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かっこよさは欠点から出る※ただしイケメンを除く

イケメンってずるい。
生物として強すぎる。輝いている。光っている。

街を歩けば賞賛されて、人と話せば愛される。女の子からおばあちゃん、男性や動物まで魅了する。まぁそりゃそうか。その存在自体が人に喜びを与えてしまう圧倒的ギバーなのだから。

ちなみにイケメンというのは、「顔の造形が美しく背丈と足の長い成人男性」だけを指すのではない。その人がその人らしく生きた結果、周囲の9割の人間から愛されてしまうような、そんな人間のことだ。木村拓哉とか、羽生結弦とか、芦田愛菜とか。大多数の人から愛されるために生まれてきたような、特殊生物たちだ。

人間1つくらいは短所を持ち合わせているが、イケメンに欠点なんてない。欠点すらも魅力だと思わせられてしまうくらいの、光を持ち合わせているからだ。失敗しようが踏み外そうが、全部プラスに変換される。

なんと羨ましい。世の中不公平だ。
私もイケメンになって、世の中の人に賞賛され、愛されたい。欠点すらも許されて生きていきたい!!

でもそんか願いは叶うはずもないので、毎日自分の弱点と向き合いながら、いそいそと生きていくしかない。いや、私だけではなく、世の中のほとんどの人はそうやって生きていくしかない。

だけど、イケメンには持っていないものを私たちは1つだけ持っている。それは欠点だ。

イケメンはこけたってかっこいいけど、私達はこけたらダサい。イケメンは何を着たって許されるが、私達は服装を選ばないとダサい。

イケメンだとご愛嬌で許される事柄は、凡人にとってただの欠点だ。凡人は失敗する度に自分の情けなさに打ちひしがれて、恥ずかしい思いをしなければならない。あぁ嫌だ。いつだってかっこよく生きたいのに。

でも、欠点から生まれた凡人のかっこよさは、時にイケメンを越えられる。

芸能人の下積み時代。メイク上手な人のすっぴん。経営者の借金話。目の前の優れた姿からは想像できない裏側。そういう泥臭さは、万人受けではないものの特定の人をグッと惹きつけるのではないか。はじめから優れたものは人の心を潤すが、泥臭いストーリーは人の心を動かす。

かっこよさとは何なのか。定義は人によってそれぞれだが、私は自分の欠落を向上心に置き換えて人生を切り開く様に圧倒的なかっこよさを感じる。その人が感じてきた絶望の深さと、目の前にいるその人の強さの対比に、歩んできた軌跡の奥深さを感じる。欠落があるからこそ人は強くなり、色っぽくなり、かっこよくなれる。

生まれながらに優れていることこそが正義とみなされる、そんな世の中の風潮があるけれど。私は自分の欠落をバネにできる人間でありたいし、他人の欠落から湧き出る部分に価値を見出せる人でありたいなぁと思います。

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