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うさぎの胸腺腫 最終回

うさぎの胸腺腫    ④

あと1週間
獣医師に自宅での酸素室利用を勧められ、1週間ほど一緒にいられる時間を増やしてあげてと伝えられてから私達はある程度の覚悟をした。
在宅の夫が9割の世話をし、日中仕事でいないわたしは週末と毎日朝晩のご飯と酸素室の掃除だけのお世話になってしまったが、寝るときには「また明日」出勤前には「また後でね」と未来を約束するような言葉ばかりが口をついて出るようになっていった。

酸素室に入ってからステロイドの投薬量は増し、食欲増進剤は医師判断によって一旦中止していた。今は食欲よりも胸腺腫に注力すべきということだった。
それまでも食事量は日々減少していたが、投与を停止した後はフルーツグラノーラの干しブドウ、バナナと、少量の葉野菜しか食べなくなった。
毎食後、期待を込めて残されたペレットを測ってみるも0.1gとて減っておらず、そんな些細な量しか食べなくて身体は持つのかと不安ばかり大きくなる。
ペレットの種類を変えてみたらあるいは…といくつか試してみたが、どれも空振りに終わっていた。
思いつくことをあれこれと試行錯誤しながら日々を過ごすうち、気づけば病院で伝えられた1週間が経っていた。

生きている
体重は減少するものの、その他は現状維持の状態でなんとか1週間を越えた。
ステロイドが残り少なくなって病院へ行かねばならなかったが、酸素室から出て投薬する数分ですら呼吸は苦しそうで、病院までの移動に耐えられるとはとても思えずこれ以上の治療法がないならば診察での通院はもう辞めよう。そう夫と話し合った。
ステロイドだけ引き続き処方してもらい、変化があれば随時電話で指示をもらえるようにお願いしたが診療時間外には連絡がとれない不安がある。
近所に夜間緊急動物病院はあるのだが、具合が悪いからといっておいそれと酸素室から出すことができないジレンマに気づき、往診型の獣医師を探して連絡をとってみたところウサギも診察可能と返事をもらった。
素人2人の浅知恵でやれることには所詮限りがあって、更に知識がない
いざというときに獣医師が駆けつけてくれるという安心感は私達の精神安定剤としても大変有効なカードであったと思う。

余命宣告を越えて
1週間経過して状態が良くも悪くもあまり変わらなかったこともあって、私は独断で残っていた食欲増進剤の使用を再開することにした。
食欲増進剤を与え始めた当初、数量を間違って多めに与えてしまったことがあり慌てて医師に相談したのだが、少し与えすぎても問題がおこる薬ではないと言われたことが判断の決め手で、投薬量は以前の40%程度にし、一縷の望みをかけつつも無理のない範囲を心がけた。
最初はとくに何も変化は見られなかったが、数日経過しご飯の残量を測っているときにペレットが減っていることに気がついた。
ほんの少しづつではあるが日に日に食べた量が増していき10日程経ったとき、ついにペレット・グラノーラ・葉野菜すべてを完食した!
夫は顔色が良くなったような気がすると言うので毛なんですけど!って笑っていたら酸素室に入ると毛艶がよくなることがあるらしい。
食べることは生きること、生きてさえいれば結果がついてくる可能性もある
このまま完全に…とまでは言わずとも少しでも回復してくれたらと願っていた。

最後の食欲不振
喜んだのも束の間、一旦あがった食欲は2~3日ですぐにまた減退し始めた。
ウンコは日々小さく数少なくなっていき、更におしっこの色が濃くなって匂いが強くなってきていた。
常備しているアクアコールを水に溶かし与えるようにしたところ、水を飲む量が格段に増えおしっこは薄まり回数も増えたが、たまの食事とトイレ以外では殆ど動かず1日中ほぼ「おすわり」の体制でフセることも横になることもなかった。
胸腺腫自体に痛みはないと獣医師に言われていたが、腫瘍が大きくなるほどに呼吸が辛くなる様子で、恐らく上半身を床に近づけると腫瘍あたりになんらかの違和感を感じるか、お座りでいた方が呼吸が楽だったのだと思う。
それでも疲れてくるとなんとか香箱座りになり、コクリコクリと頭を垂れようとするのだが、一定より頭が下がると少し苦しそうに上を向いて起きることを繰り返していた。
呼吸は変わらず鼻呼吸で、そのタイミングで一緒に頭も振れてしまう状態が続いていた。

終焉
酸素室に入って1ヶ月程経った頃の晩にふと酸素室に目をやるとウサギが倒れる瞬間だった。
あ!と思わず声を上げ、夫もどうした!と酸素室を見る。
横向きに倒れバタバタと手足を動かしており、急いで酸素室のコードをマスクタイプへ付け替え夫に渡すと、ウサギを見ていた夫が起き上がったよと言う。
しばらく様子を見ていたが、どうやら毛繕いか何かをしようとしていてバランスを崩し倒れたようだった。
この頃になるとかなり痩せ細ってきていて筋肉も弱り、辛うじて自力で歩くことはできていたがヨロヨロと心許なく移動するようになっていた。
倒れた瞬間はいよいよかと心臓が飛び出しそうになったが堪えてくれている。もう見ているだけでも辛くなってしまうが、伝わってくる本人の頑張りが私達にとって唯一の原動力であった。

その翌日、それまで時間はかかっても食べきっていた野菜を残した。
いよいよ殆ど何も食べていない状態
自身を支えるほどの力もなく、足を伸ばした状態でお尻をつけて座っている
ただ顔が届く範囲での毛繕いは継続できていて、それを見るたびにまだ大丈夫と言い聞かせていたが、更にその翌日、今度こそ本当に倒れてしまった
もう食べ物は受け付けないし、投薬も苦しめるだけだとやめた。
命を繋いできた酸素室の扉を開け、チューブを酸素マスクに付け替えて横たわるうさぎの口元にあてがいながら1ヶ月ぶりに思う存分優しく撫でる。
随分痩せてしまった身体をあらためて感じながらも、呼吸に合わせて大きく上下するお腹がまだここにいると感じさせて愛おしく、私たちは声をかけ続けた。
余命1週間と言われ酸素室に入りそれから約1ヶ月、がんばってがんばって、頑張り倒して9歳と1ヶ月を迎えた朝、私達の息子うさぎのフィリップは息を引き取った。
夫が見送った。
最後まで起きあがろうとしていて、もう大丈夫だからと声を掛け撫でられながら逝ったと聞いてあぁ、良かったと安堵した。
ウサギの最期は壮絶だと見聞きしていたので、辛い最後を迎えたらずっと看病していた夫は自分を責めたりするのではないかと心配していたのだ。
私が見送りたかったのに、仕事に行く私を見送って逝ってしまった。
最後の最後まで立派なうさぎだった。

おわりに…
我が家のうさぎの闘病記を記録しようと思い立ったのは、うさぎの8%が胸腺腫になるということを知ってからだ
多数派ではない8%という数値のなかで、更にSNSではないネット上に記録を残していかれる飼い主はきっと多くない
我が家のうさぎがそうとわかったとき、わたしもネットを頼りに情報を集め、理解し、より良く対処しようとしたが圧倒的に情報量が足りないと感じたと同時に、記録を残してくださった先人たちにとても感謝した

コロナ渦において迎えられた小動物は前年の1.3倍の伸びであるという
個人的見解ではあるが犬や猫よりも飼育が容易く、ある程度の寿命が見込めるうさぎはこれからも徐々にペットとして迎えられることが増えていくように思う
今の所うさぎの胸腺腫は寛解のない病気だが、未来は明るいものであってほしいと切に願うと共に、後に続くウサギたちと飼い主にとって私達が残す記録が些細なことでも治療や緩和ケアの気づきに繋がったり、お役に立てれば嬉しい

うさぎの胸腺腫    ④


ネザーランドドワーフ(うさぎ)の胸腺腫闘病記 全4回