若手の離職

 正直なところ、「官僚になる」というのは不可逆的な事象であるので、一度なってしまったからには後戻りができない。よく「民間に就職していればもっと高給であったはずの人材が」という言説がなされるが、これは全くのナンセンスで、そもそも入口の段階で官僚を選んだ段階で、その後「民間でもっと高給を得る道」はほぼ閉ざされているので、考えるに値しない。「もし私が鳥ならば空を飛べるのに」と同じレベルの仮定法の用例として使うべきであると思う。

 ただ2つほど、民間に転職できる道があるのも事実である。

 1つは、入省3~4年目以内での離職であり、新卒ダッシュくらいのイメージで、事業会社に転職することである。ただ、これは相当な勇気があるか、よほど役所に合わないかでないとなかなかとりえない選択肢である。というのも、まだ20代半ば位だと、係長も補佐もいるので自分だけで案件を得負うことがないし、長時間労働もそれほどしんどくないし、なにより年500万くらいもらえる喜びに浸るし、そろそろ大学時代から付き合っている彼氏・彼女と結婚をなんて考え始める時期でもあるし、なかなか触手が動かない。これを過ぎると、会計、経理、人事、営業、すべての経験を有さない役人にとって、事業会社への転職は厳しくなってくる。

 2つめの道は、5~10年目くらいで、コンサル転身である。例えばリクルート等でコンサルティングを受ければわかるが、この年代だとほとんど紹介される求人はコンサル関係になる。しかも、役所の調査請負とかに配属されがちなので、もはや辞めにも関わらず役所の下働きをさせられることになる。とはいえ、当然国会はないし、役所の手直しや無理難題にはムカつきつつも、どうせそれほど(金額的に)大きな案件ではないので力も入らないし、転身した奴に聞けば、「役所より数段まし」だそうである。10年目を過ぎ、30代半ばに差し掛かると、なかなか転職が難しくなる。ただ、正直なところ、日本全体で人手不足だからか、最近ではこの年代の人の転職をよく見かけるようになってきている。10年目~15年目だと、課長補佐まっさかりで、まさに役所が何年も育てて育ててようやく一人前になって最大限残業とご活躍をいただける頃なので、この世代が辞めるのは、入って3年目くらいのヒヨコが辞めるよりよっぽどしんどい。

 「若手の離職」が問題なのは確かにそうなのだが、正直なところ、入省3年目くらいでやめるなら、それはそれで「はい、次でも頑張ってね」と快く送り出せるが、入省6年も7年も過ぎて、ましてや入省10年も過ぎて辞められると、「えー、いやこれからやん、ようやく答弁も一人で書けるようになったところやん」という心情だけではなく、いやいや来年の人事どうしよう、と人事課が頭を抱えることになる。そうすると、最もありうるのは、地方や海外のポストをつぶして本省に連れ戻すことだが、これをやると若手のモチベーションがさらに低下することになる。そこで、最近では留学の枠を少し増やし、帰国後5年間は授業料や旅費の償還義務を負うことを利用し、係長の年次2年を犠牲にして、補佐の年次5年を確保しようとしている。

 実質的に、辞めちゃう人の補填として機能しているのが、地方や民間からの出向である。令和元年度年次報告書(人事院)によれば、官民人事交流で民間から霞が関に派遣されている人数は令和元年度で510人にのぼる。これは10年前の平成22年の176人から比べると3倍程度まで増加しており、まさに右肩上がりである。対照的なのが、霞が関から民間への派遣者で、令和元年度には79人と、10年前の86人にすら及ばない。官民人事交流の趣旨は、もともと国と民間の「相互の」人事交流を目的としていたはずが、もはや「民間が国に労働力を貸し出す」制度と化している。官民人事交流で来られる人は、大体は総合職相当の係員扱いで、それはそれは働かされることになる。民間からは30歳前後くらいの脂ののった人をよこしてくれるので、1年目や2年目のキャリアなんかよりよっぽど仕事が出来、彼らが課長の補佐として大活躍することは往々にしてよくある。しかも給料・残業代は民間持ちの手弁当。こんないい話はない。だが、例えば役所によるパワハラ被害や、長時間労働の強制で労働基準法の基準を超えてしまう等の事故がしばしばあり、この度に民間企業より強い抗議と今後の人事交流断交の申出を頂戴することになる。地方自治体からの派遣はもっと露骨で、「研修員」として派遣されると、昼夜を問わない研修という名の国会業務に駆り出されることになる。彼らは労働基準法の適用外であるので、民間から来た職員ほどには配慮はされず、「同じ公務員」という甘えが課長にあるからか、一般職への対応と同じように扱うので、何人もつぶれる人がでてくる。地方自治体は国と断交するわけにもいかないので、大体は泣き寝入りである。それでも、地方自治体はしっかりとした人を出してくれる場合が多いので、いかにこの国が中央集権的か、肌身で知ることができる。

 「若手の離職が霞が関の問題である」というのは認識の大きな間違いである。もはや10年目とか若手でない人にも離職者が出始めているし、そもそも「若手の離職」は単なる結果であって、問題の根幹はそこではない。なぜ、そもそも「わざわざ勉強して試験まで通って就職した若者」が「辞めなければならない状況」までに追い詰められているのか、それは、10年も20年も30年も、これまでいくらでも若者を極限の状況まで追い込んでおきながら、数が少ないからと見て見ぬふりを繰り返してきた幹部や政治家が何もしてこなかったツケが、ただ単に結果として表れているだけである。いざ数が増えてきて、さすがにそろそろマズいとなってからようやく「改革が必要だ」なんて声を上げるのだから、厚顔無恥もはなはだしい。

 これまでお前は何を見てきたのかと。どれだけの若手が鬱になり仕事に来れなくなり家庭がぶっ壊れる状況に陥ったのかと。どれほど人の不幸に鈍感になっているのかと。そんな状況を横目で見つつ、「優秀な若者が必要だ」とにこやかに採用パンフで微笑むお前らは、一体どれだけの人でなしなのかと、そう口を極めて非難したくなるが、そうすると、いつの間にか相手に向けた刃が自分に向いていて、自分の心臓を抉るようになってきた。「世の中どうしようもないこと」は多々あり、悲惨なことも多々あり、それらすべてを見ようとすれば心がつぶれてしまう。我が国が戦争の反省から生み出した「議院内閣制民主主義」の象徴たる国会は、いつまで親の愛情と期待を一身に背負って巣立った若者を壊し続けるのだろうか。