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世界の見え方は、気付かぬうちに変わってしまうのかも。
起きている時間の半分くらいは眉間に皺を寄せた顔をしている。別に機嫌が悪いわけじゃない、単純に目が悪いのだ。だけど視力に左右差があるため(いわゆる「ガチャ目」というやつ)なんとか裸眼でも日常生活がおくれており、4年前に眼鏡を無くして以来、数年買い直していなかった。
そろそろ眼鏡買わなきゃな〜とふと思い立っては5分後に忘れることを繰り返していたら、気づけば4年が経っていた。だけどそんな日々も今日でおしまい。私はついに新しい眼鏡を手に入れたのだ。
数年振りに眼鏡を掛けたその瞬間、今までは背景にすぎなかったコトたちが私の世界に思い切り飛び込んできた。のっぺらぼうだった人が笑っていて、建物の数が一気に増えた。そこには明確に世界が切り替わる瞬間があった。
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眼鏡をかけるみたいに、世界が切り替わる瞬間に気づくことができたらな、と思う。
人生はさしてドラマチックではない。昨日と同じ様な今日を迎え、きっと似たような明日を過ごしていく。だけどそれは全く同じ日常に見えて、ほんの数ミリずつ、確かに、変化し続けているのだと思う。
幼い頃は親の顎肉を見上げていたのに、今ははつむじを見下ろしている。大好きだったケーキが、もう沢山食べられない。対象はさして変わらずそこに在り続けているのに、その捉え方は時間と共に変わっていく。それは似た様な毎日を過ごす中でも、確かに私たちが変化をし続けている証明だ。
だけど気づくのはいつだって過ぎた後。日々の変化の差があまりにも小さすぎるが故に、世界が切り替わる瞬間に立ち会えないのだ。
いつのまに母の背を越したのだろうか。いつのまにクリームたっぷりのショートケーキではなく、フルーツケーキを選ぶ様になったのか。もし世界の見え方が変わる時、その瞬間に立ち会うことができたなら、もっと、もう見られない景色に想いを馳せることができるはずなのに。
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眼鏡を1時間かけているとじわじわと頭が痛くなってきた。眼鏡をかけ始めた時、視界が突然明瞭に見えることで、脳が処理をしきれずに頭痛が起こることがあるらしい。
もしも世界が切り替わる瞬間に毎度立ち会えたら、頭痛でおかしくなってしまうかもしれないから、振り返って懐かしむくらいが丁度いいのかもしれません。
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