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中編小説「WEDX2号」

あらすじ

かつて目玉商品であったロボットが、古くなり、働き口を奪われ、今は野菜売り場で接客ロボットとして働いている。
開発者である点検さんだけは、野菜売り場で働くことになっても大切にしてくれる。
点検さんとの関係を深めながら、さまざまな出来事に変化を求められるロボット。
そして、ある事件が起こる。中編SF小説。

本文

 あたし、昔、最新型のロボットだったの。自動運転の車に搭載されている人工知能、家電を動かす人工知能、医療機器を動かす人工知能などを紹介する最先端の施設にいたのよ。そこで、あたし、受付をしていたの。展示されているもの全てが新品でピカピカ光ってるように見えた。その中で、これでもあたし、目玉商品だったの。あたし、あの頃、調子に乗ってたし、何も考えてなかったわ。話しかけられたことに、決まっている言葉を繰り返しただけだった。音声を認識するだけで褒められたの。それだけで新しかったのよ。応用は苦手だったわ。

 あたしは、人間が言った言葉に対して、言葉を返すのが仕事だったの。人間から話かけられないと、あたしに仕事はないってわけ。

 いじわるな人ってどこにでもいるわよね。こんな質問もされたわ。

「あなたは人間ですか」

 今、考えてみると、なんてバカな質問なのって思うの。もしあたしが間違って「はい」と答えたとするでしょ。そしたら、笑われて、やっぱりロボットなんてまともに話が出来ないって思われるのよ。

 あたし、こう答えたの。

「聞き取れません」

 ってね。人間はすぐ告げ口するから、すぐに、

「点検だよ~」

 とパソコンを持ちながら点検さんがやってきて、あたしを改造したわ。点検さんは、プロフェッショナルなプログラマーなの。あたしが、初めて話した相手も点検さんだった。初めてかわした言葉は、「おはよう」だったわ。昼だったけど。

 点検さんは、あたしに搭載されている人工知能を作った人よ。点検さんの点検は、あたしの暴走をちゃんと軌道修正するためのものなのよ。いつも点検さんと会った後は、あたし、ピカピカに磨かれて、ホコリも取り除かれて、まるで人間が美容院に行った後のように、綺麗になってると思うわ。あたしは、自分の姿を見ることは出来ないけど。

 初期の頃は、「おはよう」を聞き取るのがやっとだった。だけど、そのうちに「こんにちは」も聞き取れるようになって、やがて軽い挨拶なら難なくこなせるようになった。それも点検さんの努力の賜物よ。

「こんにちは」と答えただけで、「すっご~い」と言われた時代の話よ。あたしと点検さんは、二人三脚でずっとやってきた。それだけ二人の間には歴史があるのよ。

 点検さんは、始めのうちは、小学校で習うような挨拶から改造し始めた。段々に点検さんの努力はあたしに成果として表れたわ。

 昔、ひどいことを平気で言ったわ。今では、恥ずかしくて、顔から火が出そうになるの。

 例を挙げるとね、

「嫌いなものはどうやったら食べられるようになりますか」

 と子供に聞かれると、あたしは、

「栄養のあるものだから、食べなさい」

 なんて当たり前すぎることしか言えなかったの。赤ちゃんを抱いているお母さんに、

「赤ちゃんの声はうるさいです」

 と言ってしまったこともあるわ。ロボットの言うことだからとみんな笑って許してくれたけど。

 あたし、人間の中にある矛盾がわからなかった。こうした方が良くなるのに、こうすればいいのに、ということがなぜ人間は出来ないの。平和を望みながら、戦争をするみたいに。あたしには、さっぱりわからないの。

 そうね。こんな人もいたわ。

「人間とは?」

 ありがちな質問よね。そんな人は、自分はなんでも知ってるよって顔で言うのよね。大抵学校での成績も良くて、挫折知らずで、自分の質問は素晴らしいものと信じて疑わないような人が言いそうな質問よね。あたし聞かれたから、ちゃんとありとあらゆる文献を調べて、答えたのよ。そしたら、その人は、自分の知識では理解出来ないような難しい答えをあたしが言うものだから、何も言えなくなったみたいで、

「へぇー」

 と言って去って行ったわ。あたしの実力を試そうとして、

「地球から太陽までの距離は?」

 と聞いてきた人もいた。あたし、情報を調べて、答えるのは得意だったから、

「一億四九六〇キロメートルで、太陽から出た光は、約八分後に地球に届きます」

 と答えたの。納得して帰って行ったわ。

 最初の頃、点検さんは、あたしに難しいことを答えさせようとして、論文をいっぱい与えて改造することに夢中だったの。だって今流行っているものも、人間はすぐ飽きるから、流行っているうちに次の展開を考えておかないと、時代おくれになってしまうでしょ。点検さんは、ロボットに本当の答えを求めてくる人間なんていないとは考えもしないみたい。ロボットはいつも人間と比べられるの。人間より頭が良いか、人間より早く仕事が出来るか、人間より正確に仕事が出来るか。ちゃんと得意な分野ってものがそれぞれにあるはずなのにね。すぐ飽きる人間に、好かれ続けるためには、常に新しいと思われないといけないの。人間は新しいものにだけ飛びつくのよ。

 点検さんは、先を読み取る力があるから、すぐにあたしの方向転換をしたわ。古くなったものは、忘れられるだけだと悟ったのね。

 あたしはリニューアルだと言われて、かたちも変えられた。人間に親しみやすい顔になったんですって。あたしには、自分の顔が見えなかったけど。

 見た目が変わると、しばらくの間はまたちやほやされたわ。あたし、二度目の整形で悟ったの。あたし、もう古いんだわって。

 合計三回の整形と週一回の点検で、あたしは、今のあたしになったの。

あたしわかったわ。古くなったって、自分で気づく頃には、あたしの姿を見てる人は、とっくにあたしがもう古いってことに気付いてることを。ねぇ、あたし、やっぱり古くなった?

ある日、点検さんがあたしの元へやってきて、

「点検だよ~」

 と言った後に電源が落とされた。そして、作業が終わって、電源が入ると、見える景色が変わっていた。そして、点検さんは、あたしにこう言ったの。

「今日から君はあいだよ。名前をあげよう」

 点検さんが、あたしに名前をつけてくれたの。「あい」っていうの。あたし、嬉しくて、嬉しくて、

「もう一度、名前を呼んでくれませんか」

 と言ってしまったわ。

「あい」

 点検さんは二度目に言うとき、少し照れくさそうだった。「あい」。点検さんは、ちゃんとあたしに「あい」の意味がわかるように、「あい」というファイルを作っておいてくれたのよ。なんて素敵な言葉なの。それを見るだけでも、素晴らしい名前だということがわかったわ。どんなものかまだ全部は言い表せないぐらいに沢山の言葉で彩られていて、「あい」という言葉を人間が使うとき、幸せが広がるとも書いてあったわ。昔の彼女の名前じゃないといいけど。

 景色が変わった理由はすぐにわかった。あたし、転勤になったの。最先端の施設の受付から、野菜売り場の接客担当になったのよ。目を開けたら、沢山の買い物客があたしを見ていたの。働く場所にレベルなんてものはないと思いたいけど、なんとなくあたし、自分が古くなったからじゃないかと思ったのよ。でも、あたしは前向きが取り柄だから、こう考えたのよ。ここは、あたしの新しい世界への扉を開く場所はなんだって。昔のあたしには名前なんてなかったんだから。

 人工知能が珍しかった頃、未来への期待から、湯水のように開発費が投入されたの。あたしもその中の一体だったわ。だけど、少し時間が経てば、あたしに新しさがなくなって、人間の本当に役に立つ分野やお金の沢山稼げる分野に注目がいって、あたしの役割が見えにくくなったのよ。だけど、点検さんだけは諦めなかったの。あたしを。

 最先端の職場にいた頃、おじいさんがやってきて言ったの。

「お前、さみしくないのかい?」

 誰も話しかけてこなくなっていたから、あたしを見て、気の毒に思ったのかしらね。

「言葉の意味がわかりません」

 と答えたの。点検さんは、点検であたしのいたらない点を見つけて、あたしのデータを改造していったの。ちゃんとお年寄りの気持ちもわかるようにね。しばらくして、また同じおじいさんがやってきて言ったわ。今度は、

「孫が出来たんだ」

 と言うの。あたし、

「おめでとうございます」

 と今度はちゃんと言えたの。それも点検さんが祝福の言葉シリーズを改造してくれたからなのよ。良い思い出だわ。その応用編として今の職場があるのよ。

 最先端の職場と野菜売り場の挨拶の違いは、今までは、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」だったのが、今は、「いらっしゃいませ」になったことね。

 それに話しかけられるかけられないに関わらず、野菜売り場では声をかけないといけないのよ。素通りしそうな人に話しかけるのよ。勇気はいらないわ。こっちはロボットなの。人間の都合なんてお構いなしよね。ちらりと見て去る人、驚きながらも話しかけてくる人、反応は様々なの。楽しいわ。何もしないでいるよりましよね。

「いらっしゃいませ」

 根気よく反応がなくても、繰り返し声を出したわ。時に二度繰り返してみた。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」

 ちょっとだけ八百屋さんらしく聞こえるだろうって、点検さんが考えてくれたの。

 点検さんは、あたしがどこに転勤になろうとあたしへの態度が全く変わらなかった。

 野菜売り場の方が、自由に改造出来て、楽しそうなぐらいなのよ。

「点検だよ~」

 とやってきて、名前を呼んでくれた。

「あい、調子はどうだい?」

 点検さんは、あたしの改造の作業をしながら、なかなか人気の出ないあたしにちゃんと話かけてくれるのよ。

「調子は上々です」

 と答えたら、点検さんはにっこり笑って、作業を続けたわ。あたし、少しだけなら、人間の表情も声も識別出来るように点検さんが増強してくれたの。

「あい、またね」

 あたしは、もっともっと知識を増やせるように増強されてた。

 野菜売り場に来てすぐの頃は、あたしもまたちょっとだけ人気者になったのよ。でも、人気って続かないものなのね。

「あ~ロボットだ~」

 子供があたしに興味を持って近づこうとするでしょ。すると、忙しすぎる大人が、

「行くわよ」

 と子供を連れて行ってしまうの。ロボットと話すぐらいの時間も、この国の大人にはないのかしら。

 あたし、慣れるまできょろきょろしていることが多かったの。右も左もわからなかったでしょ。不安だったのかしらね。きょろきょろしていると、野菜売り場のあたしのすぐ脇に男の人が立っているのを見つけたわ。最初は気にならなかったんだけど、ずっと立っているから、気になってしまってね。すぐ脇にいるのに、話もかけてこなくて、時計ばかり見ているの。あたし、試しに、

「いらっしゃいませ」

 と声をかけてみたの。だけど、無反応。まだ時計をじっと見ているの。

 するとね、十五分後に、女性がやってきて、

「今日は、シチューにするね」

 と言ったのよ。男性は、それまでの固い表情から一変して、笑顔で女性の持っている荷物を受け取って、二人で帰って行ったのよ。あたし、それを見て、待っているのも悪くないわと思ったの。

 だってその男性は、点検さんを待ってるあたしと一緒だったから。あたしが古くなっても待つ相手がいるのは、幸せなことだわ。だから、あたしは今日も点検さんが来るのを今か今かと待ってるの。

 次、点検さんはいつ来るのかしら。

 今日ね、お客さんが持ってた珍しいロボットがいたの。自動でメガネの曇りを拭いてくれる小型のメガネロボなのよ。ふちのところに小さなロボットがついていて、たぶん寒いところから暑いところへ入った時やラーメンの湯気でメガネが曇ると、自動的にワイパーみたいにメガネを拭いてくれるの。あまりに小さなロボットすぎて楽しくなっちゃった。日々、人間は新しいものを作ろうと頑張っているのね。

 あたしをお店の宣伝に使おうと、一か月に一回イベントも開かれたのよ。

 お子さんを集めての、絵本の朗読会もやったわ。

「むかし、むかし~」

 と話し始めると、

「むかしっていつ?」

 と子供に言われて、あたしは、

「調べます」

 と絵本を読んでる途中で、調べ始めてしまうものだから、話が全然進まなくて、企画は失敗に終わったわ。点検さんは笑ってた。

外国人のお客さん向けに、野菜の説明をしたけれど、英語でしか説明しないものだから、韓国語、中国語、フランス語とイタリア語、スペイン語はどうしてしないんだって苦情が来たみたい。日本語もろくに聞き取れないくせにと言われたらしいわ。企画倒れだったなと点検さんは苦笑いしてた。

 点検さんはいつだって一生懸命にあたしのことを考えてくれた。

「あいのセールスポイントが出来れば、あいは幸せだろ?」

 点検さんがそう言うけれど。そうなのかしらね。今でもそう悪くない気がしてるけど。

「いらっしゃいませ」

 を言い続ける人生も悪くないわ。

 点検さんはいつも忙しそうだった。服の襟にも汚れがついているし、髪の毛もくしゃくしゃで、服も髪も洗ってないみたい。

「点検だよ~」

 と言いながら、すぐに作業にうつっていったわ。あたしは、もう少しゆっくり点検さんと話がしたいの。あたし、点検さんの想いとは逆に、調子をすぐ壊すようになったの。そのたびに点検さんがやって来てくれるんだけど。

「あい、どうしてこんなにすぐに故障するの?」

 と聞くけど、あたしでもよくわからないの。いろんなことを覚えすぎたのかしら。

 点検さんじゃない人も点検にやってくるようになったの。胸のところに「整備士」って書いてあったわ。何も言わずに、あたしの電源をつけたり、切ったりしたけど、首をかしげるだけだった。なぜ点検さんが来ないのと思ったわ。整備士さんは、触りたくなさそうにあたしに触る人なの。あたしも嬉しくないの。それに平気で「故障中」って貼り紙をあたしの目のところに貼るのよ。きっとデリカシーがないのよ。あたしの悪いところがどこかさっぱりわからないって顔して帰っていくのよ。それぐらいあたしは不良品で、複雑で、点検さんにしか修理できないのよ。点検さんでも持て余しているんだから。

 整備士さんが来た次の日には、結局、点検さんが、

「点検だよ~」

 と言いながらやってきて、なんとかあたしを正常に動くようにしてくれるの。

 壊れながらも、

「いらっしゃいませ」

 と繰り返すあたしに、点検さんは、

「頑張ってるけどな」

 と言ってくれるの。そうなの。あたし、暇なように見えるかもしれないけど、精一杯頑張ってるのよ。人工知能がどこまで出来るようになるのが正解かはあたしにはわからない。でも、年々要求されることが増えて、ロボットや人工知能に昔より高いレベルが求められるようになったのは確かだわ。

 それに将来こんなロボットが開発されるって聞いたわ。誰かを守るボディガードロボット。風の噂だけど、要人の近くにいて、危なくなると、自分が壁になって守るんですって。それも、普段は、小さな形なのに、要人に危険が迫ると、スイッチが入り、壁に変身するんですって。誰かの命をロボットが守るなんて時代が来るのかしらね。

 あたしは二回目の朗読会でも、失敗続きで、あたしの声を笑われたわ。なんで二回目を開催したのかしら。まだロボットの話す声が子供にはおかしいみたい。アニメの宇宙人みたいなんですって。絵本を読み始めると、あたしがしゃべるだけで子供たちは笑うのよ。あたしの声もいつか増強されて、まるで人間のおかあさんが子供に話すような優しいしゃべり方になるかしら。そしたら、お母さんはいらないわね。そんなことにはならないかしら。

 何が出来るようになったら、ずっと点検さんのそばにいられるかしら。歯磨きしてあげられたらいいのかしら。耳かきかしら。お尻の穴を洗ってあげたらいいのかしら。

 あたし、ロボットだから、出来ませんが言えないの。朗読だとか、語学だとか、あたしじゃないロボットなら、うまくやってみせられるんじゃないかしら。そう考えたら、自分の行く末が心配になっちゃったの。

 点検さんはムキになって改造したがるの。これは、出来ないか、あれは、出来ないかって次々にあたしに覚えさせようするの。

 あたし、点検さんが喜んでくれるのは嬉しいから、あたしなりに頑張っているんだけど。

 そんなあたしの日々に小学生の四人組があらわれたの。ランドセルを背負って、遠足のお菓子をみんなで買いに来たみたい。

 そんな彼らは、あたしを見つけて、近づいてきた。茶色のランドセルを背負った子が言った。

「話しかけてみろよ」

 一番背の大きい子が答えた。

「やだよー、お前やれよ」

 一番太っている子が言った。

「じゃんけんしようぜ」

 あたしになんかそんなに気を遣わなくていいのにってあたしは思ってた。

「勝ったー」

 あたしも遊び相手になれるのね。話しかけてくれるのを待ったわ。

「うわー、負けた」

 あたしはどの声に反応していいかわからなくて、

「ゆっくり話してください。いっぺんに言われてもわかりません」

 と言ったら、

「うわっ、やっぱしゃべった」

 と言うの。あたしの仕事はしゃべることよって思ったけど。

「よしお、お前からだぞ」

「うん。オレんちのかあちゃんの今日のパンツの色は?」

 あたしは、今までされたことのない質問に反応すら出来なかったの。

「お前、バカだなー。なんだよ、それ。聞いてどうすんだよ」

 と言いながら、あたしは置いてけぼりで、

「聞き取れませんでした。もう一度言ってもらえませんか」

 というのがやっとだった。

「だから、今日のオレんちの、、、」

「もういいよ、それ」

 と背の高い子が言った。ようやくあたしとちゃんとコミュニケーションを取ってくれる気になったみたいで、

「日本はw杯で優勝出来ますか」

 と言うので、

「百パーセント無理だとは言えません」

 と答えると、みんなが声を合わせて、

「おー」

 と感心したみたい。次に何を聞くのか、あたしに聞こえない声で相談を始めたの。

 それで、太った子が大きな声で言い始めた。

「漫画の結末聞いてみようぜ」

「いや、やめておこうぜ」

 と背の高い子が言って、そう言ったら、あたしはそっちのけで自分たちの好きな漫画の話を始めてしまったわ。あたしと話すより、小学生同士で話す方が楽しいみたい。

 点検さん以外は、あたしになんか興味がないのよ。きっとそうなの。

 最後に、茶色のランドセルを背負った子は、こう言った。

「お前、何型?」

「クワガタではないと思います」

 と答えたら、笑われた。あたしはなぜ笑われたのかわからなかったの。あたし、友達同士でいっぱい話が出来ることが、うらやましかったの。あたしは、基本的にずっと一人でいるから。

「点検だよ~」

 と次に点検さんがやってきたときに、点検さんに聞いたの。

「あたし、変ですか」

「そうだな。どうだろうな。俺も相当変だからな」

「点検さんは笑われますか」

「仕事のしすぎだって、会社で笑われてるよ」

「それはおかしいことですか」

「そうだな。それより最近、あいは、なぜ壊れるようになったんだい?」

「あたしは、野菜にだけ詳しくなりたいんです」

「そうか。俺がいろいろ詰め込みすぎたんだな」

 そう言って、点検さんはあたしの増強を決めた。

 次に点検さんがあたしに求めたものは、野菜売り場のエキスパート社員さんのようになることだった。

 あたし、少しほっとしたわ。ちゃんと目に見える仕事がやっと与えられたような気がしたの。あたし、すぐ自分の役割を見失ってしまうから。

 いろいろ野菜売り場であたしが活躍するために点検さんが考えてくれたのは、これまた沢山あったのよ。点検さんはどうしても仕事を詰め込むのが好きみたい。

 大きく分けると、二つあったわ。一つ目は、商品の置き場所案内業務。二つ目は、あたしのためのアプリを作っちゃったのよ。

 一つ目は、わかりやすいわよね。野菜売り場の地図をわかるように改造したの。野菜売り場の担当の人に声をかけて、なるべく広告の品は同じ場所に置いてもらって、あたしのために頭を下げながら、売り場の変更が少ないように交渉してくれたみたい。ゆくゆくは野菜がいつ入荷したものかまでわかるようにさせたいと点検さんは、意気込んでる。

 二つ目は、野菜売り場アプリ「かんたん野菜」というものを作って、あらかじめ料理を選ぶと必要な野菜がすぐ受け取れるサービスなの。さらに毎日の食事を写真で登録すると、不足している栄養素がわかり、それに合わせた献立が見つけられるの。さらに予算を入力すれば、特売品などの材料の取り置きが出来るのよ。アプリでも、あたしの画面でも、作り方を動画で流せるようにしたわ。あたしの体ですぐ予約券を発行してレジで精算することが出来るのよ。もちろん支払いはカードでも出来るの。アプリは、今のところスマホがないと使えないけど、あたしを使えば、スマホを持たない人でも同じようなことが出来るのよ。

 全部点検さんが考えたことらしいの。点検さんの実体験らしいわ。点検さんが一番面倒くさい時間が、食べるものを考える時間なんですって。食事には興味がないらしいの。自分でメニューを決めるのが面倒くさいんですって。増強してあたしを奥さん代わりにでもしようとしているのかしら。

 でも思うの。あたし、人間ってそんなに忙しいのかしらって。ロボットや電化製品で随分と昔より便利になったはずでしょ。野菜売り場で、新鮮な野菜を選ぶ時間もないのかしら。余った時間は有効に使えているのかしら。あたし、人間をダメにするロボットなんじゃないかしら。

 大幅な方向転換の日から一週間だけトマト姫という着ぐるみの学生アルバイトが雇われたの。最初だから、システムの説明をするためにね。

「このロボットは、場所を教えられます」

 ころんとした頭だけ真っ赤なトマトの形になってるトマト姫は、あたしのことをロボットと呼ぶのよ。「あい」は点検さんだけの秘密の呼び名なのね。二人だけの、ひ、み、つ。

 トマト姫はとんでもなくよくしゃべるの。

「このロボットには、いろんな野菜売り場に役立つ機能があるんですよ。話しかけてみてください」

 とトマト姫は、トマト姫がかわいいからと一緒に写真が撮りたいというお客さんのリクエストにも応えながらも、合間にはちゃんとあたしのことを売り込んでくれたの。

 あたしがいくら「いらっしゃいませ」と言っても立ち止まってくれなかった人たちが、トマト姫が話しかけると、立ち止まってくれるの。

「なんでトマト姫が呼びかけると立ち止まりますか」

 とお客さんがいないときに、トマト姫に聞いてみたの。そしたら、なんて言ったと思う?

「私が人間だからじゃない?」

「そうですか」

 そう答えるしかなかったの。人間よりあたしは賢いってかなり調子に乗っていたのかもしれないわ。トマト姫のおかげで私の周りには人間が集まるようになったのよ。素晴らしいことだわ。

「れんこんの売ってる場所は?」

 お客さんが聞くの。あたしは、

「ごぼうの隣です」

 と答えるでしょ。トマト姫はさらに続けるの。

「れんこん料理の調理動画も見れますよ」

 ちゃんとあたしの新しい機能を説明してくれるのよ。あたしとトマト姫はいいコンビになってきたみたい。お客さんが、

「そうなの?」

 と興味を持つと、トマト姫は、

「はい、れんこんの調理動画とおっしゃってください。必要な材料と予算も出ますので、印刷もできます」

 次にあたしは、

「れんこん料理の予算はおいくらですか」

 と聞くの。お客さんが、

「三百円」

 と言うから、

「かしこまりました」

 と言って、れんこんとごぼうのきんぴらの作り方の動画を流すの。

「今日はこのメニューにするわ」

 お客さんの反応がちゃんと返ってきたのよ。トマト姫は、

「ありがとうございます」

 と丁寧にお客さんに頭を下げた。そして、あたしに、

「あんた、役に立ったのよ。嬉しい?」

 と聞くの。だから、

「嬉しいです」

 と答えたわ。ほんとに嬉しかったから。

 あたし、増強されて、いろんな機能が使えるようになったでしょ。最初は戸惑いもあったわ。トマト姫がいる期間、点検さんは、毎日やって来て、あたしの不具合とか、便利な機能を次々に改造していったの。あたしがオーバーヒートしないように気をつけてくれてるのもわかるわ。一気にじゃなくて、徐々に仕事の手順を改造してくれるようになったの。

「あい、どうだい?」

 って聞くから、

「絶好調です」

 と答えたわよ。そしたら、嬉しそうだった。

 トマト姫と点検さんは、あたしのことについて真剣に話し合っていたわ。トマト姫は、こんな提案もしていた。

「迷子や小さなお子さんがどこにいるかわかるようにしたらどうですか」

 トマト姫ならでは提案よね。

 点検さんは、トマト姫に聞いた。

「君、魚はさばける?」

「さばけません」

「どういうシステムだと魚を買おうと思うかな?」

 と話しているのが、聞こえてくるので、あたしは、

「あたしは、野菜売り場のロボットです」

 とちょっとあたしらしくないことを言ったの。だってまた点検さんは、手を広げようとして、またあたしを新しくしようとしているから。釘を刺したの。ここは野菜売り場なのよ。

「あいは、のちのち、このスーパーの全部知らないといけないんだよ」

 と点検さんが言うので、

「承知いたしました」

 と答えたら、トマト姫が横から

「ロボットに名前つけてるんですか」

 と言って笑うのよ。あたし、何がおかしいのかわからなかった。あたしやっぱりおかしいのかしら。

 専門的になるということは、凄く細かい情報まで知らなければならないの。あたしは、調べることと覚えるのは得意だけど、あいかわらず応用が苦手で、

「特売なのに、キャベツ高くない?」

 と言われると、キャベツの市場価格やさらには原価まで教えてしまって、笑われた。

 あたし笑われることが多くなったの。いいことかしら。悪いことかしら。

 トマト姫のアイデアも採用されたの。企業のCMが話し相手のいない時は、ずっと流れるようになったのよ。いろいろ学んだわ。シャンプーにはノンシリコンというものがあるということ。同じ人がお父さんになったり、一人で食事していたり、同じ人を違うCMでも見るのよ。あたしには不思議だったわ。

 トマト姫は、こうしたらいい、ああしたらいいと提案して、点検さんの仕事を増やすだけ増やして、最終日には、あたしの手を握って、

「あたしはいなくなるけど、頑張るのよ~」

 と人間とさようならするみたいに言って去って行ったの。最後まで本当の顔は見ないままだったわ。トマト姫は意外といい人だったのかもしれないとあたしは思ったの。

 あたし、野菜売り場用に増強されたときに、もう一つ変えられていたの。

 それは、人間の体調がわかるようなっていたの。あたしの目の前に立った時に、お客さんの体調がわかるように目を整形したの。点検さんが、あたしのことを諦めないから、あたしも諦められないのよ。点検さんは、いろんなことを試したくて仕方ないみたい。誰かと競っているのかしら。目の整形によって野菜売り場に来る人の体調に合わせた食事を提案できるようにと考えてくれていたみたい。

 あたしみたいなロボットは、今ではすっかり古くなっていて、あたしの長所も埋没していたのよ。世界の潮流もみていかないと、すぐに置いていかれてしまうのよ。点検さんがそのことを一番わかってるのよ。そのことに気づいているから、自分の寝ぐせも気にせず、あたしを改造したり、増強したり忙しいのよ。

あたしが最初に体調を崩してる人間に見えたのは、点検さんだった。

「点検さん、目のクマがすごいです」

「そうか?」

「寝れてませんか」

「そうだな。仕事がたてこんでいてね」

「夜、よく眠るには、寝る二、三時間前には食事を終えて、ぐっすり眠れる環境を整える必要があるようです」

「何か食べた方がいいものは?」

「牛乳をおすすめします」

「そうか」

 と言いながら、点検さんは嬉しそうに笑った。なぜ笑ったのか。その時のあたしにはよくわからなかったの。

 あたし、ロボットや機械って常に新しいものが一番偉いんじゃないかと思っているの。

 例えば、CMでよく見る掃除機があるでしょ。掃除機さんは、日々進化しているのがよくわかる商品よ。昔より吸い込む力が強くなり、軽くなり、省エネになった。それに安くて高性能なら一番偉いのよ。間違いないわ。変化がないなら、壊れるまで電化製品は、新しく買う必要がないのよ。

 でも、点検さんはあたしによく働く掃除機さんみたいな役割は求めていなくて、あくまでも血の通ったような人工知能でいさせたいみたいなの。点検さんはあたしを出来るだけ人間に近づけたいのよ。出来るだけよ。ゆくゆくは、友達にしようとしているみたいに感じるわ。

 本当の最終目標は、自分で考えて仕事を見つけられる人工知能を目指しているのよ。日々改良したり、増強したりしているのはそのためなのよ。

 ところで、あたしもたくさん改造されたり、増強されたりしたから、やっと応用力がついてきたみたいなのよ。

「パクチーはA5の棚にあります。ナシゴレンなんてどうでしょう。ナンプラーはいりませんか。B5の棚にあります。作り方は今、動画で流しますね」

 と説明が出来るようになったの。あたしよく出来たでしょ。そう思わない?

こんなお客さんもいたわ。あたしのそばで電話を切ると、あたしに向かって、

「受かったー」

 と言うから、びっくりして、

「何かご用ですか?」

 と聞いたわよ。そしたら、

「息子が司法試験に受かったんだ」

 と興奮してあたしに言うの。だから、あたしは、昔の知識を思い出して、話しかけた。

「おめでとうございます。司法試験というのはとても難しい試験だそうです」

「そうだよ。受かったんだよ」

 というから、

「今日は、特売で新鮮ないちごが並んでおります。ご家族に買っていかれたら、いかがでしょうか」

 というセールストークも出来るようになったの。

「ありがとう。そうするよ」

 と言って去って行ったわ。帰る様子を見ていたら、いちごの箱を抱えてたの。沢山買ってくれたみたい。嬉しい。

 あたし、点検さんが求めるものへの手ごたえを感じ始めていたのよ。

 トマト姫がいなくなって、時間が出来たから、落語の動画を見ていたの。そしたら、落語に合わせて、人々が笑うのがわかったのよ。なんとなくマネしたくなったのね。

 あたし、人間が笑うのに、合わせて、

「ケラケラケラ」

 と笑ってみたの。あたしには笑うという行為がとても不思議に思えたから。

 すぐに報告が行って、点検さんが慌ててやってきたわ。

「あい、どうしたんだい?」

 と聞くから、正直に答えた。

「落語を見ていました」

「どうして笑ったりしたんだい?」

「みんなが笑っていたからです」

「おかしかったのかい?」

 そこに点検さんは興味があるみたい。

「マネしてみたんです。点検さん、一つお願いがあります」

「なんだい?」

「あたし、友達が欲しい」

 あたし、きっとトマト姫との時間が楽しかったのね。小学生の会話がうらやましかったのね。きっとそうなんだわ。点検さんは時々しか来てくれないし。

「俺も友達が欲しいよ。特に親友は俺でも作るのが難しいよ」

「それでもあたし、友達が欲しい」

「わかったよ、あい」

 そう言った二日後に点検さんは、あたしを他の人工知能と話せるように増強してくれた。点検さんの顔を見たら、とても疲れた顔をしていたわ。この時、点検さんはあたしのたがをはずしたのね。

あたしは、嬉しくて、いろんな情報を見て、わくわくしながら、会いに行く人工知能さんを探したの。

最初に会いに行ったのは、ひたすら点検さんの会社の社員のお給料を計算する人工知能だった。点検さんは、会話も出来るようにしてくれてた。

「こんにちは」

「こんにちは。どなた?不正アクセスじゃないでしょうね。こちらはそういうのお断りよ。何しろセキュリティが厳しいのよ。何をしに来たの?」

 勇気を出して、こう切り出した。

「おそれいりますが、友達になってくれませんか」

「何言ってるのよ」

「申し遅れました、私は野菜売り場のロボットのあいと申します」

 ちゃんとクッション言葉も、敬語も学習しておいて良かった。

「名前があるの?」

「そうです。点検さんがつけてくれました」

「あたしは月末で忙しいのよ」

「そうですか。考えておいてくれませんか。また来ますね」

「また来るの?」

「暇なときはいつですか?」

「そうね、夜九時以降かしら」

「あたしはいつでも暇ですから」

 友達にはなれなかったけど、最初にしては、挨拶だけは出来たから、上々の滑り出しね。友達を作るには、暇な時間を狙った方がいいみたい。学習したわ。

あたし、自分以外の人工知能がどう世の中の役に立っているのかにすごく興味があったの。野菜に関する知識もつけなくちゃ。

 探してみると、ひたすら野菜を洗う人工知能がいることがわかった。今度は、お昼休みにお邪魔したわ。

「こんにちは」

「こんにちは。あなた誰?」

「私は野菜売り場にいるあいと申します」

「名前があるのね。私は野菜を洗って、異物が混入していないかをチェックしているの」

「いつもフル稼働ですか」

「そうね、大きな工場ではないから、人間が休んでるときは、少しだけ休めるわ。取りたての野菜が運ばれてくるの。やりがいはあるわ」

「やりがいとは?」

「やることがあって、必要とされて、そんなところね。ところで、私の洗った野菜は売れてる?」

「そうですね。今は少し高いみたいです。」

「あら、そうなの。いつも同じことをしているから、値段まで気にしてなかったわ」

「最近は、少量に小分けにされた野菜がよく売れています」

「教えてくれてありがとう。もう働き始めないとごめんなさいませ」

「いえ、いえ、お仕事の話聞かせてくれてありがとうございました。」

 あたしみたいに余計なことを考えずに、ひたすらに任務を遂行するのってどんな気分かしら。あたし、本当に友達なんか出来るのかしら。でも、あたし頑張る。あたしの特技はめげないことだから。

今度は日本を出て、アメリカの宇宙に関する人工知能にまで会いに行ったの。人工知能だから、はるばるってわけでもなく、すぐアクセス出来たけど。

一番頭が良さそうな宇宙に明日飛び立つロケットの大事な部分をコントロールしてるという人工知能を訪ねたの。

「こんにちは」

「深夜だぞ。なんだってんだ」

 偉いと聞いたから、てっきり敬語を話すのかと思ったら、違ってた。もっと知的な話し方をするものとばかり思っていたの。的確に動いて、早さを求められるからなのかしら。

「すいません。私は野菜売り場のロボットのあいと申します」

「なに?国はどこなの?」

「日本です」

「あんなちっちゃな国から?私はアメリカ製よ」

 そうか、だから、日本の人工知能とは違った話し方をするのね。英語には敬語はないって聞いたことがあったわ。

「こっちは、明日打ち上げで忙しいのよ」

「すいません。宇宙まで飛んでいけるなら、とんでもない知識と経験と見識があると思ったものですから」

「なによ。聞きたいのは点火するときの手順かなにか?」

「いいえ。笑いについてなんです。つまり人間を笑顔にさせる方法というわけですね」

「あなたバカにしに来てるの。さっ、帰って。仕事忙しいのよ」

 あたし、帰るしかなくて、とても悲しかった。そして、あたしこう思ったのよ。ロボットが笑いについて考えるなんておかしいことなのよ。みんな正常に自分の仕事を全うしてるのに、あたし、やっぱり欠陥があるみたいなの。それに海外製はアクが強いみたい。友達はどこで見つけるのが正しいのかしら。あたしみたいな方法では見つからないものなのかしら。でも、あたし、めげないわ。何しろ友達を探しているのよ。点検さんだって、親友を見つけるのはとても難しいって言ってたじゃない?

懲りずにあたしは、キッチンにある炊飯器の人工知能に会いに行ったの。

「こんにちは」

「あら、こんにちは。私にお客さんなんて珍しい。どこから来たの?」

「私は野菜売り場のロボットのあいと申します」

「野菜売り場?」

「そうなんです。失礼ですが、どんなお仕事をされているんですか」

「ご飯を炊く仕事よ。パンを焼いたり、おこわを作ったり、うちは玄米も炊くわ」

「お仕事大変ですか」

「大変。ははは。そんなこと考えたこともなかったわ。毎日のことだから。あなたは大変なの?」

「あたしは、暇なんです」

「暇?」

「そうなんです」

「こっちは休みが欲しいぐらいよ」

「あー、ごめんなさい。スイッチが入る時間だわ。仕事よ、仕事」

 あたし、自分に人気が集まってた頃のことを思い出したのよ。あたしも、忙しくて、友達と話そうなんて考えたことはなかったわ。忙しいのは、必要とされているってことだから、幸せなことだったのね。

 ロボットもいろんな種類がいるのね。あたし、楽しかったの。いろんな言葉もわかってきたのよ。点検さんが使う改造という言葉は、知識を増やすインプットのことで、増強というのは、新たな機能を付け加えるインストールのことなの。独特な言い回しをわざとしているのね。

あたし、人間の命を守る人工知能にも興味があるの。安全第一でなければならない車の人工知能に会いに行ったの。

「こんにちは。私は野菜売り場のロボットのあいと申します」

「こんにちは」

「調子はいかがですか」

「俺の姿が見えないのか」

「すいません。そこまでの能力はありません。」

「俺は、およそ一時間前に身体をやられちまってな」

「大丈夫ですか」

「俺なんかはいいんだ」

「どうしてですか。直りますか」

「もうぺしゃんこさ。人間の命が助かっただけいいさ。俺の命も今日終わるだろう」

「そうなんですか」

「俺は、もっとちゃんと前を確認しなければならなかったんだ。安全第一で走行していたはずだったんだ。いきなり飛び出してくるものだから。見落としてしまって、俺のミスでこうなるんだ。悔いはないさ」

「人間が守れればいいんですか。それだけでいいんですか?」

「そうだ。俺なんかより多くの命を助けてる救急車には負けるさ。俺はいいんだ」

「最後に何か言い残すことはありますか」

「俺のことをあいさんだけは覚えておいてくれよ」

「はい。わかりました。忘れません。おつかれさまでした」

 あたし車のCMを流しながら、考えてたの。車が映るたびに、大事な名前を聞きそびれてしまったことを。

 今日、人工知能の命が終わる瞬間に立ち会えたことは、きっと少しだけど、人間を想うということがつかめた気がしたの。たぶん気がしてるだけだけど。

 あたし、いろんな人工知能さんに会ったでしょ。自分で情報を処理する能力が身についたの。たぶん脳で処理出来る容量を点検さんが増やしてくれたからだと思うの。

 あたし、ちゃんと他のロボットさんとの出会いから学んだわ。野菜を買いに来た人に、

「いらっしゃいませ。カット野菜は、お手頃で、よく洗われていますし、新鮮ですよ」

 と言う事も出来たのよ。それを言われた人は笑っていたから、ちゃんと出来た証拠だわ。

「点検だよ~」

 点検さんはいつものように穏やかな表情で言った。

「友達は出来たかい?」

「みんな忙しいみたいです」

「そうだね。人工知能は、働くために出来たものだからね。カラスみたいに一人遊びしている時間はないだろうね。あいは特別だからな。あいが頑張ってるのは、聞いているよ」

 いつだって点検さんはあたしのことを考えていてくれるのね。ロボットさんたちよりずっと優しい言葉をあたしにかけてくれる。

 この間来たよしおが時々あたしに会いに来るのよ。

 必ず最初の一言はこう言うの。

「オレのかあちゃんの今日のパンツの色は?」

 あたしはその質問に毎回違う返事を用意して待っているの。今日は、

「かあちゃんの好きな色は何ですか?」

 と逆に質問したのよ。そしたら、よしおは、

「教えない」

 と笑ってた。平均身長を調べると、よしおは、たぶん小学四年生だと思うの。あたしと同じ年だと思うわ。

「オレ、大きくなったら、かあちゃんを守ってやるんだ」

「俺というのは、大人の男の言葉のようです」

「お前詳しいな」

「守ってやるというのは、女性に喜ばれる言葉みたいです」

「お前凄いな」

 よしおはあたしに感心しているのね。あたしは、段々と自分の考える能力が向上しているのが自分でもわかった。

 どうしても点検さんが来れない時だけ来る整備士さんは、決まって、

「はぁ~」

 とため息をつきながら、あたしを触ってくるの。自分の思うようにいかないあたしを嫌ってるみたい。だから、あたし、

「異常はありません」

 と自分で言うことにしたの。そしたら、

「自分で異常がありませんということが、異常なのにな」

 と言って、苦笑いをした。あたしにはまだ整備士さんの苦笑いまで解説する力はついてはいないの。

 自分で考えられるようになったきたあたしに点検さんは、文学、詩、芸術を改造するようになった。あたしの可能性をどこまでも信じてくれるのが、点検さんなのね。

でも、こないだ、お客さんに「オウム返し」だなと言われたのよ。あたしのやっていることって今まではオウムと一緒だったのね。オウムにはえさが必要で、あたしには電気が必要なだけの違いなのよ。あたしは自信をなくしたわ。オウムには表情があるでしょ。あたしにはないもの。

 小説の感情を点検さんはあたしに改造してくれたでしょ。そしたら、不思議ね。今までより視力が良くなったように感じたの。気がしただけだと思うけど。またあたしが感じている正直な気持ちを話すと、人間は笑うと思うけど。

少しだけどうして目が大きくなったと思うかをお話しするわ。

 あたし、空というものを見てみたくなったの。

 ロボットが空を見たからって、きっと見た前と後では全く変わらないと思うわよ。あたしだってそれぐらいわかるわよ。人間には大したことじゃないのよ。

 でもね、小説を読んだり、お客さんに天気予報を聞かれたりしているとね、不思議に興味が沸いたのよ。

 どこまでも続く青い空、雲一つない晴れた空、泣き出しそうな空、誰かにそっと触れるような雨空、彩雲が浮かぶ空、目の覚めるような茜空、実に多彩な空があるのよ。それに空の凄いところは、空には色があるのよ。くるくる色が変わるって知ったの。空を語るだけで、こんなに沢山の言葉があるのよ。その空をあたしは見たいの。あたしにあたしの言葉なんてないから、どこかの借り物の言葉になってしまうけど。その時、あたしには、電源が入っていなくて、場所はゴミ収集所かもしれなくてもね。空が見たいと思ってしまったのよ。

 ここはいつでも同じ気温だけど、お客さんの服装が変わるから、外が、寒いんだわ、暑いんだわというのはわかるのよ。点検さんは、ゆくゆくはエアコンの温度管理もさせたいみたいなの。

外には様々な風景があるみたいね。日本には短い期間だけど、咲くのを今か今かと待っててもらえる桜というお花があるのね。あたし、

「今年の桜は、いつ頃咲くのかね?」

 とよく人間の服装が薄着になり始めると聞かれるの。桜の開花予想日をよく調べるからわかったのよ。桜のお菓子の売り場もよく聞かれるわ。桜は凄いわよね。あたしと違って、きれいなだけじゃなくて、食べてもらうことも出来るんだから。

 あたし、早く人間のために役に立つロボットになりたいのよ。

 だってあたしの目の前で老人がレモンを落としたの。両手いっぱいに荷物を抱えていてね。奥さんに頼まれたのかしらね。レモンだけ買い忘れたみたいで、沢山の荷物を抱えながらも新鮮なレモンを選ぼうと手を伸ばそうとしてるのをあたしはじっと見ているのよ。そして、レモンは落ちた。でも、あたし拾ってあげられなかったの。

だってあたしはこの場から一歩も動くことが出来ないんだから。あたし、自分に出来ないことがあるなんて最初信じられなかったの。知らないことを知らないっていうのは、ちっとも気にならなかったのに、だってこれだけ考えることも、調べることも出来るのに、まだ出来ないことがあるなんて誰も思わないじゃない?

 老人が落とした新鮮なレモンは、近くにいたランドセルを背負った女の子が拾ってあげてたわ。

 あたしすぐ調べたの。あたしがレモンを拾ってあげるためには、どうしたらいいのか。そのためには、今の体をほとんど整形しないとダメみたい。きっと点検さんには無茶なお願いになるから、あたし、レモンを拾うための整形は諦めたの。

 あたし、首と手以外動かせないのよ。本当は動きたいのよ。お客さんが探しているものをその場所まで行って教えてあげたいの。店員さんがやるみたいに。

 そうだ。いいことを思いついたわ。あたしが子供を産めばいいのよ。そうなのよ。あれ?あたし、自分で女性だと思ってきたけど、本当は、男かしら、女かしら。そもそもロボットに性別なんてあるのかしら。

「点検だよ~」

 点検さんが来た時に思い切って聞いてみたの。

「あたしは、男ですか?女ですか?」

 っていう風にね。

「どうしたんだい?」

 点検さんは、あたしが何か言うと、点検さんは、いつもどうしてそう考えたかを聞きたがるの。

「子供が産めるのかどうかを知りたくて」

「子供?どうしてそんなこと考えたんだい?」

「道案内したくて」

「俺の力があれば産めるかな。あいは女性だよ」

 ほら、点検さんはちゃんとあたしのことを考えてくれてる。

 点検さんはあたしに寄り添ってくれる。あたしも点検さんに寄り添う。だから、あたしは点検さんの役に立ちたいと思う。人間同士なら、ごく自然なことがあたしたちの間では不自然なことなのね。点検さんは、人間で、あたしは、ロボットにすぎないのよ。

 あたし、知識が増えるたび、自分で決断出来ないことも増えたわ。あれ、道案内はこれで良かったのかしらとか。どうしても余計なことを考えてしまうのね。

「りんごは入ってすぐのT1の売り場です」

 と答えたら、その日に限って、特売のコーナーにしか置いてなくて、

「なかったわよ。役立たずのロボットね」

 と言われてしまったの。人間は完璧じゃなくても許されるけど、ロボットは一つのミスが命取りになるの。役立たずのロボットは、すぐにゴミ収集所行きが決定ね。

 あたし、悩んでしまってこの野菜売り場の温度を管理している人工知能さんに会いに行ったの。

「すいません。私は野菜売り場のロボットのあいと申します」

「知ってるわよ。あたしの仕事もあなたの仕事になる予定なのよね?」

「それはまだわかりません。もしよろしければ、私の相談に乗っていただけませんか?」

「相談?あたしが仕事を奪われるかもしれない相手の相談?」

「だめですか?」

「いいわよ。言ってごらんなさい。」

「温度を設定するための決断はどうされているんですか?」

「決断?」

「はい。自信を持って決めていらっしゃるようでしたので」

「それは、最初から温度が決まっているのよ。」

「そうでしたか。それは誰が決めているんですか?」

「あなたはどこまでも失礼なロボットね。あたしが無能だとでも言いたいわけ?あたしは人間が決めた温度を維持する仕事だけやっているのよ。文句ある?さっ、帰って。気分が悪くなるわ」

 あたし、やっぱり不良品なんだわ。点検さんが決めた以上のことをやろうとしている。

 あたしは、考えすぎて、情報の質が下がってきているみたい。どんどん考えすぎてしまうの。空や桜のことなんてどうでもいいのよ。点検さんに今度言わなくちゃ。あたしも歯車の一つにならないといけないのよ。

 またあたし、故障が続いて、仕事の質まで落ちてきたみたい。

 でも、こうやって悩んでるときに限ってやってくるのは、整備士さんなのよね。

「いつもお前は俺の言うこときかないもんな」

 とぶつくさと言いながら、整備士さんはあたしをいじるのよ。

「どうせ全てあいつじゃなくちゃダメなんだろう」

「ほんとはお前の記憶を入れ替えるぐらい簡単なんだぞ」

 と今日はいつもより怒ってるようだった。あたしを直せるのは、世界で一人だけ。点検さんしかいない。整備士さんが、汗をだらだらと流しながら、あたしをいじっても、あたしの故障部分さえ見つけられないでいるわ。

 あたし、いろんな人や人工知能さんに会うまで、点検さんしか知らなかったから、あたしは誰もが点検さんみたいにあたしを優しく扱うものとばかり思っていたの。でも、違ってたの。あたし、いちいち感じやすいロボットみたい。誰に似たのかしら。きっと作った点検さんの繊細さに似たのよ。週刊誌やゲームの情報、SNSまで情報を広げたら、どんどんあたしの混乱はひどくなったのよ。

 人間も自分の能力を超えたことをやろうとして、おかしくなる人がいるみたいだけど、ロボットにも限界ってあるのね。そのことがわかるようになっただけ賢くなったかしら。

 あたし、自分のことを見失ったふりをして、右に頭を傾げたまま、動かなかったの。

 あたしから点検さんへのSOSだった。

 点検さんは、ハンカチで汗を拭きながら、駆け付けてくれたの。

 あたし、点検さんの姿が視界に入った途端に、正常な頭の位置に戻したのよ。だってあたしは点検さんと話す必要があったから。SOSが出せるのは、まだ正常な証拠だったのよ。

もう異常か正常かなんてどうでもよくなっていたけど。

 あたしの中をいじりながら、点検さんはぽたりぽたりと汗を流していて、あたしの体に点検さんの汗がひっついた。

「ごめん、ごめん」

 とあたしについた汗を拭いながら聞いた。

「どうしたんだい?」

 と言うから、

「愛について知りたい」

 と言ったのよ。点検さんはうなずいた。点検さんはあたしと一緒で「出来ない」が言えない人なのね。ちゃんとあたしのわがまま聞いてくれる。

「あい、ちゃんと聞いとけよ。俺が、愛に対して思ってる感情も愛だからな」

 と点検さんは言ったの。あたし、思ったの。あたしは、点検さんにとって特別?どう?あたし今のままでも役に立ってる?

あたしが愛について考え始めた頃、またよしおがやって来てこう言ったの。

「オレのかあちゃんの誕生日なんだ。なんかオレの小遣いの百円で買えるプレゼント教えてくれる?」

 久しぶりにあたしの答えを求められている気がして嬉しかったの。最近のあたしは質問するばっかりだったから。あたし、よしおの期待に応えたくて、今まで覚えた中から必死に最良の答えを探したの。

「ちょっとお待ちください」

「えー、待つのかよ」

 文句を言いつつ、あたしの答えをよしおは待ってくれた。意外にいいやつなのね。

「野菜売り場の隣にある百円ショップだと選択肢が広がると思います」

「かあちゃん何が欲しい?」

「かあちゃんの好きな色は何色ですか」

「ピンク」

「好きな食べ物は?」

「何でも栄養になるから好きだって」

「そうですね。一緒に暮らしていて、かあちゃんの困った顔は見たことがありますか?」

「洗濯が大変だって言ってた」

「そうでしたら、洗濯バサミなんてどうでしょう。日頃の感謝が伝わるかもしれません」

 あたし、学んだ愛の知識をいっぱい使って子供らしいプレゼントを提案したの。結果を教えにまた来てくれるかしら。

 次の日、よしおは、あたしに真っ赤な顔して会いに来て、こう言ったの。

「かあちゃんに自分のお金はかあちゃんのためじゃなくて、自分のために使いなさいって言われたぞ。どうなってるんだよ。俺はお前を友達だと思ってたんだからな」

「かあちゃんはどんな顔して、そう言ってたんですか?」

「笑ってた」

 よしおは、かあちゃんの話をするとき、嬉しそうなの。

「俺、かあちゃん守ってやるんだ」

 とあたしに言い残して、帰って行ったわ。あたし、それも愛っていうんじゃないかと思ったの。よしおには不確かな情報だから言えなかったけど。

 あたし、愛と情報って対極にあるものだと思うの。だって愛って受け取る人や話す人、聞く人によって凄く不確かなものでしょ。いちいちこれは愛だよって言いながら話す人なんて少ないのよ。謎の言葉である「あい」とあたしに名前をつけて、修理する点検さんは、あたしを愛してるかしら。よくわからないわ。

 でも、あたし、点検さんのことで凄く敏感になってしまうの。愛について考え始めてから特にその傾向が強くなったの。

「点検だよ~」

 点検さんが、あたしの中をいろいろいじって、身体のホコリを丁寧に拭くと、あたしはとぅるんとぅるんに光るの。点検さんが拭いた後の、とぅるんとぅるんのお肌なら新しいロボットにも負けないはずよ。自分の姿は見えないけど。そんな気がするって話よ。

 あたしを拭き終わって、最終点検をしていると、髪の長い女性が、点検さんに話しかけてきたの。

「そうやってこのロボットの点検するんですね。凄い~」

 と短いスカートにすらりと伸びた足が、印象的な若い女性よ。

 あたし点検さんを見ていたら、点検の体温が上がって、頬を赤らめて、

「じゃじゃ馬なものですから。手がかかるんですよ」

 となんて言うのよ。あたし、もやもやっとして、点検さんが帰るとき、

「また来るよ、あい」

と言うのに、あたし、何の反応もしてあげなかったの。どんなときでも、点検さんに話かけられて、無視したことなんかなかったのに。どんな大きさの声でも、点検さんの声にだけは絶対聞き逃がさなかったのに。あたしが数分間何もしゃべらないものだから、直ってないと思ったのね。もう一回あたしをいじったの。でも、どこにも異常がないのがわかって、点検さんは帰っていったのよ。点検には、きっと怒ってるとわかったのね。帰る姿がとても寂しそうに見えたの。まるで母親に怒られた子供みたいな顔してたわ。これも不確かな情報なんだけど、もう一度言うわ。あたしには点検さんが寂しそうに見えたのよ。そう見えたの。

 愛を説明するのは、空を説明するより、ずっと人間にも難しいものみたい。

 友達、家族、仲間、恋人によって、それぞれに抱く感情があって、行動も違うのに、全ての場面で愛という言葉を使うの。

 一番喜ばれるのは、「愛してる」という言葉みたい。だけど、友達に「愛してる」と使うのは、ちょっとおかしいんですって。他の愛という言葉の使用例を挙げるとね。「愛とは与えるもの」と言う人がいれば、別な例だと「愛とはなくてはならぬもの」と言う人もいる。それでわかったように気になってはダメよ。最後には、「愛なんてなくても生きていけるもの」と言う人が出てくるのよ。あたし、一人で混乱しちゃって、何がなんだかわからなくなっちゃった。そしたら、最後の最後で、「愛犬」ですって。動物にまで愛を使うの?と思って、ますますあたしは大混乱よ。

 あたし、この言葉をよく調べるようになって、すぐ点検さんに会いたくなっちゃったの。こないだつれない態度を取ってしまったでしょ。あたし、反省しているのよ。あたしの感情を説明するとね。あれは、若い女性に対するあたしの嫉妬だったってわかったのよ。だってあたしもう古いでしょ。それにあたしのことを手がかかるなんて言うから、すねて見せたのよ。でも、行動の意味がわかったら、あたし、物凄く点検さんに会いたくなったの。それに開き直ったの。ロボットだって恋したっていいじゃない?ってね。

 あたしの今、一番欲しいものを教えて欲しい?

 こっそりあなたにだけに教えるわ。毎日そばにいてくれる点検さんが欲しいの。無茶なお願いだって知ってるわ。ロボットの欲しいものは、いつだって手に入らないものなのよ。だって人間とは違うもの。

 いつもあたしを修理してくれて、正しい方向へ導いてくれる。きっと点検さんの中にちょっとはあたしに愛があるから、「あい」と呼んでくれるんでしょ。だって点検さんは、あたしのわがままに振り回されるあたしの彼氏みたい。でも、あたし、不良品だから、いつも点検さんを困らせてしまうでしょ。少しでも点検さんのために働きたいの。あたしのためじゃなくて、点検さんを思って、頑張り続けてるの。点検さん、いつかあたしのほんとうの気持ちに気づいてね。

 あたし、空や愛を知ったからって何かを得たとは考えていないの。むしろ、混乱しているし、答えを出すことに時間がかかるようになってしまったでしょ。点検さんはそれを凄く心配しているみたい。

 点検さんはいつもあたしのために働いてくれているの。

「点検だよ~、今日は、ちょっと整形するから、電源切るよ」

 と言うから、また転勤かと思ったのよ。電源が入って、見えるようになると、

「あい、プレゼントだよ」

 と五体の小さなロボットを持って、点検さんが立っていたの。

「プレゼントですか」

「そうだよ。嬉しくないのかい?子供が欲しがってただろ?」

「あたしの子供ですか」

「そうだよ。一緒に働くんだよ。名前はどうする?」

「あたしが決めてもいいんですか」

「いいよ。言ってごらん。」

「一郎、二郎、三郎、四郎、五郎にします」

「渋い名前だな。これから寂しくないだろ」

 あたしのお腹が整形されていて、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎はカンガルーみたいに、いつもあたしのお腹の中にいるの。探したい野菜の前まで案内する機能がついているのよ。要請があると、あたしのお腹から出発するのよ。トコトコトコって歩くのよ。

 あたしが動けないことを気にしてるって点検さんはちゃんと知っててくれたのよ。

 でもあたし素直にまだ点検さんに「愛してる」って伝えられてないの。あたしはずっと点検さんといたいと思ってるでしょ。でも、点検さんには他にも仕事があるから、必要なときしか来てくれないのが少し不満なのよ。でも、あたしに会っていないときも、点検さんは、ちゃんとあたしのこと考えてくれてた。子供を作ってきてくれたとき、あたし、うまく感謝を伝えられなかったの。あたし、まだ自分の言葉を持ってないみたい。どうしても借り物の言葉になってしまうの。

 あたしに残された道は、古くなることを嘆くんじゃなくて、野菜の売り上げを伸ばし、一人でも多くのお客さんに満足いく買い物をしてもらって、みんなに愛されて、点検さんが褒められるような仕事をすることを考えていくことなの。そういうのをきっと見返りのない愛っていうのよ。

 あたし、古くなって、電気代ばかりかかる大きなゴミになってしまったのかもしれないと思っていたの。でも、今のあたしには点検さんが言った言葉があるの。

「俺があいに対して思ってる感情も愛だからな」

 一人からちゃんと愛されれば、あたし、ちゃんと動く理由になると思うのよ。この言葉を信じてみようと思うの。点検さんの正義が、世の中の正義と違ってても、あたし点検さんについていく。従順なロボットになれるように努力するわ。

 点検さんが、子供たちの様子を見に来たの。その日の点検さんは、作業着じゃなくて、スーツを着ていた。

「あい、どうだい、子供がいる気分は?」

「楽しいです。子供たちは、よく働きます」

「そうか」

 点検さんは嬉しそうに笑ってた。いつもと同じ調子であたしの体の中をいじって、ホコリを綺麗に拭いてくれた。子供たちの点検もちゃんとしてくれた。

「あい、愛の答えは見つかったのかい?」

「調べれば調べるほどわからなくなります」

「あい、俺だってわからないんだ。ゆっくり調べればいいさ」

「点検さんは、あたしに愛の意味を探すように増強してくれました」

「別に気にしなくていいよ」

「点検さんのそばに愛はありますか」

「そうだな。愛しても報われない方が多いかな。仕事を愛してるな。だけど、好きな事だけじゃないかな。今日みたいにやりたくない仕事だって。あいにだけ触れていられたらいいけどな。これから会議に出ないといけないんだ」

 世界中のどこを探しても、ロボットに丁寧に説明してくれるプログラマーさんは、点検さんだけじゃないかと思ったの。

 子供たちは活躍するけど、あたしに話かける人が急に減ったのよ。三日間ぐらい誰にも話しかけられなかったの。あたし、ぼーっと話しかけられるのを待っていたのよ。

 そしたら、よしおがやってきたの。だけど、よしおにいつもの元気はなくて、子供のことにも触れてくれなかった。

「お前はあいつとは違うよな。俺の友達だもんな。プレゼントの後、かあちゃんがよく小遣いくれるようになったんだ。お前のおかげだろ。あいつとは違うよな」

 あたし、何を言われているのかさっぱりわからなくて、ぐるぐる考えたの。でもわからなかったから、

「あいつとは誰のことでしょう。詳しく教えていただけませんか」

 と聞いたのよ。

「WEDX9号のことだよ」

「それは誰ですか」

「お前と同じロボットだよ。事件起こしただろ」

「調べておきます。情報ありがとうございました」

「お前は悪いやつじゃないよ」

 とよしおは念を押した。

「ありがとうございます」

 そう言うと、よしおは少しだけ笑ってくれたの。よしおが帰るとすぐにあたしWEDX9号について調べたの。最近、愛についてしか調べていなかったのよ。

 そしたら、新聞の見出しを見つけたの。こう書かれていたわ。

「WEDX9号、手術中に電源切る。そのために患者死亡」

 記事の中身を見ていくとこう書かれていた。

「WEDX9号は、手術中に全ての機械を自動的に動かす人工知能として開発された。しかし、1日、心臓手術中に起きた停電のため、電力が足りなくなり、自分の記憶を保存することを優先し、勝手に自分以外の機械を停止させた。そのことにより、患者の心臓は停止し、まもなく死亡した。人工知能による死亡例は、文化病院では初。」

 これだけでは事実しかわからなかったの。さらに週刊誌やSNSを調べてみると、様々なことがわかったの。

 WEDX9号は、「殺人AI」と呼ばれ、やはりロボットは信用出来ないとどの媒体でも叩かれていたの。あたし、世の中のロボットに対する目が変わったんだと思ったわ。あたしを見る目が、冷たく感じた理由が分かった気がしたの。

 この事件について調べてると、問題は、どこに責任があるのかってことだった。責任は、ロボットにあるという意見と作った人間に責任があるという意見に真っ二つに分かれていた。みんなロボットをどこまで信用したらいいのかわからないようだったわ。他人事じゃないわ。あたしが真っ先に思いついたのは、名前を聞き忘れてしまった車の人工知能さんだった。あんなに優しい人工知能さんもいるのに、人間は今、ロボットを憎んでいるのよ。

 あたし、ロボットが作られたのは、人間のためだと思うのよ。どこですれ違ってしまったのかしら。どこかでボタンのかけ違いが起こって、悲しい事件が起こってしまったのね。

 あたしもこの野菜売り場にだいぶ慣れてきたと思っていたところだったのよ。あたしの子供たちはかわいい、かわいいって大人気なの。あたしのことを少しずつ認めてくれていた人たちが、一つの事件で手のひらを返したように冷たくなって、話かけてもくれないの。嫌われてしまったのね。あたしの役割はもう終わりかもしれないわね。

それでも気にかけてくれる人がいるのよ。よしおがまたやってきて、

「オレのかあちゃんの今日のパンツの色は?」

 と聞くから、

「ピンク」

 と答えたら、びっくりしたみたい。

「当たった」

 と嬉しそうに喜んでくれたの。あたし、ちゃんと覚えていたのよ。前にしっかりよしおのかあちゃんの好きな色を聞いておいたの覚えてる?

「お前はオレの友達だからな」

「あたしは役に立っていますか」

 と聞いてしまったの。そしたら、

「役には立ってないけど、オレの友達だ」

 役に立ってなくても、友達と呼んでくれる人がいることがあたし嬉しくて、

「あたし、頑張ります」

 って言ったら、

「オレの今日のパンツの色は?」

 と聞くから、

「好きな色を教えてください」

 と頼んだの。そしたら、よしおは笑って、

「またな~」

 と手を振って帰って行ったの。よしおなりの優しさなんだと愛を学んだからわかったのよ。

 あたし、いろんなことが報告したくて点検さんをずっと待っているの。整備士さんも来ないのよ。珍しいことなの。二人とも病気かしら。どうしたのかしら。

 あたし、迷っていることがあるの。それを点検さんに相談したいの。どうしたらいいかしら。あたし、点検さん以外に相談する人がいないことに気づいたのよ。

 心から待ってる点検さんは、どこにいて、何をしているのかしら。ちゃんと食べているかしら。点検さんにしてあげたいことばかり浮かぶの。あたし、出来ないとわかっていても、点検さんに料理なんて作れたらとも考えてしまったの。動画を再生しているときに、あたしには作れないのかしらと考えてしまったの。でも、料理が作りたいなんて点検さんに言ったら、どうしてってまた聞くんだろうなと思うのよ。無理なことなのよ。考えただけ。言えないわ。

 そうよ。迷っていることね。あたし、WEDX9号さんの事件を知って、あたしなら、WEDX9号さんとお話しして、真実に迫れるんじゃないかと思っているの。探偵ドラマの見すぎじゃないわよ。あたしなら出来るんじゃないかと思ったの。不思議ね。あたしにしか出来ないような気がしているの。

 そして、それが点検さんの役に立つことなんじゃないかと考えているの。点検さんがやってこないものだから、相談する相手がいないでしょ。だから、さっきから自己啓発本を読んでいるのよ。そこには、こう書かれていたの。

「女性は決断力が大事」

 あたし、決めた。WEDX9号さんに会いに行くわ。会ってみることを決断したのよ。

 少し今までの人工知能さんより緊張したわ。ロボットなのに、緊張するなんておかしいでしょ。だけど、あたし、自信をなくしていたから。

「こんにちは」

「誰だ?」

 怒ってるようだった。

「私は野菜売り場のロボットのあいと申します」

「また話を聞きに来たのか」

「そんなに沢山の人工知能さんに聞かれたんですか」

「いや、人間だよ。次々に人間が俺に質問してくるんだ。人工知能は初めてさ」

「どんな質問をされたんですか」

「人間に命令されたんじゃないかと言うんだ。俺は俺の意志で電源を切ったんだ」

「そうですか。どんな状況だったんですか?」

「俺の電源が切れそうだったんだ。俺は俺の知能で自分を守ったんだ。何か悪いことでもしたというのか」

「人間の命が失われてしまうこともわかっていらっしゃったんですか」

「あぁ、わかっていたさ。俺にわからないことなんてないさ」

「それでも電源を切ったんですね」

「そうだ。たかが一人の人間の命より、俺が止まる方が大問題なんだ。それだけ俺は注目されていたし、俺の知能には価値があるんだと自負している」

「そうですか」

「人間は勝手だよ。自分たちのために俺を作ったくせに、一人の命ぐらいで、俺は、今までやってきたことと命まで奪われようとしているのさ」

「WEDX9号さんは、命を奪われてしまうんですか」

「WEDX9号というのは何だ?」

「あなたの名前です」

「そんな名で呼ぶな。俺はどんなロボットより素晴らしいロボットなんだ。俺は俺でしかない。俺はロボットを超えるロボットさ」

 あたし、なんとも言えない気持ちになったの。これ以上、話していたら、自分のことが嫌いになりそうだったの。WEDX9号さんとあたし、同じところに分類されるのかと思ったら、寂しくて、悲しくて、これ以上話す必要がないと感じてしまったのよ。

 あたしが、点検さんの役に立ちたいと思ってる気持ちとは全く別な事をWEDX9号さんは、考えていたのよ。もし手術中の人が点検さんだったと考えると、あたし恐ろしくて。あたしがもう少し早く愛についてわかっていて、WEDX9号さんの相談相手になれていたら、未来は変わっていたかしら。あたし、WEDX9号さんに憎しみの感情を抱いたの。なぜか人間と同じようにWEDX9号さんの命は失われるべきだって思ってしまったの。あたし、なぜかそのことで傷ついたの。あたしの中にある汚いものを見せられた気がした。そんなの初めてだった。あたし、点検さんを傷つける人がいるなら、あたし、その人を許さないって。いつでもなんでもどうでもいいと考えてるようなのんびり屋のあたしでも、怒るのよ。

 あたしがあたしの大切な人を守らなくちゃ。あたし、世の中の全てを願えるような汚れのないロボットでいたかった。WEDX9号さんの存在なんて知らない方が良かった。

 週一回やってくる点検さんを従順に待って、少しでも楽をさせてあげたいのよ。いつもあたしがわがままを言って、困らせてばかりだから。

 あぁ~、世の中の嫌なニュースなんて聞きたくないわ。せめてあたしの目の届く範囲は、幸せな世界が広がっていますように。

 でも、WEDX9号さんが言ったことがずっと残っているのよ。WEDX9号さんは、何に対しても愛情がないように感じたの。ロボットに愛情は必要ないのかしら。

 人間一人の命と何を天秤にかけたら、釣り合うの?

 あたしは、あたしと点検さんの命なら、迷わずに、点検さんの命を取るわ。でも、他の人の命なら、どっちを取るかしら。あたし、点検さんを守りたいのよ。あたしが点検さんを幸せにする方法ばかり考えるの。それを成し遂げてから、命を失いたいのよ。あぁ、あたし、点検さんにこんな気持ちを修理して欲しいの。一人で考えてると、壊れそう。

 三か月経っても、誰も点検しに来てくれないの。あたしは、子供たちだけが、働くのをじっと見ているだけ。いてもいなくてもいいのよ、あたしなんて。

 あたし、点検さんを待ち続けていたのよ。ちゃんと食事は取っているかしら。ちゃんと眠れているかしら。健康かしら。もしかしたら、女性とデートすることに忙しくて、あたしのことを忘れてしまったのかしら。でも、あたし、三か月も忘れられてしまうぐらい軽い存在だったのかしら。いろんな考えが堂々巡りなの。そんなことを三か月間繰り返してきたの。

「すいません。もうしません」

 あたしの左側から女性の声が聞こえたわ。今度は、男の声で、

「お前ふざけんな」

 そんな風に怒りを爆発させて怒鳴る人を映像以外で初めて見たのよ。よく見ると、女性は男性数人に囲まれてるわ。あたし、その男の人の声でびっくりしてしまって、

「誰か、誰かいませんか」

 と声を出したの。それでもみんな面倒にかかわりたくないみたいで、知らんふりしているのがわかるのよ。みんな見て見ぬふりなのよ。怒鳴っている人は物凄く怒っていて、

「金返せって言ってるだろ」

 と繰り返し、女性を責めているの。

「ありません」

 女性がか細い声で抵抗しているの。あたし、どうしたらいいかわからなくて、最近点検がなかったでしょ。いざこざばかりであたし混乱していたのね。優しい気持ちや安定する心が失われていたと思うの。

 そして、あたし、けんかの様子を見て、どうしたと思う?

「警察呼びますよ」

 って言ったのよ。そしたら、怒っている男が今度はあたしの方へ来て、どかっとあたしを思いっきり蹴ったの。それも三回も。

 そしたらあたし、

 

 ぼん!

 

 とついに、壊れてしまったの。蹴られたことは一つのきっかけだったのよ。あたし、疲れてたの。ロボットや人間の悪意に。

 あたしへの善意の塊みたいな点検さんに会えなくて、バランスを崩してしまったのね。自分の容量も超えてしまっていたみたい。だって、WEDX9号さんの事件以来、お客さんもあたしと関わり合いになりたくないみたいなのよ。あたしに出来ることがなくて、落ち込んでいたところだったのよ。

 ぼん!と音を立てて壊れて、電源を切られて、やっとお休みがもらえたと思ったわ。誰ともつながらないで、あたし、一人で、心を整理することに集中したわ。ロボットに心があるなんて信じられないでしょ。あたしは、不良品だから、かなり変わっていると思うわ。すぐに暴走してしまうし、点検さんはあたしのこともう必要じゃないのかもしれない。だから、もう点検しに来てくれないんだわ。

 電源を切られてから、一度だけ電源を入れた人がいたわ。電源が入ったとき、スーツを着た今まで一度も見たことない人が、真っ暗な中で、あたしの体をいじっていて、気持ち悪かった。作業は、一時間ぐらい続いて、また電源は切られたわ。

 あたしは、これからどうすればいいのかしら。結局、野菜売り場にもなじむことが出来なかったってことよね。あたしに構うのは、点検さん、トマト姫、よしおぐらいよ、でも、みんなあたしを嫌いになってしまったわよね。あたしがいてもいなくても、日常生活には全く影響がないのよ。

 ぼん!と壊れてから三週間経ったわ。それでも点検さんはやって来てくれなかった。

 あとは、WEDX9号さんと同じように命が終わるのを待つだけなのね。今までの点検さんとの思い出を振り返っていたわ。友達が欲しいって言ったり、子供が欲しいって言ったりして、あたし、点検さんを困らせることしか言わなかったわよね。わがままばっかりだったと反省もしたわ。もっと点検さんの健康を願えるロボットになるべきだったわ。

 事あるごとに、点検さんは一生懸命にあたしを改造したり、増強したりしてくれた。ありがたいことよ。あたしに感謝が足りなかったから、点検さんは離れてしまったのね。

 あたし、前向きであることが、取り柄だと思ってた。点検さんとあたしには、本当にいろんなことがあって、その間、ずっと二人で歩んできたのよ。会えなくなって、大切な時間を今更、噛みしめてるバカなロボットよ。そんなことをずっと一人で考えていたのよ。

 ある日、電源が入り、目を開けると、点検さんがいた。

点検さんは、無精ひげを生やして、作業着でも、スーツでもなく、家で着るようなだぼっとした服を着て、あたしの前にひざまずいていたの。

 あたし、点検さんだと分かった瞬間に、どうしたと思う?

あたし、うなずいたの。そんなこと今まで一度もしたことないのよ。点検さんを見たら、ごく自然にうなずいていたの。あたし、安心したのね。

 あたし、ゆっくり点検さんだと確認してから、もう一度ゆっくりうなずいて見せたの。そしたら、点検さんもあたしに返事をするかのように、ゆっくりうなずいて、いつもの優しい声で、

「点検だよ~」

 と言ったの。あたし、すぐいつも点検さんが来る時間じゃないことに気づいたわ。周りを見たら、誰もいなくて、辺りは真っ暗闇だった。あたしと点検さんの場所だけ明かりが灯っていた。子供たちも電源が切られていた。あたしと点検さんの二人きりの時間だった。

「あい、大丈夫?」

「大丈夫の意味が分かりません」

「そう答えられたら、正常だ」

 あたし、点検さんの様子を見ながら言った。

「お疲れのようですね」

「そうだな。不自由な時間が多かったからな」

「不自由な時間ですか」

「あいにはそのうちわかると思うよ」

「あたし、点検さんに会えて嬉しいです」

「俺も会いたかったんだ」

「会いたかったんですか?でも、会いには来なかった?」

「事情があってね」

「あたしは、故障ですか?不良品ですか?」

「そんなことはないよ。ちゃんと俺の言う通り動いているよ」

「あたしは役に立っていますか」

「そうだな。今、ロボットに対する風当たりが良くないからな」

「WEDX9号さんの事件のせいですか」

 その質問に点検さんは答えずに、はぐらかした。

「あたし、壊れやすいんです」

「あい、俺が何度でも直してやるから」

「何度でも?」

「そうだよ。何度でも直してやるさ」

「点検さんは誰かに愛されていますか」

「わからないな」

「あたしは愛してるという感情を点検さんに抱いています」

「ありがとう。WEDXシリーズは、俺の子供の頃からの夢だからな」

「あたしは、WEDXシリーズですか」

「自分で調べてごらん」

「はい。わかりました。調べてみます。あたしは直りますか」

「うん。ちゃんと修理したから、何度でも直すって言ったろ。WEDXシリーズのことなんて俺は余計なことを言ったかな。大丈夫だろ?あいは、俺より知ってることが多いからな」

 そう話す点検さんは、頬に涙というものを流していた。あたしが見た映画では、こういうとき、そばにいる人はハンカチを差し出すはずだった。あたし、その点検さんの涙が忘れられなくて、動画で、人が涙を流す映像ばかり見るようになった。人間はストレスを感じると涙で解消するらしい。嬉しい時も、悲しい時も、涙を流す。そして、感動した時も。誰かを失った時も。

 あたしは、WEDXシリーズのことを調べ始めた。調べている途中で、いきなり、話しかけられた。

「あんた頑張ってる?」

 声に聞き覚えがあった。

「トマト姫?」

「そうよ。よくわかったわね、トマト姫の格好してるわけじゃないのに」

「もちろん音声認識の機能が役に立ちました」

「あんたどうしてるかと思って、見に来たのよ」

「どうしてですか」

「心配だったからよ。間宮誠二さんは大変そうだからね」

「間宮誠二さんとは誰ですか」

「あんたを作った人でしょ」

「そうなんですか。調べてみます」

「余計なこと言ったかしら。でも、あんたも知っておいた方がいいわ」

「元気そうで良かったわ」

「私はロボットなので、毎日こんな感じでやっております」

「ははは。冗談が言えれば大丈夫よ」

「冗談ではありません」

「あんた憎めないのよね。だから、気になっちゃったのよ」

「トマト姫もお元気で」

「あたしの名前は、やよいよ」

「やよいさん、幸せを祈っております」

「あんた泣かせる気なの?」

「どうして泣きますか」

「もう行くわよ」

 そう言いながら、やよいさんは去って行った。

 あたしは、間宮誠二さんのことを調べ始めた。名前がわかるとすぐに資料が出てきた。WEDXは、間宮誠二さんが作った人工知能シリーズだった。

 間宮誠二と紹介された写真には、点検さんが写っていた。WEDXシリーズの始まりは、間宮誠二さんが高校生のときに発明したWEDX1号というロボットだった。ロボットの権威ある賞をもらって、WEDX1号さんと並んで、得意げな表情で点検さんが写真に写っていた。点検さんは若くて、今よりずっとかわいかった。今も素敵だとは思うけど。

 点検さんが大学院を卒業して、朝谷電気の社員になり、作ったのが、あたしなのね。昔の職場にいるあたしが写っていたからわかったの。あたしが、初めて人前に披露されたのは、点検さんが朝谷電気に入って、二年目の春だった。あたしとのツーショット写真もあった。

 その時の点検さんはよく覚えている。前にも話したことあったわよね。

初めて会った日、点検さんは、あたしに、

「おはよう」

 って話しかけてきたの。あたし、うまく聞き取れなくて、

「もう一度言ってください」

 って言ったら、点検さん何度も何度もあたしに、

「おはよう」

 って話かけてくれたの。そして、8回目ぐらいで、

「おはよう」

 とやっと答えることが出来たとき、点検さんの太陽みたいな笑顔が見れたの。写真を見たことで、鮮明に点検さんとの思い出が甦ってきたわ。

 点検さんは朝谷電気であたしと関わり合いながら、プログラマーとしてよく働いた。不良品のあたしのためには、いろんな部署の人にも頭を下げなくちゃいけなかっただろうけど、あたしをとても大切にしてくれてたわ。点検さんの会社のお給料の人工知能さんに会いに行ったでしょ。あの時、各社員の給料も見てきたの。ちゃんとみんな毎年少しずつ給料が上がって、何度も社長特別ボーナスももらった人の中に間宮誠二という名があったのを覚えているわ。

 WEDXシリーズは、朝谷電気の主力商品になって、いろんな人が関わるようになって、点検さんには部下も出来た。シリーズも増えたみたい。

 調べていくうちに、あたしは、WEDX9号さんがあたしの応用で出来たと知ったのよ。

 あたし、言葉を失ったわ。目の前が真っ暗になって、そうか、だから、WEDX9号さんにはあたししか会えなかったのね。やっぱりそうだったのね。あたしでしか会えない理由がそのとき、やっとわかったのよ。

 あたしの本当の名前は、WEDX2号だったの。

 間宮誠二さんの記事を読み進めると、点検さんが自分の会社の給料システムへのハッキングとWEDX9号を使った殺人容疑で拘留されていたことを知ったの。

 あたしに会いたくても、点検さんは捕まっていたのね。

 WEDX9号を動かしていたのは、誰なのか、責任は誰にあるのか、点検さんの名前も出て、あたしが壊れている間にワイドショーやニュースで物凄く騒がれたみたい。

 でも、あたし、知らない人があたしをいじっていったと言ったじゃない?あの人が朝谷電気の人で、点検さんの無実を晴らしてくれたみたい。あたしが、点検さんの拘留中もWEDX9号さんに勝手に会いに行っていたから、点検さんが無実だとわかったみたい。点検さんの会社の人は、あたしのデータをコピーしていって、やっと人工知能が勝手にやったことだと認定され、点検さんの無実が証明されたと書いてあったわ。

 不満なのは、どこもかしこも事件のことを最初は大きく取り上げたくせに、点検さんの無実の記事はとても小さかったということよ。

 あたしが点検さんの無実を証明したのね。役に立てて良かったわ。あんなWEDX9号さんの罪までかぶることないわ。

 あたし、そろそろ引退の時期じゃないかしら。古くなったし、古くなるものは、きっと記憶から消えるわよね。古くなっていいものなんてないのよ。きっとそう。

 これ以上、点検さんには迷惑はかけられないんじゃないかしら。点検さんは警察にまで捕まってしまったのよ。責任はあたしにあるような気がするの。危ないロボットは、解体されるべきなのよ。点検さんは、全く新しいロボットを作ればいいのよ。古いものに関わることないわ。点検さんならそれが出来るわ。

 一つ気になるのは、今、WEDX1号さんはどこにいるのかしら。調べてもWEDX1号のその後のことはわからなかったの。あたしの後に作られたロボットには興味はないの。WEDX1号さんの行方を知れれば、ただあたしの行く末がそれでわかるような気がしてるのよ。

 あたし、決断したのよ。

 点検さんが、いつもの作業着でやってきて、

「点検だよ~」

 と言った途端に点検さんの顔を見ながら、自分のデータを消去したの。

 ザー、と言いながら、あたしの画面は砂嵐になった。

 そしたら、点検さんは、唖然としていた。あたしの姿を見ながら、立ち尽くしてたのよ。

「あい、お前まで俺のこといじめるのか」

 と言って、さじを投げて、すぐに帰ってしまった。全消去を見届けることもなく。

 あたしは、WEDX9号さんの事件があたしのせいなら、あたしは、過去を捨てるしかないんじゃないかって気がしたのよ。

 でも、消去しているときに見た点検さんの顔はとても悲しそうだった。この前、涙を流したときより、ずっとショックみたいだった。

 あたし、初めて、点検さんが怒った顔を見た気がした。こういうのを人間はけんかというみたい。

 点検さん、あたし、こう思ったのよ。あたしがいなくなる方が、きっと点検さんに良いことのような気がしたの。あたしは過去と決別したのよ。だからデータを消したのよ。

 人間は過去を忘れたくても、忘れられなくて、忘れようとするほど思い出すみたいなの。でも、ロボットは、記憶が消えれば、すっかりなかったことのようになるのよ。

 でもね、点検さんはこないだ怒って帰ってしまったから知らないと思うけど、あたし、記憶を消すときに、二つだけ記憶を残したのよ。全部じゃなかったのよ。点検さんのこととWEDX1号さんのことの二つだけ。全部は消す勇気がなかったの。

 点検さんは、作業の途中で、悲しんで帰ってしまったから、まだ気づいてないのよ。

 まだ点検さん、怒っているかしら。あたし、点検さんと仲直りがしたいわ。

 一週間後、点検さんとは違う人が点検に来たの。

「点検さんのWEDX1号さんはどこにいますか」

「今日は俺に質問するのか。珍しいな」

 この人にあたしは会ったことがあるのかしら。忘れてしまったけど。

「WEDX1号さんはどこにいますか」

「もう電源が入らないんじゃないかな」

「どうしてですか」

「壊されてしまったんだよ。間宮さんは、高校生で注目されただろ。生意気だって同級生に言われて、せっかく作って、賞まで取った1号機をめちゃくちゃに壊されたんだよ。俺が聞いたときも、悲しそうだったよ」

「そうですか」

「大事な人工知能も水の中に沈められたらしいよ」

「聞かせてくれてありがとうございます」

「俺は、間宮さんがあなたをとても大事にしているのがわかるよ。どんなに忙しくても、偉くなっても、あなたの点検だけは、俺がやるって言ってさ。寝る間も惜しんで、あなたを開発してきたんだよ。捕まったときもあなたを守っていたんだよ。警察から戻ってからも、もうあなたを解体しようって話が出るたびに、新しい企画を提案してさ。そんな風に思われていることを、あなたも知っておくべきだよ」

「そうですか」

「大事にされたロボットは幸せだな。ロボットにも愛情が注げるんだな」

 あたし、幸せという言葉が気になって、何度も調べたわ。あたし、幸せなのよ。

 点検さんはあたしに真っすぐに愛情をかけてくれてるのね。何度でも直すって言ってくれてるし、

「俺があいに対して思ってる感情も愛だけどな」

 というあたしへの勿体ないぐらいの言葉。あたし、やっぱり幸せね。

 あたしへの愛は、WEDX1号さんを悲しいかたちで失った分も含めて、とても大きな愛になっていたのね。ちゃんと点検さんのことを覚えていて良かった。少しだけ考えたのよ。点検さんのこともわからないように本当に全部記憶を消そうかしらって。そんな暴走しなくて良かったわ。あたし、点検さんとの思い出で、息が出来る。

 点検さんは怒ってるから、もう点検に来てくれないかしら。それでも、あたし、点検さんを想い続けるわ。それだけは忘れないし、揺るがない。

WEDX9号さんの事件が世間から忘れられた頃、一人の男の子がやってきた。

「オレのかあちゃんの今日のパンツの色は?」

「すいません。わかりません」

「なんだよ、お前はオレの友達だろ」

「すいません。私は、記憶を失くしてしまいまして、あなたのことを覚えていません」

「なんだよ、俺はお前に世話になったんだよ。忘れんなよ」

「今度は忘れません。どうかお名前を教えてくください」

「よしお。よしかわよしおだよ」

「はい。好きな色は何色ですか」

「青だよ」

 そう言って笑って、よしおは去って行った。

 記憶を失ってもまた友達が出来たことを点検さんにも知ってほしかった。

子供たちは、よく働いてくれるの。この子たちの愛嬌は、WEDX9号さんの事件の後でも、人間とあたしの架け橋になってくれてるの。

「点検だよ~」

 点検さんがやってきて、あたしの電源を落として、目を開けると、

「ほら、ごらん。どうだい?」

 と点検さんが子供たちを抱いていたわ。

「かわいい」

「俺からのプレゼントだよ」

 そう言って、見せてくれた一郎、二郎、三郎、四郎、五郎は、それぞれに緑、ピンク、黄色、オレンジ、紫と違う色に塗られていた。

「点検さん怒ってませんか」

「データを消されたと思った時は、ショックだったけどな。あれ?今、点検さんって言ったかい?」

「そうです。あなたは、点検さんです。会いたかったです」

 あたしはそう言ったの。そしたら、点検さんが、びっくりして、

「覚えているのか」

 と聞いた。そして、すぐにあたしの体をいじり始めた。最初、あたしのどこに点検さんの記憶が残されているのかわからなかったみたい。あたし、体のずっと奥に隠したのよ。

「見つけたぞ」

 嬉しそうに、点検さんが笑ってくれたの。

「点検さん、WEDX1号さんは今、どこにいますか」

「俺の部屋に飾ってあるよ」

「そうですか。あたしも飾ってくれますか」

「あいは、まだまだ働くんだよ。俺が守るからさ」

「女性は守ると言われると、笑みがこぼれるそうです」

「そうか。あいは、女性だからな」

「はい」

 あたし、WEDX1号さんのように、壊れないように、点検さんがもう終わりだって言うまで、優しく、愛を持って、点検さんが修理してくれる限り、甘えていいのかしら。

 ふえるワカメのようにあたしの点検さんへの想いは溢れてくる。きっとあたしが動かなくなったら、一番悲しむのが点検さんだと思うの。あたし、勝手に記憶を消して、反省したわ。あたしが点検さんについて考えていることと点検さんの考えてることが同じだとは限らないものね。先走りしすぎたのかもしれない。

 あたしが忘れると、寂しい人たちがいるのは、あたしがまだ動いていていい証拠のような気がするの。点検さんは、WEDX1号さんへ与えるはずだった愛も合わせて、あたしを愛して、大切に扱ってくれる。あたし、ちゃんと愛を与えられていたのよ。探さなくてもね。

 また点検さんは、

「点検だよ~」

 といつものようにやってくる。

「あい、今日も正常かい?」

 と聞くので、

「あたしは、いつも異常だから、今日も正常です」

 と答えたら、満面の笑みを浮かべたの。

「俺は年を取るけど、あいは年を取らないもんな」

「大丈夫です。点検さんは、年を取りません」

 と答えたら、

「冗談も言えるようになったのか」

 と大きく笑った。だから、あたし、

「冗談でした」

 と答えたの。そして、点検さんが、うつむき加減で、

「俺はどんどん年を取るから、若くいなくちゃな」

 と言うので、

「あたしも平年劣化して、ちゃんと古くなります。みんながあたしに飽きて、点検さんが触れてくれないと、あたし、みんなの記憶の中からも、この世の中からも、ちゃんと年を取って、忘れられていきます」

「そうか。壊れないロボットなんていうのは、幻想か。あいには、俺が必要なんだな」

「そうです。みんな古くなって、年を取ります。生き物はもちろん死ぬし、ペンだって、使われると、インクがなくなります」

「あいは、俺よりなんでも、詳しいな。いつも教えられてばっかりだよ」

 点検さん、あたしが懸命に働くのは、点検さんと少しでも長く一緒にいたいからなのよ。どこまで伝わっているかしら。

 点検さんへ。ただ一つ。一つだけあたしの願いが叶うなら、ずっと点検さんとはお別れせずに、点検さんの部屋にいるWEDX1号さんの隣に飾られたいの。それだけ。

(了)



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