命である。

そう考えれば、森ゆうこ事件のように、「通告が遅くなった」ことについて、野党やその先生の資質を責めてももうどうしようもないのである。野党という立場からすれば、別に役人に楽をさせるインセンティブなんかないし、そもそも役人だって、とても褒められるような対応を野党の先生にしているとは言えない。

例えば、野党の先生にだす情報は、必ず、すでに与党の先生方が知っているもの、公になっているもの、そういうものしか出さない。というか、与党の子分である役人からすれば、与党の先生方との関係上、そういうものしか出せないし、出す権限がない。

これは致し方ないにしても、レク対応だって、良くて補佐、下手したら係長である(これは与党の若い先生も同じだけれども)。20代後半~30代前半の若造が、国会議員にしたり顔で説明に来るのである。あげく、まだ若く決定権は皆無だから創意工夫の余地なんてなく、とにかく変なことを言わないよう細心の注意を払い、質問に答えてるんだか答えてないんだか分からないような紋切り型の答弁しかしない。そりゃ腹も立つだろう。

そしていざ選挙で勝つと、これまでとは全く違う対応を受けることになる。これまで100回言っても出てこなかった情報が、言う前に上がってくる。対応者のレベルも、これまでクソみたいな補佐だったのが、ちゃんと答えられるエース級の審議官や課長だったり、時には局長だったりが出てくるようになる。これはある種の快感だろう。一方で、野党に転落した側への扱いは屈辱的である。ある元大臣は、必ずレク要求に「担当課長」を要求するが、野党に転じてから、これに真面目に課長を出している省庁などほとんど見たことがない。与党の時は局長が説明していたはずなのに、野党になった途端に課長すら出てこないのである。

これは、数百人いる議員に日常的に根回しや説明を行っている関係で、もはやこのように優劣をつけるしか仕事を回す方法がないという事情ももちろんある。おそらくだからこそ、野党は個別に説明を求めてもクソみたいな担当者しか来ないことを踏まえ、野党ヒアリングを始めたのだろう。流石に野党議員とはいえ、数人いれば課長も出向く。ただ、お互いに信頼関係があって1対1の場であればともかく、十何人もいる野党議員の前で丁寧な説明、踏み込んだ説明など話せるわけがなく、国会答弁のようなたとえ議事録取られてもなんとかなる答えぶりしかできないので、ますます野党議員をイラつかせるのである。なお、自民党の部会では、ちゃんと「ひな壇」という偉い先生や、影響力がある先生には、部会の直前に審議官や課長が出向き、背景も含めてしっかりと個別に説明をする。だから、部会でなんとかその先生が場を納めてくれるのである。野党ヒアリングは完全にぶっつけ本番なので、ああいう悲惨なことになる一面もあると思う。。

結局、我が国の行政機関には、野党に割くリソースはないのである。そのリソースは、通常業務に加え、与党の先生への説明や資料作成、そして国会対応にすべてつぎ込んでおり、言ってはなんだが政策に何ら影響力を持たない野党の先生に割く余力はないのである。

だが、これは極めて大きな問題をはらむ。考えてもみてほしい。野党も与党になる可能性がある。というか、小選挙区という選挙制度そのものが、2大政党制の実現を企図しているものであり、定期的に野党が与党にならなきゃいけないのである。

普段からないがしろにされている野党の先生が、役人にいい印象をもっているはずがない。まして、立憲民主党に至っては、政権にいたのは8年も前。幹部クラスのベテランしか政府側でいた経験がない。すると、役人の事情など当然分かろうはずがない。選挙に勝ちそうになって、いきなり手のひら返してすり寄ってくる奴を信用できるだろうか。出来るはずがない。つまり、政権交代直後から、子分を信用できないのである。

民主党から自民党に代わった時はスムーズだった。なぜなら、そもそも役人側も自民党への対応は、(おざなりになりつつも)ちゃんと関係を保つようにしていたし、何より政権に力があった期間、衆参で過半数を取っていた期間が短かったので、自民党へのかつての伝手を頼りに、お参りをスムーズに増やせたからである。自民党側だって、役人の手のひら返した態度には腹も立っただろうが、まぁそれはそれとして、役人の習性も多くの先生が分かっていたし、政権を奪取できる見込みがついた段階で、役人に知恵を出させるくらいの度量はあった。結局、道具の使い方を熟知しているのは自民党だった。

仮に今、立憲民主党が政権をとったとして、政府に入るメンバーにはかつての民主党の幹部だけでは足りないだろう。一度やったことがある彼らは、おそらく上手く役人を使おうとするはずだ。かつて野党だった時とは比べ物にならないほど政策に理解をしてくれるだろうし、「役人の働き方改革は急務だ」と声を上げてくれるだろう。だが、数が足りない以上、副大臣・政務官クラスには、役人に蔑ろにされた恨みつらみだけが残っている若い議員が座るだろう。どう考えてもろくな結果を産まない。

もし自民党政権がこれから10年、20年と続くと、一度民主党で政権を握った議員も引退していく。この段階で政権交代が起きれば、おそらくかつての民主党と同じ道をたどるに違いない。結局、霞が関という数万人の組織の代替を、政権を取ったばかりの党が用意することは物理的にも財政的にも不可能であり、政権を取ったらたとえ憎かろうと許せなかろうと使うしかないのである。国家運営のノウハウは霞が関にしかないのだから。

よく自民党の若手議員が、副大臣や政務官になったときに、若手の官僚を集めて勉強会を開く。補佐~係長クラスが、忌憚なく議員も交えて議論するので、議員からすれば、いけ好かない若手官僚の素顔をみる機会になる。各省の人事課も、議員の機嫌を損ねないよう、ある程度ちゃんとした奴を送り込む。送り込まれた若手は、ある程度優秀なので、制度を知ったうえで自分の意見も持っていて、国会答弁でつつかれるわけではないので、自由にある程度踏み込んだ発言を許される。こうした議論を通じて、議員は、顔の見えなかった役人の素顔を知り、また、役人も、ただ恐れる対象であった議員と人間的な付き合いを経験する。

これはこれで素晴らしいのだが、本来これは、与党というよりは、野党の議員と役人のあるべき姿である。なぜなら、野党の先生に幹部が詣でる物理的リソースがない以上、野党の先生がスムーズに政府に入るための橋渡しは、若手の役人を使うしかないからである。偉い野党の先生はともかくとして、若い先生と役人が顔をつないでおけば、ある程度「与党に絶対的にお仕えすべきという」役人の習性も分かろうものであり、ある程度の相互理解が産まれるはずである。また、国会で質問には使わないと一言言ってくれさえすれば、役人だって、これまでの紋切り答弁から、少しは実のある話ができる。

お互いの顔を少しでも知っていれば、いざ野党が与党になったとき、こうした「与党になった瞬間に手のひらを反す」役人に少しは溜飲も下がるだろうし、かつての係長・若手補佐がシニア補佐・企画官にでもなっていれば、そいつを秘書官にでも補佐官にでもして、省との窓口をやらせればいい。お互いがお互いを知らないまま、あるいは、お互いがお互いに敵意や不信感を持ったまま、ある日選挙が終われば上司部下ですよ、というのは、人間が人間である以上、たぶん円滑に受け入れるのは不可能である。

ただ、こうした勉強会をいざ野党の先生がやろうとしても、今ではおそらくあらゆる省庁がお断り申し上げることになる。勉強会を担えるような若手のリソースも、与党の若い先生につぎ込んでいるので、この意味でも野党の先生に回せる人材はいないからである。そして、役人側だって、メリットは理屈では分かりつつも、日ごろから主意書やら国会やらで夜なべさせられている先生方のために、知恵をだし、手を動かし、資料を用意し、丁寧にご説明し、議論しなんてやる奴があまりいないことも事実である、、

結局話はすべて過重労働を少し緩めてほしい、そしたら、野党の先生とだって勉強会が出来るし、それはお互いにメリットがあるよ、なんてしょーもない結論になってしまう。お互いがお互いを理解するためには、お互いに、ある程度の歩み寄りが必要である。各省5~6人程度、その分野に関心のある野党の若い先生の勉強会の面倒を見ようじゃないか、その代わり、少しは通告を早くして主意書で聞くのを勘弁してほしい、まぁ、要すれば言いたいことはこういうことである。

野党だっていつかは与党になる。というか、そのための小選挙区制である。だから、総理を辞めさせて、与党を批判して終わりではないのである。アメリカみたいに党が政府に入るべき高級人材を用意できるわけではないんだから、結局、それまで与党が使っていた役人を、新たな与党は引き継いで使うしかない。政党助成金を激増させるならともかく、方法がないのだから、もうしょうがない。どんなに腐敗していようが、どんなに無能だろうが、使えるカードは霞ヶ関しかないのだ。だから、真面目に考えれば、いつか自分の部下になる「顔も知らない」奴を、いけすかない、むかつく、こいつらは白アリだ、とばかり思っていても仕方ないのだ。

野党ヒアリングで「我々が政権をとったらあなたたちには去っていただく」とおっしゃったが、じゃあそいつらを放逐した後に一体誰を使うのか。去らせるのも、その後に使うのも、結局役人でしか選択肢がないのである。「民間人を局長に据えればいいじゃないか」というのは確かにそうかもしれない。やってみなきゃわからない。でも、それは民主党はしなかったし、できなかった。維新の党だって、大阪の幹部を民間人に付け替えることはしなかった。たかだか数億円ぽっちの収支報告書のずれがいちいちニュースになる貧乏な我が国の党や議員に、各省の局長・幹部人事を任せられるような民間人の人脈だってないのである。

結局、本当に脱官僚をするのであれば、官僚組織に変わるほどの組織を税金あるいは献金で用意するしかない。それはイギリスでいう議会事務局であり、アメリカでいう党である。数百億という企業献金を許さない我が国では、議会事務局を大幅に拡張するしかないが、それはある意味でミニ霞が関をもう一個作ることであり、壮大なる税金の無駄遣いにも映る。ならば、やっぱり繰り返すが、野党だって、政権をとったら霞が関を使う以外に道がなのである。

それを、相互不信を募らせた挙句、野党議員は通告は遅いわ、主意書はあほみたいにだすわ、野党ヒアリングで役人を糾弾するわ、そうかと思えば、役人はSNSで議員の実名を挙げて不満をぶちまけ、その一方で過重労働で潰れ退職し、毎月のように記事になる「役人の非人道的労働」が、優秀な大学生を役人から遠ざける。これで政権を取ったら野党はどうするつもりなんだろうか。

真面目な話として、そろそろ、官と野党の関係について、恨み辛みは一旦横に置きつつ、考えてみてもいい頃なのではないだろうか。