離職

1年半前に書きなぐった自分の書いた記事をなんとなく読み返しつつ、何かが変わったようで何も変わっていない我が省では、人がどんどんやめていることを実感している。

もはや笑い話だが、この前、「やりがいがある」「チャレンジできる環境」「働き方も変わりつつある」と言って我々を勧誘した当時の採用担当が、「転職します」とあいさつ回りに来た。

正直、本人には言えないが、ムカついた。別に採用担当の言葉を信じて入省したわけじゃないし、当時まだ入省数年目で、とにかく学生対応をやらされている職員が、糞みたいな職場を脚色するのは当然のことだ。でも、お前、あれだけ言っておいて、俺たちに散々魅力とやらを語っておいて、ヘラヘラしながら転職の挨拶に来る、その神経に心の底からムカついた。

転職先は国内大手IT企業らしい。まぁ、留学していないからな。外資は厳しかろう。留学帰りはだいたいボスコン、P&G、トーマツ。金太郎飴のようにコンサルだ。最近は、留学して帰国後3年程度でやめる奴が目立つようになってきた。これまでは、(少なくとも我が省では)あまりいなかったのだ。なぜ3年か。学費と手当合わせて約1500万~2000万の返還義務が、3年で60%オフになるからだ。そうすると、退職金と貯金でなんとか払える。独身だと、大学の寮に入って手当をため続けているやつもいる。そういう奴は、もっと早くやめる。

属するコミュニティを変えるのは大変な労力だ。誰だってぬるま湯につかりたいし、仕事を変えたくない。収入に不満でやめる奴はほとんど見たことない。みんな、家族との時間を求めて辞めていく。人の幸せは、(一部の人を除き)家族との時間や繋がりにあるのだろう。幸せが全否定される仕事を、わざわざほかの選択肢があるのに選び続ける奴はあまりいない。

みんなが生きるのに必死で、家族を食わせるのに必死で、辞めたら本当に子供に飯を食わせられない50年前なら、おそらくこんなに辞めてない。少子化で親から受け継ぐ資産が増え、親が頭金だしたタワマン住んでる人もごまんといる。比較的教育が施された層が役所に就職しているので、必然的にその親はお金持ち、その奥さんも正社員、双方の親の資産は、生きている間から彼らに引き継がれる。資産は安心を生み、安心は職場への不満を増幅させ、チャレンジを促す。多くの場合そのチャレンジは成功し、本来必ずしも必要でなかったフロー所得の増加と、本質的に求めていた自分の時間を取り戻させる。「クビがない」安心は、大企業へ就職できるホワイトカラー層には過剰な保険に過ぎず、その価値がすでに棄損されていることを、辞めた後に彼らは知る。そしていうのだ。「あぁ、本当に転職してよかった」と。

本来、役人になれる程度の人材は、全体から見ては高度人材でも、上澄みの中では下の方だ。そんな彼らは、官費留学というゼロリスクのブーストを経て、本来彼らでは到達しなかった高度人材へと変態していく。本来国が求め、そのために毎年10億円の予算までつけて育成した人材は、いとも簡単に、その時点の能力に高い金を払う外資企業にとられていく。(一時的な)激務に耐えることのできる健全な心身と、2年の留学を経た語学力と、これまでの経験に基づく低い留保賃金は、外資系企業にとってなんともありがたい。

当然、幹部は憤慨、人事課は憤死寸前、残された人も仕事増やされた恨みと転職への妬みで、職場はグチャグチャだ。人は、みんな不幸なら自分の不遇を我慢することは出来るが、どんどん同僚が「一抜け~」していく中、自分の不幸を我慢し続けることはできない。アリの一穴ではないが、転職する人が増えることは、間違いなく相乗効果を生む。もう辞められない30代後半には恨みと鬱屈ばかりを残しつつ、20代半ばには「バスに乗り遅れるな」という焦燥感を植え付ける。残されるのは断絶した世代間の深い溝で、これがさらに転職を促す。もうヘドロのように沈殿しへばりついていくしかないオジサン・オバサン層と、とにかく辞めたい若手が、同じ方向を向いて仕事するわけない。「最近の若手が本当にやばい」と、最近よく聞く言説は、もう選択肢のないオジサン達の嫉妬と苛立ちの裏返しだ。

辞めさせないために、若手のメンターを人事課に抜擢するようになった。このメンターが辞めたら目も当てられないので、若手の中でも比較的「できる」奴がメンターにつく。要は、価値観が比較的オジサン寄りで、激務も「でも仕方ないよね」なんていう奴が任命される。結局断絶した崖の向こう側から美麗語句を叫んでいるだけで、同じ若手でも「向こう側」の人、響くのは断崖の端っこで迷ってる奴だけだ。

コロナもあって「今が頑張り時」「激務も状況次第では仕方ない」というが、もうそれも2年。しかも、過労死ライン超えてる激務はコロナ前から常態化していた。頑張り時もなにも、コロナが始まる前から激務なのに、終わったら楽になるなんて思っている楽観的なバカは誰もいない。これまで頑張ってきた奴に、頑張り時もクソもないのだ。

コロナは霞ヶ関の時計の針を10年進めてしまった。これまでは、激務ポスト経た後に何となく約束されているお休みポストが、退職のモチベーションを奪っていたが、そんなものが目の前から消失し、希望を失わせてしまった。これまでの傾向からして、少しずつ退職者が増えて、少しずつ残った人の負担が増えて、長期的に少しずつ失われていくはずだった希望が一気に消失し、職場に残ったのは鬱屈と諦観だけ。補佐クラスがこれまでにないほど一気に辞めた。

正直なところ、自分にも焦りがある。これ以上この職場に残っていては、使いつぶされかねないからだ。課長すら滅茶苦茶な仕事、下手したら係員レベルの仕事までさせられている。慌てて中途採用を始めたものの、応募者が少なくいきなり増やせないため、辞めた穴を補填するのは当然残された人で、法改正のタコ部屋を梯子するという、信じがたいことも起きている。これまでのシニア補佐のポストに若いやつを付けることも増えた。若手の抜擢といえば聞こえはいいが、単にひとがやめすぎて足りなくなって、辛いポストに若い奴を付けざるを得なくなっただけだ。とにかく如何に自分が押し付けられる前に逃げ出すかの勝負になっている。さすがに閉塞感がひどい。

数年後、ふとした機会にこの記事を読んだとしたら、「いやぁ、ほんとバカだったな、こんなこと書いてる暇あったらとっとと転職すりゃよかったんだよ、バーカ」と思っていればいいなぁ。