働き方改革


 働き方改革には2種類ある。そもそも仕事を減らすこと、そして生産性を上げることだ。往々にして、労働者は前者、企業は後者を念頭に置いて、「働き方改革」という言葉を使うが、別にどちらかだけが正しいわけではない。そもそも「働き方改革」という用語が生まれたのは、日本の少子高齢化が止まらないという圧倒的な危機感からだ。要は、「あほみたいに残業して、しかもキャリア中断もできないんじゃ、いつ女性は子供産むんじゃ」という問題と、「そんなにあほみたいに残業する夫を持つ妻が、働きながら子育てなんかできるかい、でも仕事辞めたら生活できへん」という問題が根っこにある。結局、我が国の雇用構造を見返りもよこさないくせに最大限利用している中小企業が一番の問題で、中小企業の既得権を奪う以外の何物でもない法律なので、中小企業からの大反発を受けつつ、そして自民党内からも獅子身中の虫を何匹も出しつつ、しかも厚労省は何度も何度もそれこそありえないくらいのチョンボを繰り返しつつも、なんとか成立にこぎつけた代物である。これにより、戦後初めて、我が国において包括的な時間外労働の上限規制が設けられることになり、かつ、非正規労働者へナチュラルになっていた雇用差別の説明義務が企業に課せられることになった。正直なところ、一労働者としては素晴らしい法律だとは思いつつ、中小企業のおじちゃんが票田の自民党がよくこれだけの法律を通したものだなぁ、と傍目には驚いた。

 さて、翻って、キャリア官僚である。おそらくキャリア官僚は、日本型雇用の最たるものであり、時間外労働の上限も依然として設定されず、そして女性の働き方も男性と変わらない究極の男女平等を実現している。それにより、女性も普通に残業100時間を超えるところに放り込まれるので(この点は一般職とは大きく異なる)、「生理がとまった」「仕事してたら不妊治療が絶対できないから辞めた」とかいう目に見えた悲惨事例が次々にうまれてくる。女性活躍の名の下、キャリアの30%は女性となる中にあっても、働き方は何一つ変わらないため、別に男だから死んでもいいわけではないが、より目に見えた悲惨な事件は、より生じやすくなっている。

 ただ、これは大体20代~30代前半の女性の話である。補佐年次くらいから、段々と様相が変わり始め、今度は男性職員が地獄絵図と化してくる。あらかじめ断っておくが、これは「これだから女はダメなんだ」とか「だから男を雇うべきだ」ということを言いたいのでは決してない。これは構造的に不可避的に生じうるものであって、決して妻を持つ身として女性を責める気にはなれない。ただ、組織なのか、国会なのか、与党なのか、野党なのか、はたまたこんな状況を放置している幹部なのか、もはや何が悪いのか私には分からないが、クソみたいな現実である。

 30代前半くらいになると、段々と女性が産休・育休に入り始める。男性官僚の妻は働いてない場合が多いが、女性官僚の夫はほぼ例外なく仕事をしているので、いくら夫が分担するとはいえ子育てと仕事を両立しなくてはならなくなる(男性官僚で、妻が専業主婦だと、往々にして平日の子育ては免除される。終電やらタクシーで帰るのに物理的に平日の子育ては不可能である。)。そうすると、国会対応は多少あってもそこまできつくないところ、要は、ある程度は保育園に迎えに行くので定時で帰ります、子供が熱出したので休みますが通用するポストにしか配属されなくなる。時々、「テレワークで国会対応を」なんて子育て官僚がテレビで言っているが、一日に2~3問程度しか当たらないからできること、さらに、印刷する部下や最悪他省庁と調整できる部下が残っているからできることであって、一日20問も30問も当たります、みたいな状況で、テレワークなど不可能であり、彼女らもある程度配慮されてそのポストにいるのは間違いない。(そもそも総理問が当たった時の官邸とのやりとりとか、「家からやってます」とか言ったら殺されるのではないだろうか、普通に職場に電話はかかってくるし。)森友・加計事件のとき、局長の後ろに控えている役人を見て、気づかないだろうか。男しかいなかったはずである。大臣の後ろにはおそらく課長がいくので、局長の後ろには課長補佐が控えているものと思うが、30代前半くらいで控えている課長補佐はほぼ例外なく男だったはずである。答えは明瞭で、森友・加計事件なんていう炎上真っ最中案件に、子育て真っ盛りの女性を配置できないからである。

 そうすると、段々キャリアパスに男性と女性で差が出始める。子育ては5年や6年じゃ終わらない。1人産めば、当然2人目も欲しくなる。補佐年次ぶちあたりの時期に、男性は炎上案件真っ盛りを何ポストも、女性はそこまで忙しくないポストを、そして国会対応から解放される企画官(40歳くらい)くらいでまたキャリアパスが統合される、東名高速道路のような構造になりがちである。問題なのは、炎上案件真っ盛りをくぐったとはいえ、別に能力的にそこまで顕著な差が出るだけではないので、別に企画官で男性も女性も優秀さはたいして変わらず、ただ単に男性のほうが補佐年次に地獄のような思いをするということである。すなわち、仕事の評価、出世の評価に、「補佐年次で味わった地獄」はあまり考慮されない。これで不公平感が出ないわけがない。そして、男性官僚に、「俺たちはあれだけ頑張ったのだ、それなのに・・」という気持ちが起きないわけがない。そして、そんな現状をつぶさに見ている係長・係員が「ああはなりたくない」と思うのは容易に想像がつくだろう。

 こういう状況になると、男性も女性も行動様式が3パターンくらいに集約されるようになる。組織にとって、国にとって最も理想的なのは、ワーカホリックパターンである。ワーカホリックというのはどこにでもいるもので、特に奥さんが専業主婦の男性補佐か、子供がいない男性・女性補佐あたりに多いが、長時間働くことに嫌気がささない人種である。これらは、激務ポストを何個もこなし、仕事に喜びを見出し、組織から求められることを生きがいにする。概して上からの評価は最高だが、下にはきつい働き方を是とするため、蛇蝎のごとく嫌われる。最もパワハラ・セクハラ傾向が強く、360度評価をまじめにやると社会的に死ぬ人種である。子育て女性だと、例えば両親に住んでもらう、月10万かけてベビーシッターを雇う等、よほど普通の人なら取らない選択肢をとりつつ激務をこなそうとする。ときおり、ワーカホリックでクソパワハラを繰り返していた女性補佐が、子供を産んでまるで生まれ変わったかのようになる事例もあるが、これは本人の共感性と想像力の著しい欠如によるもので、いざ自分の身に降りかかり、それらしいことを言うようになっただけである。ワーカホリックを貫くよりよっぽど質が悪い。

 これに対極的なのが、「なんとか逃れよう」パターンである。つまり、男女問わず、可能な限り産休・育休を申請し、家庭の事情をつぶさに人事に報告し、組織のことよりも自分の健康と家族を優先する。(当たり前のことをしているので決して表では言われないが)概して上からの評価は悪くなりがちである一方、人間味を失わないので、下からの評価はおおむね良い。もちろん、もう少し進んで、自分だけ早く帰りたいーと部下を置いていくようになると部下からも嫌われる。厄介なのが、「自分は仕事も家庭も両立してます」という女性官僚が、無意識なのか意識的なのか、ここに多くが分類されることである。配慮されたポストにいつつ、本当に泥臭い部分はお前全然やってねーじゃねーか、という状況でありながら、「激務でしんどい、でもやりがいがある、仕事はやり方次第、仕事も子供もちゃんと両立キラキラ」と目を輝かせる。能力は決して低くないので、激務ポスト等経験しなくても幹部としてやっていける。でも、自分が配慮されている間、同期が死にそうになっていたことに考えも及ばず、「自分は頑張った」と胸を張り、これみよがしに雑誌やら採用パンフやらで登場することになる。やり方で国会対応がなんとかなるなら、お前マジで一度やってみろボケ、と後輩たちからの怒りを買うことになる。近年の「働き方改革」に沿う考え方ではあり、その自覚さえあれば決して悪い生き方ではないが、どうしても周りに負担をかけるので、「周りを見ない」無神経さか、「嫌われても仕方ないと思う」勇気が必要な生き方である。

 そして、最後はこのミックスパターンである。ある種あきらめの境地であり、なるべく忙しくないところがいいけど、忙しいところでも「無心」でこなし、なんとか耐えて異動を心待ちにする。妻や子供を思いつつ、どんなにクソな状況でも仕事を辞めるにやめられない男性補佐の最も多くが、ここに分類されると思う。

 男性の育休は現時点において称賛されるものである。ただ、組織的には、ただでさえ負担感の強い男性職員の負担をさらに増やすので、正直あまりあってほしくないものである。そんなことは馬鹿でもわかるので、結局、子供がいない職員か、ワーカホリックか、小さな子供がいても責任感が強い人がその負担を一手に引き受けることになる。特に炎上中なんて「自分が休むと課長が、係長が大変だ」なんて脳みそさえついていればすぐわかるので、子供が生まれようが熱が出ようが親が遠距離で妻が産後うつになろうが、結局責任感の強い人は仕事を優先してしまうのである。ある種、自分の中で家族を優先順位の一番上にもってこれないという点で、正直分かり合えない人種ではあるが、悪人では決してないと思う。嫁さんからすれば「お前、いつも死にそうになりながら仕事してんだから、私が死にそうなときくらい休みとれよ」と思うだろうが、課長や部下が「取らないでほしいなぁ」と言外ににおわす中、「うるせぇ、休ませろ、お前らがどうなっても知らん」と言えない気持ちも分からなくない。結局、悪いのは、家族を優先できない本人なのか、育休取ろうがろくに代替もよこせない人事課なのか、その調整をしようとしない課長なのか、状況重々承知の上見て見ぬふりをする幹部なのか、そもそも役人たたけば当選できると思っている野党の先生方なのか、面倒くさいことは全部役人にやらせようという与党の先生方なのか、正直なところ分からない。でも、「人の気持ちになって考えましょう」を実践すると、妻の気持ちと同僚の気持ちで明らかに矛盾する命題について、あまりにも過酷な職場環境を思い描いたうえで同僚の気持ちを選んでしまうことは、それほど悪いことだろうか。少し優しい人であれば、それがほんの少し博愛主義的であれば、あるいはほんの少し責任感が強ければ、仕事を選ぶことは普通にありうることだと思うし、大体はこっちを選んでいる。

 人は、意外と周りを見る生き物である。ワーカホリックでもなければ、こんな状況に陥っている人をみると、男女に限らず、先行きに絶望感を覚える。きっと変わると当初抱いた希望は少しずつ削れていき、こんな職場で何十年も?本当に?と自分の暗い未来を思い浮かべる。とはいえこの給料をもらえる仕事はあるのかなぁと不安になればなるほど、(どうせクビにもならないので)自分の権利を志向して生きるか、そこまで腹もくくれないので無心で生きるか、どちらかの道を選ぶことになる。家族を大事にしようと思えば、もう道は一つしかない。腹をくくり、自分が休む分は、上司なり部下なりが回しているのだろうと想像しつつも、育休なり有給なり、あるいは定時退庁なり、家庭で求められる役割をこなす。心苦しいだろうが、家族が一番大事と腹を決めれば、もはやそれ以外に選択肢はない。クビにならないという甘えを全力で利用すると、結局これが最適解になるんだと思う。おそらくクビという選択肢があるとすると、より家庭と仕事のバランスの答えは難しくなるだろう。結局公務員は、責任感とか組織への貢献等を月の裏までぶっ飛ばすことができる点で、恵まれているのである。

 「官僚の激務を改善しよう」という言説には、正直アンビバレントな感想を持たざるを得ない。一方ではその通りだ、というかこれ以上の不幸を見たくないから早くやってくれ、と思うが、もう一方では、そもそも研修でも給料でも恵まれてる部分が多く、開き直れば最強なのに、あたかも自分が世界で一番不幸みたいに書くのは筋が通らない、とも思う。一部の中小企業の働き方は悲惨そのもので、それに比べれば官僚など天国みたいなもので、官僚辞めて町工場行くやつがいない程度には恵まれていて、その立場で「このままでは国が立ち行かなくなる」なんて尤もらしい理屈をくっつけ、恵まれた部分はガン無視したまま、待遇改善をことさらに叫ぶのに抵抗を感じる。「日本の頭脳が必要だから」とか「優秀な人間が必要だから」とかそんなのは雇い主が言うことで、直接本人が言うことじゃない。優秀な自分たちがいなくて困るでしょ?なんてよくもまぁ恥ずかしげもなく言えたものだ。頭脳で言えば、役人が、博士課程で研究している学生に勝てるところなど何一つもない。

 結局、「そりゃ比べればもっと酷いところはたくさんあるだろうけど、とにかくムカつくし理不尽だから待遇改善を叫ぶのだ」というクソみたいな、でも飾るところなき偽るところなき本音を、高尚なオブラートで包むから鼻につくのだ。クソは隠したって匂いはクソのままだ。クソみたいな本音のどこが悪いのか。議員にムカつくのだ、ぶっちゃけこんな長時間の残業なんてやってられないのだ、家族に会いたいのだ、もっと休みたいのだ、そんな本音を「国民の負託にこたえる」とかもっともらしい理屈で隠しているから鼻につくし腹が立つのだ。この期に及んでなお、滅私をアピールするのでは、役人の働き方は一生変わらないだろう。人間らしい、偽るところなき本音を、滅私と理性というオブラートできれいに見せようとすっるうちは、働き方改革が進まないのは役人の自業自得かもしれない。