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老後用:⑥アラサーのフィリピン語学留学 (最終回)

いよいよラストです。

最後に特別仲良かった方や思い出、具体的にTOEICが何点上がったかを書いて終わろうと思う。

第1回で見事にカッコよく写真の手続きをしてくれた彼は当時確か高校卒業したばかりくらいの年齢。高身長、顔はイケメン、親は起業&成功のお金持ち。しかし親の仕送りやコネなどは受けず使わず一人の美容師の道を走る男として生きてる男気。性格も明るく愛されるキャラ。しかし朝に弱く寝坊をよくしていた。節約したかった私は伸びた髪を何人かに適当に切ってもらい最終的に彼に綺麗に整えてもらうという遊びもしてました。笑 本当に生涯の友を見つけました。(今でも仲良い)

物腰の柔らかい年上のイケメン内科医。勤務先の大学病院からお休みもらって短期留学。学校のWifiが弱いと知るやSMでポケットWifiを独自に借り、校内の部屋の方がにぎやかで楽しそうと判断するやわざわざ別途料金払って別館の設備の良い部屋を借りていたのに私達の居た校内部屋に引っ越しするというフットワークの軽さ。彼とリスニングクラスは違った(ちなみに彼は最上位クラス)が毎日バルコニーでポカポカ太陽の下、授業間の10分休憩や偶然同じ時間帯で授業取ってなかった時間帯を一緒の空間でよくシャドーイングしてました。優しくて勤勉家でとても良いお兄さんでした。帰国後に一度集まりましたが、また会いたいですね。

ハロウィンか年末の何かのイベントで校内No.1モテ男女選手権的なやつがありました。実行委員のリザ先生と私は仲が良く陰キャラの私はもちろんそんなの出る予定ではありませんでしたが、当日ノミネートされていました。泣 大教室に全生徒集まり(100人くらい)あらかじめ何個かある質問に対して、誰が良いアンサーをできるかというもの。顔は見えないようになっているので面白いアンサーやドキドキするアンサーをした者が優勝。そして私が男子部門で優勝してしまうという番狂わせ。私以外の3人は校内でも人気がありクラスの真ん中にいるような人達だったので優勝決定し私が皆の前に現れると「誰やねんこいつ」感に包まれとても恥ずかしい思いをした記憶があります。


イベントで毎年ショートフィルムを生徒が自作自演し、上映するというものがあった。実行委員のリザはそれを私やイケメン美容師が所属していたクラスに強制任命しました。所属メンバーは日本人男性3,女性1,韓国人男性1,女性2。期間は5日でとにかく時間がない。でも全員朝7時から夜8時までスケは埋まってる。韓国人女性2人は勤務先から優で卒業しないと評価につながると言われておりなおさら時間がない。とりあえず0から何か作るには時間が無さ過ぎるのでやる題材をYoutubeで見つけ、それを全てリザに字幕を付けてもらいました。(7分くらいの短編ストーリー)登場回数の少ない役割を韓国女性2人に当て、先に2人は撮影しフィニッシュ。残りは我々で何とかするという流れで。英語が一番話せたイケメン美容師を監督にし現場指示だしという名の通訳。(この時はとにかく時間がない為、母国語をお互い話してた)私が撮影順指示だし&セリフが長い時には役者の目線の先にカンペをPCで見せる係&総合編集。残りのメンバーをセリフの多い所謂メイン役者として当てた。撮影は2日で終了したが、その後の編集作業が辛く寝不足の中授業受けていたのを昨日のように思い出す。泣 イベントは成功し生徒も笑ってくれていた。作品は"Who pays on a first date"。英語の苦手な人も映像だけで楽しめる簡単な展開だったのが良かった。本当に良い思い出


第1回で紹介したルームメイトの韓国人マリオ君。Dokdo is mine.という缶バッチをつけていたが、そんな話題はもちろん会話に出ず。いつもお菓子をくれたりいびきうるさくなかった?寝れた?って気遣ってくれたり、気さくに話しかけてくれるとてもいい人だった。いつも寝方が大天使のようだったね君は。笑


3ヶ月の滞在で1度だけ全授業をサボりました。(ちなみに一定数超えると罰金システム)理由はありません。急にどこか遠くに行きたくなりました。笑 ドタキャンのような形だと先生に悪いので前日に「明日はどこか一人で出かけるので授業休みます、すみません」と正直に伝えたところ「問題ないわ!何もせずに給料は入るからね笑」と何と頼もしいお言葉。笑 しかも学期が終わり出通知表をもらうと欠席0になっている。私を担当していた先生達(6人程)が口裏を合わせて上司には出席扱いで報告してくれていたようです。笑 スパルタ学校とはいえ生徒の気持ちを察してくれたのだろうか。ありがとう。。。泣 そんな私は記憶が曖昧なのだがとりあえずPCを持って散歩をしました。脱獄したかのようにノープランで歩き始めました。右に行くか左に行くか適当にその場で適当に考え歩いていたらいつの間にかゴルフ場に到着しており、その中にスタバがあったので久しぶりにWifi環境の強い中SNSをチェックしたり好きなYoutubeを観たりしてました。完全にリフレッシュができました。

卒業間近にパーティーではないが祝おうということになり、禁止されていた酒(赤ワイン)を買って水筒に移し替えバルコニーで飲んでいました。すると普段事務所から出ない学校長が偶然来て「学校はどうだい?」みたいに話しかけてくるではないか。普段の寝不足と久しぶりのお酒ということもあり既に酔っぱらっていた私は近年稀に見る集中力を発揮し冷静な振りをしてその場を切り抜ける。(ちなみにバレたら一撃退学。)そしてここは危険だと外出する(バレたら罰金)。結局は何も起こらず、友達と思い出話を語りながら楽しいお酒を飲みましたとさ。(その後は癖になり連日部屋でこっそり飲んでいたなんて言えない笑)

留学前のTOEICは320点だったが、留学後は600点。(スコアの紙無くしました。)でも配点はざっくり覚えてます。リスニングが300後半だったということ。リーディングはそもそもやっていないし、TOEICの勉強は直前に一回模試をやっただけだったので劇的な変化だったと思います。シャドーイングおかげだったのかも。

さて、最後に。

退職してフィリピン留学したきっかけ。

これは単純に異世界に飛び込んでみたかった。私は所謂大企業に勤めていた訳だが、私の代わりがいる感。会社の駒感。同期のすごい出世欲。その会社を退職して5年。今改めて考えてみるとそういった環境に嫌気がさしていたのかもしれません。私自身がオンリーワンやインフルエンサーになろうとは考えてないが、何かもっと自分らしくありたいって思って。20代のうちはまだまだ経歴とかキャリアとかそういうのは別にどうでもいいかなって思って行動した。でも未だにその自分らしさってのはその後のカナダ留学を経た今でもわかってはいないが。

でもとにかく、フィリピンでの生活は楽しかった。社会の縮図や生への執着。そういった基本的な人権が守られている日本は素敵だと思う。そして彼らと比べたら自分はなんてぬるま湯に生きているのだろうと。でも普段から強く意識しないとまたぬるま湯に入ってしまっている。浅くではあるが、当たり前に生きるって普通ではないんだなと体感できただけでも収穫としましょう。

次回からはその後のカナダ留学について書くと思います。でも気分が変わったら違うことを書くでしょう。

リラックスして自分史をいつか振り返ろう。

#フィリピン留学 #老後用 #2014


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