野党ヒアリング2

 「野党ヒアリングをしなければならないのは、与党が国会を早く開かないからだ」というのは少しおかしい。普通に国会あいてる時でも、「審議の時間が足りない」とか「国会でしっかりと答えていない」として平然と野党ヒアリングに呼びつけていた。国会の開閉の問題ではないはずだ。 また、「週2回、1~2時間のヒアリングがそこまで大きな負担だと思わない」というのは、確かに平時にやっていただく分には、課長は休みが取れなくなるだろうけど、別に補佐以下はそんなに大変じゃないのは確かだし、別に野党ヒアリングでクソ残業することもないだろう。結局野党ヒアリングで取り上げる問題は、ほぼすべてあまねく存在、メディア、与党、官邸、省幹部、ありとあらゆる存在が報告を求め成果や改変を求めることから、業務が激増しているところにさらにオンされることがしんどいのである。

 正直、役人をやっていて、よほど人間が出来ている奴以外、政治家の事が好きな奴はいない。特に野党の先生は、本当にごく一部の例外を除けば、怒られ、怒鳴られ、脅され、尋常じゃない量の通告をいただき、徹夜し、というように、みんな自分が人間以下のような存在になり下がったかのように感じられる扱いを受けたことがある。夜10時に呼びつけられて通告をいただいたと思えば、議員は「長時間労働をやめよう」とか「非人間的な労働はおかしい」とか言っている。「ほら通告してやっただろ、有難く思えよ」と言外ににおわされれば、それは確かにご通告をいただかないとみんな帰れないのでその通りなのだが、これは同じ人間に対する扱いだろうか。

 と、ここまで恨みつらみを書いていて何が言いたいかというと、ただ1つ、野党の先生がいう「そもそも野党ヒアリングは与党がしっかりと説明を果たさないからだ」というこの一言についてだけは、確かに一理あるということである。

 例えば、野党ヒアリングでどうしてもこれは相手に言おうと思う情報は、どのようなプロセスをたどって言葉として発されることになるか、ご存じだろうか。「これは流石に答えないわけにはいかない」ということがもし仮にあったとすると、おそらく最初は省の幹部にご相談・ご了解をいただいた上、官邸にご相談である。官邸の参事官に相談の上、副長官補、副長官、そこで止まったとしても、おそらく官邸だけで7,8人にレクをすることになる。官邸で「まぁ、それなら仕方ないな」となると、その後、国会対策を担う与党の先生方を回ることになる。なぜならば、言ったことに基づいて国会質問がされるのは火を見るより明らかで、事前に話を入れないということは背信行為にも等しいからである。国会対策に関係する先生方に個別にアポを取り、個別に回って了解を得られれば、その後、与党の先生のうち、問題にかかわっていらっしゃる先生方にまた個別にアポを取ったうえで回り、前日までにすべての関係者に了解やご報告をしてから、ようやくそのご質問に正面からお答えすることになる。

 我が国では、政府・与党は一体であるため(内閣総理大臣は自民党総裁であるため)、政府が行うことは必ず与党の事前了解を得なければならない。それは、国会提出予定の法律案やコロナでも行った経済対策等の予算に限らず、ほぼありとあらゆる政府から発される事項について、自民党や公明党の「部会」で報告がなされ、その「部会」での質問・指示をこなさなければならない。こうして固まった案は、「政府案」でもあり「与党案」でもあることから、もうこれ以上修正の余地はない。なぜなら、例えばこれが法案や予算案であれば、国会で過半数を握る「与党」がすでに了解しているものであるため、よほど世間の反発がきつい等の特殊事情がない限り、国会は「野党が言いたいことを言わせてあげる場」でしかないからである。だから、与党は、野党に質問時間を融通してやり、言いたいことを言わせてやり、政府(役人)の負担は重々承知の上、連日のように質問の場を用意してやり、かといって決して修正は受け付けず、ある程度の質疑時間が確保された段階で採決に移るのである。野党が言う「議論がしたい」というのは、「俺の意見も反映させろ」ということであるが、それは決して受け入れられない。結局、「提案型」という言葉は、それが机上の空論になりがちであることや、ろくに有識者の意見も聞いていないこと、関係者のコンセンサスをとっていないものであること等いろいろ問題がある中で、最もむなしいのは、それが与党にとって受け入れる余地が全くない(それを受け入れるのであれば、与党が与党である意味がない)ことである。

 本当に単純化すれば、「与党はすべての決定と情報を先に得るからこその与党であって、これを踏まえて役人は、ほぼすべての発される情報をまずは与党に報告し、判断を仰ぎ、そのうえで行動する」ことが求められている。つまり、与党より先に野党に情報を渡すことは、そもそも与党への背信行為であり、これはひいては、民主主義への背信行為なのである。「与党の先生方がみな上司である」というのはこういう意味である。

 これは一度与党を経験した民主党の議員であれば絶対にわかっていることである。つまり、役人が何も答えないのは、「与党がOKしないから」ということは、野党の先生方は絶対にわかっているはずである。「そもそも野党ヒアリングは与党がしっかりと説明を果たさないからだ」という言葉は、この背景を知り尽くしているからこそ、発されているはずの言葉である。であれば、である。であれば、野党の先生方は、どうせろくに答えられないと分かっている役人に、それでもつつけば何か言わないかな、と野党ヒアリングを週2回も開催し、その上で、「あなたは話すのが難しい人だ」とか「あなたたちは我々が政権をとれば全員役所を去っていただく」と言っているのである。我々は人間にもとる扱いを常にされているとはいえ、そして、そうした扱いを当たり前のものとして役所で出世を重ねていくとはいえ、これはあまりにも、あんまりではなかろうか。「野党ヒアリング」は確かに情報の透明性に寄与している面はあるかもしれない。ただ、とりあえず反撃できない相手を殴ってみて、うまくいけば何か言うかも、というのは、拷問ではなくて、何だというのだろうか。

 おそらく「与党が定期的に部会をやっているから我々も」ということで「野党ヒアリング」は始まったのだと思うが、与党と野党で出す情報に差をつけるなというのは、「与党の権力の源泉の一部を野党によこせ」ということに他ならない。それが民主主義である、それが国民の負託にこたえるということである、というのであれば、それは役人に言うのではなくて、国民の代表たる与野党の先生方の間でしっかりと話をつけてほしいと思うのだが、それは間違っているのだろうか。