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叔母、について考える。

独り身の叔母がいる。

頭の回転も早く、好奇心も旺盛、人付き合いも気配りも抜かり無く、世間の常識(TVの作り出した常識)の世界を謳歌して生きている。
80歳を超えて尚、親戚が起こした小さな会社で経理の仕事もしている。そして華道の師範としても自分の才能を花開かせてキャリアも積み上げている。

そんな叔母にはこれまで、とてもとてもお世話になってきた。
感謝しきれない程、事あるごとに助けて貰った。
幼い頃から、可愛がって貰っているという安堵感や依存心が常にあり、お世話好きで情にも厚いため頼りにもしてきた。
頼れば頼るほどそれに的確に応えてくれる。
そんな判断力や考察力や知識や人脈もある。
そして加えて言えば、美人さんでお洒落だ。

そんな一つ一つの事柄は、絶え間ない探究や努力によって身に付けたものである事は想像できるし、様々な経験や苦労もしてきた事は知っている。

問題は、
その元来の激しい気性である。

叔母は自分の主張を槍の様にしばしば繰り出して来る。そして相手の意見を見事にシャットアウトする。どんな時も…という訳ではないけれど自分の考えを口に出さずにはいられない性分。
そのプライドと激しさで随分と周りの者は苦い想いをしてきた。姉である私の母もそれには辟易していた。

私も実は血筋なのか負けてはいないのだが、物心ついた頃から、この叔母を始め身内を(もう一人の叔母も違う激しさを持つ)反面教師にしながら慎しみや謙虚さを心掛けてきたつもりだ。しかしながら自分の中にある種の爆弾を抱えている事は承知している。良かれと思って伝えた事を後から後悔する事は度々である。

物質的価値観の強い叔母にとって私個人は特に自慢の対象ではない。叔母の価値観とは相反する人生を歩んできている。
だが、今は堅実に家庭を営み一応は社会的に胸を張れる生活を送っているし、色々な苦労も乗り越えた事も分かってくれているから一目置いてくれている様だ。
何より独り身の叔母にとっては近くに住む数少ない身内であるから…ん、きっと大事にしたい存在ではあるんだろうな。

そんな私と叔母は、これまでしばしば軽い衝突を繰り返して来た。
その槍の様な心無い主張で、何度か傷つけられてもきた。
たまらず声を荒げて感情をぶつけた事もある。
だから、ここ20年ほどは敢えて一定の距離をおいて接してきた。叔母は気づいてるかどうかは知らないが。

どうしても合わない人とは距離を置けば良いだけの事…例え身内であっても。そこに余計な感情は必要ないしお互いが責任主体で自律出来ていれば良い。

そんな中でも、会う必要のある時は、たまにお茶事などもする。


コロナ禍に入りたての頃、ある時、新しいワクチンの健康への悪影響の懸念を口にした途端に厳しい顔で跳ね返された。
「そんな事言っても私たち弱い立場の高齢者には必要だ!」と。

その後も一度、その件やTV報道の偏りなどについてやんわり言及してみたが、変な新興宗教の様だとこぼされてがっかりした。
…というか傷ついた。
ああ、そんな目で見ているんだね…と。

世間で起きているコロナ騒動への見解の違いによる大きな分断の縮図が正にここにあった。

それでも、心の何処かでは情報を共有して同じ目線であーだこーだと語り合いたかったなと今思う。分かり合える期待を持っていたんだと思う。


この度、亡き母の法要のため、叔母と我々夫婦と共に関東への一泊旅をする事になった。

叔母とは当たり障りのない話で見た目和やかに旅程は進んだ。

だかしかし、目的地へ着く寸前に私がついマズい話題を投げてしまった!
叔母は政治関係の話も好きなので、そっちに話が行かない様に気を付けていたにも関わらず…。(結局私がいけないのね)

それはインボイスからの消費税の話。
私が意見を軽く放った途端に槍が飛んできた!
強い否定からの…はい、シャットアウト。

叔母は長年、経理担当で会社を回してきた自負があるので尚更ムキになる。まぁ理解はできる。

引き攣った表情で「それぞれ考えがあるよね」と叔母は言う。
それなら穏やかに聞く耳くらいは持ってくれと思うが。
あんたなんかに何が分かるかとでも言いたげだ。または築いてきた価値観を壊される事への恐怖なのか。

よせば良いのに、その30分後、
「戯言だと思って消費税の話聞いてくれる?」と私。
これは半分は私自身の憤りを解消させるためでもあったと思う。(その後の旅を気分良く続けるために)
今思えば感情的だったし投げやりだった。

「今いい!疲れてる」と叔母。

終了。

でも、これで完全に踏ん切りがついた。
ある意味清々しいほどに。
この人とは心から何かを語りあう事はもう出来ないなと。

私とて自分が100%正しいとは思わないし主張を通そうとも思わない。ましてや相手の築いてきたプライドをぶち壊そうとも思ってない。
ただ、意見を交わしてこその対話であり、コミュニケーションだと思うから聞くだけ聞いて流してくれてもよいじゃないか。(それが出来ないから叔母なんだよね)

だが、いよいよもう、この叔母と「話」をするのは止めよう、諦めようと思った。
お互いのために。

親戚としてのお付き合いは最後までするけれど、それまで。

そして旅の終わりに叔母を家に送り届けた後、主人と意見を交わした。
(そうそう。意見を交わせる事の有り難さ)

叔母の気性。
実は他人や身内の陰口をいうところも昔からあり、それはいただけないという事。
そしてやはり、時に人の話を聞く耳を持たないのは残念なところだねと。
改めて夫婦共通の認識に至った。

さみしい事ではある。
きっと叔母は強い人間ではないんだろう。
80歳といえどもやはり学びの途中ではある。

それぞれに人生の旅を続けよう。

でもまあ、
これまで…沢山ありがとう。

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