見出し画像

沙羅双樹

沙羅双樹の花が見頃?
夏椿は白く花弁の薄さが儚げで好き。
その夏椿が、日本の気候にそぐわなかった本来の沙羅双樹に代わり
日本ではそう呼ばれていると知った。
まだまだ知らないことばかり。

その花は妙心寺の塔頭 東林院で見られる、なんて素敵。

宿坊も、いつか泊まってみたい。


榴花小禽図軸模写
なんちゃって


それで、妙心寺といえば、瓢鮎図、と思い出した。

日本美術の最初の授業が、瓢鮎図で、国宝で、瓢箪でナマズとか
得体の知れない世界だった。
だから妙心寺にあるとか、東博にあるとか気にしていなかったのだけれど、
気にしてみると存外楽しい。(実物は京都国立博物館に寄託されている)

妙心寺の他の塔頭のことも調べてまとめてみた。
太宰府の梵鐘と兄弟の黄鐘調(おうしきちょう)鐘が九州に来ていたとか
昨日知った。


山内図作るのに1週間もかかってしまった。

妙心寺の寺紋


花園紋(妙心寺八つ藤)

中心に菊の御紋があるので、天皇家(花園法皇)由来であること、
藤は藤原氏由来でしょうか。

明智風呂だったり、斎藤利三公の晒されていた首を引き取り弔ったりと
世をはばかり、禅林ではなく林下の所以なのか、大徳寺と同じく
何か高潔な印象を受る。
世界遺産にもなっていない(龍安寺さんは世界遺産ですが)のが不思議。


大燈国師、宗峰妙超(しゅほうみょうちょう)国師


こちらで見られます... :)

大燈国師名で知られている宗峰妙超国師の墨蹟「関山」道号(どうごう)は国宝に指定されている。花園法皇が帰依した僧で、大徳寺を開山し、妙心寺の名付け親。
関山字号は弟子の関山慧玄大師に与えたもので、花園法皇の離宮を寺に改めた開山するにあたり宗峰妙超国師が記した墨蹟。

徹底した修行の果て、「雲門関(うんもんかん)」の公案(こうあん)によりさとりを開いた関山慧玄(かんざんえげん)(無相大師)に、師の宗峰妙超(大燈国師(だいとうこくし)、1282〜1337)が授けた「関山(かんざん)」の道号と、道号に賦した詩の一種である頌(じゅ)からなる墨蹟。道号は、修行がある段階に達すると、師や目上の者から与えられるもので、これ以後、関山慧玄と称するようになりました。間近に実見すると、文字の筆致、行の流れとも、いたって自然な姿をみせ、その書風は、まるで青山(せいざん)の霊気のごとく、森厳(しんげん)さを湛えています。その神々しさに、宗峰妙超から関山慧玄に伝えられた禅風の一端を偲ぶこともできるでしょう。応仁の乱をはじめ妙心寺を襲った幾多の苦難を乗越え、護り伝えられた至宝中の至宝です。

九州国立博物館

妙心寺の算盤面

このあだ名みたいなのもおもしろい。

妙心寺の算盤面(そろばんづら)
東福寺の伽藍面
建仁寺の学問面
大徳寺の茶面
相国寺の声明面(しょうみょうづら)

徹底した組織運営を得意とし、臨済宗きっての巨大教団を形成した足跡から俗に「妙心寺の算盤面」と称された?

禅文化研究所紀要 第36号(令和5年5月)

https://www.zenbunka.or.jp/pub_etc/pub/docs/kiyou/036_06加藤.pdf


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?