採用パンフについて


 大変恐縮だが、各省庁の採用パンフを見て皆さんはどう思うだろうか?責任ある仕事をこなしていて素晴らしい?輝かしいキャリアだ?私は「よくもまぁ恥ずかしげもなくこんなこと書けるな」である。

 別にこれまでの仕事を誇ることや、積み重ねてきた経歴を披露することが悪いわけではない。ましてや、仕事へのやりがい、達成感、そうしたものを披露することが悪いわけでは決してない。

最も恥ずべきは、「あたかも天職のように仕事を語りながら、その実、過重労働とストレスで押しつぶされている」輩が、「学生に来てほしいと仕事をアピールしていること」である。

実際、採用パンフに出た数年後に辞職しているケースなどごまんとある。これは極めて悪質な詐欺に近い。「仕事はきついときもあるけどやりがいがあります」と言っておきながら、そのきつさに自分は耐えきれず辞め、自分のキラキラした文章にひかれて入職した学生は知らんぷりである。仕事に裏はつきもので、というのは確かに最もであるが、人を殺しかねないレベルの残業を「きついときもある」なんて誤魔化し、とりあえず優秀な奴だけ留学なりキャリアアップなりで釣って入れるだけ入れてしまえば、あとはそいつが病もうが自殺しようが知らんというのは、流石に人の心を失っていると思う。

どんな仕事をやるのか、それがどれほどきついのか、それが分からず入省するのは、メンバーシップ型雇用である以上、これはもうどうしようもない。しかし、仕事内容以前の問題として、長時間労働で実際に職員が何人も心を病んで休職したり辞めたりしている中で、そんなことをおくびにも出さず、平然と採用活動をするその神経がどうしてもわからない。お前、自分の子供にも同じこと言うのか?と本気で軽蔑する。学生だって人様の子供だぞ。

 ただ、恥ずかしながら、わが身を振り返れば、「親父が官僚だったけどろくに家に帰ってこなかった」「私生活を犠牲にするまでやるべき仕事じゃない」と言ってくれた人もいたが、結局自分は、「最近は違うみたいですよ」とか「でもやってみたいんです」なんて、見たくない部分をろくに見ないまま、ろくに考えもしないまま、入省した記憶がある。

まぁ、そんなもんだろう。結局、働いてみないと、残業100時間の異常さなどわからないし、毎日、何時に家に帰れるかわからない生活が、どれほど家族を壊すか等もわからない。こればかりはやってみないと分からないのだろう。ただ、やはり大学の同期には、私と違って賢いやつはちゃんといて、仕事は仕事と割り切って、給料と余暇のバランスがとれそうな企業に就活をしていた奴はいた。正直、当時は「向上心のないやつだな」なんて思っていたが、振り返ってみれば、自分が思う向上心なんて代物は、根拠のない希望を添えた思考停止と、それが故の蛮勇以外の何物でもなく、なんて馬鹿だったんだろうと本当に恥ずかしくなる。

 最近になって、親が老いていく、子供が育っていくのを見るにつけ、人生には限りがあるんだなと実感するようになった。そうすると、朝3時まで答弁を作成したり、翌朝もろくに寝ないまま国会に行ったり、言われるがままに自分のすべての時間を仕事に捧げることがどれほど情けないことか、どれほど限りある人生を無駄にしているのか、と憂鬱になったこともあった。

ただ、おそらくこれは我が国がいろいろな意味でプアであるが故の必然なんだろうな、と思うようになると、アフリカで餓死者がでるのと同じで、もはやどうしようもないな、とどこか納得した。何度も何度も指摘されても、なお議員の行動は変わらず、次官の行動は変わらず、現状の悲惨な状況を見ていないのか見たくないのか、言うに事欠いて「行政官としてのプライドを」なんて言い出す始末、これはもはやつける薬がない。

そうすると、結局、このまま仕事を無心で続けて子供を育てていくか、自分の幸せも追い求めていっそ仕事辞めるか、の2択しかないことに気づく。変わらないことを受け入れ、不毛で非生産的な仕事も受けいれ、罵倒も理不尽も他人の不幸にも無関心になり、ただ日々が過ぎていくのに身を任せれば、自然と怒りも収まるし、残業にもあまり辛さを感じなくなっていく。すべて諦め、受け入れる。おそらくこれは「仕事に来ているけど何もしない」おじさんと同じ心境だと思う。

 希望は持てば持つほど、それが裏切られたときの反動が大きい。冷静に考えれば、国会という権力闘争の場において間に挟まれている官僚が、言い換えれば、与野党の権力闘争の駒と化している官僚が、兵隊が死ぬからと戦争をやめるやつがいないのと同じように、官僚が病まないようにと国会の改革が行われるわけがないのだ。言えば変わる、訴えれば変わると思っているなら、それは馬鹿だ。変わるとしたら、それは戦争が終わるときと同じ、もう限界というまで死に絶え疲弊し、いよいよ行政が回らないというフェーズに至ったときしかない。それを避けようとするのは、いっそ真綿で首を絞めるようなものだ。おそらく、目の前の票よりも、将来をとる政治家など、この日本にはいないだろうし、いたらそいつは政治家失格だ。

 まぁ、辛い辛いとはいえ、本当につらいのは余程のことがなければ年のうち精々2~4か月、喉元を過ぎれば熱さを忘れる。夏休みと正月は親の顔も見れるし、平日には会えなくても土日は子供も遊びに連れて行ってやれる。ある程度贅沢できるだけの給料をいただけ、子供に飯を食わせてあげられる。そう考えれば、これだけ話題となっている「官僚がしんどい」なんて言説も、クソみたいなものである。これだけ書いていて何だが、もっとつらい職業等いくらでもあるし、給料に至っては、おそらく同世代の上位10%には入るだけもらっているだろう。給料をもらっている分だけ辛い思いをするのは当然である。そういう意味では、最初から詐欺まがいの悪質な誤魔化しさえしなければ、そこまで悪い仕事でもないかもしれない。

 子供を持つと、近くの人が病んだり休職してしまったりすると、どうしても親の立場を想像してしまって怒りや悲しみで大の大人が泣きそうになる。事そこに至っても、周りの人間は自分の仕事を回すことだけ、まさに無関心にロボットのように働いている。それを見るにつけ、自分が加害者になることが何よりも恐ろしく、また、自分が病むことで子供がどう思うかを考えてもまた恐ろしく、なんとも言えない気持ちになる。何も変わらないのはどうしようもないこととして、こんな光景を幾たびも見てきたに違いないのに、「国民の負託を」とか「行政官のプライドを」なんて偉そうにのたまう幹部は、また、パンフレットで学生に微笑む課長は、一体本当に人の親なんだろうか、ついそんなことを思ってしまう。