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(小説)夏の思い出(第一話)


 
指輪の内側を眺める。くすんだプラチナの銀色に、砂埃にかすんだ景色が映る。
 
第一話

大八車


美恵子は従兄弟の猛と勝の家に来ていた。母親の実家で、野菜や果物、日用

品、駄菓子などおいている、いわゆる何でも屋のような店だった。

 その日、美恵子は妹の希恵と従兄弟の兄弟の四人で、間口の広い平屋の店の

前を大八車で行ったり来たりしてあそんでいた。後ろの荷台

 に二人が乗って、交代で梶棒を二人で引っ張る。たいていは兄弟がわざと

速度を上げて引っ張って、美恵子と希恵を楽しませてくれた。後ろを振り向

くと、砂けむりがもうもうと立っている。

大阪で暮らしている美恵子と希恵にとって、やったこともない大八車の遊び

はもの珍しく気分が高揚して心が躍った。店には、時折二、三人の客が訪れ

ては、せっけんや野菜など少額のものを二、三点買い、 店番の祖母とたわい

のない話をしては、帰っていく。金払いの良い人、底意地の悪い人、様々な

人間がいた。かつて子どものころ、美恵子の母親も祖母と一緒に店を手伝っ

たらしい。その時に人間観察の勉強をしたようなものだ、と時折笑って美恵

子にいうのだった。
 
祖父が戦前から米屋を営んでいたものの、戦争がはじまり、戦中は野菜など

を売る何でも屋、戦後は、叔母が嫁いできた頃から、叔父が電気工事士の資

格を取り、電気屋と何でも屋の二足の草鞋を履いて生計をたてたのだった。
 
美恵子たち四人は外遊びにしばらくいそしんだ後、叔母に呼ばれて、クーラ

ーのきいた畳が引かれた居間に入った。麦茶が四人分用意された大きな丸い

ちゃぶ台の前には、シャツ1枚の祖父がうちわでパタパタと扇ぎながら、叔

父と仲良く話している。美恵子の母と叔母、それから祖母の三人は土間で

 夕飯の支度をしていた。美恵子たちはちゃぶ台の近くに所在なさげに座る

が、いつも通り従兄弟たちは野球盤で遊び始めた。初めは仲良く遊んでいた

のが、そのうち、喧嘩になり、大声で、ののしりあったかと思えば、蹴り合

いが始まった。美恵子が、さりげなく「男の喧嘩は女の喧嘩とちがってこわ

いなあ。」と言うと、周りの大人たちがどっと笑って、美恵子は「なんで笑

うのだろうか」とおもった。笑うというのは楽しい場合に笑うのであって、

本当のことをいった場合に、どうして笑うのかが不思議で、そのことに

嫌悪を感じた。

 同時に自分のいったことに嬉しそうに笑っている人たちに対して、それが、

どことなく誇らしげな気もする、その程度の妙な自分にも嫌悪を感じた。

夕飯がふるまわれている間、祖父は酒を飲んで、兵隊に行ったときの背中の

銃弾痕を美恵子達に見せた。肩から背中にかけて、弾がかすったが、命は助

かったらしい。茶化したような口調だったからか、幼い希恵にも、美恵子に

もその重みには想像がいかなかった。そのあと、孫たちが将来何になりたい

か、という話になった。息子に電気屋をついで欲しいという叔父は、猛が総

理大臣になりたいというので困るのだ、というような冗談とも本気ともつか

ぬことを言っていた。美恵子はとくに何かになりたいわけでもなかった。し

いて言えば、ピアノの先生になってみたかった。

夕飯が終わるとやけに広い洗い場のある風呂に、子ども四人で騒がしく遊び

ながら入った。

着替え場にあるタンスの引き出しにタオルやパジャマがはいっているようだ

が、あちらこちらに無造作にシールがたくさん貼られていて、自分の家とは

違っていた。

美恵子は夜になって、便所に行きたくなった。叔母に行き方を案内された便

所は居間や寝室がある場所からかなり離れており、一人で行くには心細い。

続く廊下は、人ひとりが通れるぐらいの、細長いものだった。明かりのつい

ている寝室からどんどんと離れていくうちに、暗さは徐々に増して、ほとん

ど真っ暗になった。真っ暗な中を壁を伝いながら、だんだんと歩みが遅くな

る。何度となく後戻りしたくなるが、それでも勇気をふりしぼって、

前に前に進んだ。それらしい扉を開けると天井には裸電球がともった、

暗い便所になっていて気味が悪かった。正方形のかたい紙がプラスチックの

入れ物にはいっているのも見慣れなかった。

この便所の東側に「離れ」があって、戦後に家族を失った一人の身寄りのな

い女性を昔、居候させていたのだと昼間、母親が言っていた。その女性はも

う亡くなったらしいが食事中に顎を外した時に、自分で顎を動かしてなんと

か戻したのだと聞いて、粗野な方法でも何でもいいから、自分の力で何とか

しようとする田舎の人間のことを思った。

翌日、朝食を食べるために、美恵子と希恵が寝室から居間にくると、すで

に美恵子の母と祖母、叔母が食事の支度をして働いていた。土間なので、蠅

が多く飛んでは皿の上に止まったりしていた。その皿をみて嫌な気分になる

が、高い声で話し続ける叔母と腰の曲がった祖母の手前、「これ汚い。食べ

てもいいの?」と母親に聞くわけにもいかず口に出すのは遠慮した。

昼頃、大阪に帰る前に町の方に連れて行ってくれるということになった。叔

母は美恵子と希恵を連れて車を出し、ショッピングセンターに連れて行っ

た。小学生が好みそうな洒落た文房具や人形を指して、「どれでも好きなだ

け買っていいよ。」と言われた。

そういわれて素直に好きなだけ買うような年齢ではなかった。美恵子は遠慮

して鉛筆とメモ帳を買ってもらった。貴恵はぬいぐるみと透き通った引き出

しのついたケースを買ってもらったようだった。気弱な父が、大阪に帰るま

での時間、沈黙をもてあましたためだろうか、美恵子と希恵にテレビでやっ

ている人気番組の踊りを皆の前で披露するように言った。叔父と叔母の前で

踊るのが本当は恥ずかしかったから断りたかった。希恵は途中までは踊って

いる振りをして、要領よく別の部屋にいった。美恵子だけが、仕方なく大人

の言うことをきいた。それは美恵子にとって屈辱感を感じさせるものであっ

たが、叔父と叔母はその道化を極端に喜んだ。
 
庭の外飼いの大きな犬の声が響き、平屋のどこまでも続く、木塀の焼けた色

がしばらく目に焼き付いていた。

(わからないこと、知らないことがある。知らないほうがいいことがある。)

第二話に続く
 

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