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ファンタジー小説「深読み彼女」前編

あらすじ
 トメさんと秋次は、居酒屋のバイト先で出会う。トメさんは大きな鼻のあざをとても気にしている。秋次は、それを全く気にしない。秋次は、人の気持ちを深読みもしない。気にしないどころか、トメさんの鼻のあざを笑い飛ばす。その後、秋次は、ある姿になり、それでもトメさんを見守り続ける。卑屈なトメさんを見守り続ける秋次の運命とは。他人にとって自分のコンプレックスとは、どう捉えられているのか。痛快ファンタジー。

本文(前編)

 トメさんには、生まれたときから、鼻に大きなあざがあった。
 あの日、俺は、こんな暑い日に今日もまたバイトかよとぐちぐち言いながら、スタッフルームで、バイトのはじまりを待っていた。
 突然に降り出したゲリラ豪雨に気づき、少し涼しくなってくれればいいと思っていた。
「それにしてもこりゃひでぇ雨だな」
 と独り言を言いながら、窓の外を眺めていた。
 そこに、ずぶ濡れで走ってくるやつが目に飛び込んできた。
 それが、トメさんだったのさ。
 スタッフルームの扉が開くとすぐに、
「大丈夫か?」
 と俺は声をかけた。
 手で自分の鼻を隠すと、驚いたようにトメさんは、こっちを見た。
 そして、化粧の取れてしまったトメさんの顔を見て、
「アンパンマンみたいだな。鼻を食われちまったか?」
 と俺は言ったんだ。
 俺ってあほだよな?
 あまりに無神経でデリカシーの欠片もない俺の言葉に、トメさんは、今度は、手で口を隠しながら、笑い出した。
 誰にもそんなこと直接言われたことがなかった。みんな、陰で、こそこそ言ったわ。腫れ物に触るみたいに扱われてきたとトメさんは言った。さみしそうに。
 トメさんは、今度は、俺を指差しながら、めちゃくちゃ笑ってさ。
 その笑顔に俺は、一発で恋に落ちた。
 俺たちのバイト先の居酒屋は、そこそこ繁盛していた。
 深夜帯を担当する俺と、比較的早い時間帯を担当してたトメさんとは、最初、それほど会う機会も少なかった。交代のときに、姿を見かけるぐらいだった。
 深夜帯のシフトに入ってくれてたやつが、突然辞めて、人が足りなくなって、店長が、無理を聞いてくれるトメさんに頼み込んだらしい。
 それだけのことが、俺たちを巡り合わせるきっかけになった。
 ゲリラ豪雨の日は、たまたまあのスタッフルームに二人きりだったのさ。
 凄い偶然じゃないか?
 俺は、ついてるよな。
 深夜帯の忙しいときなんて居酒屋は戦場だ。汚い言葉も飛び交う。
「何やってんだ。その皿洗っておけ」
 俺は、トメさんが何を言われても、意に介さず、テキパキ働く姿が気持ち良かった。
 がさつだと言われる俺が、繊細なトメさんと合うなんて誰も思わなかっただろう。
 トメさんが、深夜帯にも入るようになってから、深夜帯の雰囲気も変わった。明るくなった。
 人生において、何がきっかけになるかなんてわからないものだな。
「普通、ほぼ初対面で、鼻のあざとかには触れないよ」
 とトメさんは、のちに笑いながら言った。
「ごめん」
 とすぐ謝る俺をまたトメさんが笑うんだ。
「言ってからは遅いです」
 バイト先で今のところトメさんの鼻のあざのことを知ってるのは、俺だけなんだ。俺のこと口が軽そうに見えたんだろうな。アンパンマンと言われたことを散々笑ったあとで、トメさんは、急に真顔になって、
「鼻のあざのことは、みんなには内緒にしてください」
 と言った。
 そう言ったときのトメさんの顔が物凄く怖い顔だったから、本当に気にしてるんだなと俺は理解した。
 思い返してみると、アンパンマン発言がいかに失礼かわかるってもんだ。
 それからの俺たちは、シフトが一緒になると、必ず一緒にいて、いろんな話をした。
「秋次だから言うけど、私、いつも鼻のあざがバレるの怖かったの」
「どうしてだ?」
 俺はやっぱりばかだろ?
「そうね、秋次には、なんでもないことなのね。だから、秋次には話せてしまうのかもしれない」
 と言いながら、俺をじっと見つめた。物珍しそうに。
 俺は、その言葉で調子に乗って、平気でトメさんの心の中に土足で踏み込んでいった。
「化粧するのに、どのぐらい時間ってかかるんだ?」
「それって女性に聞く質問じゃないからね」
「そうなの?」
「そうだよ。なんとも思わないの?」
「ごめん。何も深く考えてなかった」
「幸せなひとね。気を遣うってことある?」
「そんなにないな」
 トメさんは、目を見開いて俺を見た。
 俺ってどうなっちゃってるんだろうな。
 トメさんは、気さくな性格で、スタッフにもお客さんにもとても人気があった。俺なんか本当は相手にしてもらえないのにな。
 案の定、俺がトメさんと仲良く話しているのを見た他のスタッフは、
「なんで深井さんと仲良いの?」
 と口々に聞いてくる。やばかった。俺は、うっかりトメさんの鼻のあざのことを言っちまいそうで。ひやひやしたことが何度かあった。
 だから、そう聞かれると、こう答えることにしたんだ。
「俺が話題豊富で楽しいからだろ?」
 そしたら、みんな口をそろえて、
「それは、勘違いだと思います」
 と言うんだ。俺には、そんなに魅力がないのか。がっかりだぜ。
 俺は、トメさんに会うと、必ず言う。
「大丈夫。鼻のあざのことは誰にも言ってない」
 すると、トメさんは、
「いちいち鼻のあざのこと思い出せないで」
 と笑ってた。
 そういうところだ。俺って気遣いできてるか?
 俺は、褒めて欲しくて言っただけなんだ。トメさんは、笑ってくれるけど、ほんとは、言わなくていことなんだよな。
「トメさん、俺は、トメさんがおかめさんみたいな顔しててもいいと思ってるし、別に構わない」
 トメさんは、目を見開いて、
「そんなに私の鼻のあざはひどいの?」
 と聞くから、
「だから、俺は、構わない」
 とちゃんと言ったんだ。
 トメさんは、悲しげで複雑な表情を浮かべた。
 またやっちまった。
 また反省だ。本当にあほだろ?
 こんな俺だってちゃんと反省を学んだ。トメさんのことで気づいたことだってあるんだぜ。
 俺さ、何度もトメさんに言ったんだ。
「そんなの気にするこたぁねぇよ」
 鼻のあざなんか俺にとってちっとも大事なことじゃなかった。
 トメさんは、そのあざがトメさんの幼少期に多大なる影響を与えたと言いながら、目を伏せた。その話しているときに、いつも俺は、トメさんが泣き出すんじゃないかと思った。俺は、ばかだから、その多大な影響ってやつに含まれる苦しみにまで気づいてやることができなかった。そんときはな。
 他人のつらさってどれぐらいのひとが、理解してるもんなんだろな。
 だって泣きそうなトメさんを俺は、何度も笑ったんだぜ。
「そんなの気にするこたぁねぇ」
 トメさんの涙は流れず、苦笑いってやつだ。全く俺ってやつはどうかしてる。
 今になって悔やんでいるさ。俺の方が泣きそうだ。なぜせっかくトメさんが話してくれたのに、真面目に向き合わなかったんだろな。笑い飛ばすなんて。俺ってやつは、なんて能天気なんだ。我ながら呆れるぜ。
 トメさんは言った。あざもピアノだって、心を傷つける道具になるのだと。美しいメロディーを奏でるだけに見えるピアノが人に牙をむくんだって言うんだ。俺は、そんな風に感じたことも思ったこともなかった。驚きを隠せずに、トメさんを見た。
 やっぱりトメさんは悲しそうに見えた。俺がどれぐらいトメさんの気持ちを理解していたかは別としてさ。ピアノが、ラブソングを奏でるだけの道具ぐらいにしか俺は思っていなかった。「エリーゼのために」を奏でるためだけでは、ピアノも物足りなかったのかな。生み出したものを使う人間のどす黒さの成せる業なのか。俺は、トメさんに出会うまで、何を考えて生きてきたんだろうとトメさんとの出会いを通して思うようになったんだ。かっこよく語れる感性ってやつを俺は一ミリも持ち合わせてないんだろうな。
 トメさんは、今でもピアノの練習をさせられる夢を見るんだってよ。泣きながら、行きたくないピアノのレッスンに行く場面でつらくなるんだってさ。 
 ピアノの悪夢で、
「たすけて」
 という自分の声にびっくりして起きるだってさ。余程、嫌だったんだろうな。
 ピアノの練習を強制されるのが耐えられなかったと、顔をゆがめながら、本当に嫌そうに言った。
「へぇー」
 って俺は答えた。トメさんは、今まで心のうちに溜めていた思いを一気に吐き出すように。
「ずっと我慢していたの。だって小学校六年間で、やっとエリーゼのためにが弾けるようになっただけなのよ」
「どれほどのことだか、俺にはわかんねぇな」
 と言ったら、
「上手い人なら、すぐ弾けるようになるわ」
 とトメさんは言った、
 俺は、トメさんを通わせ続けた親が凄いと思った。こんなに本人が嫌そうなのに。意地の張り合いみたいなものなのか。
 俺には、その親子関係が全く想像できなかった。
 俺は、大好きな野球をやって、練習はつらかったけど、仲間もできたし、好きなことしかやってこなかったから、苦だと思ったことは少ない。親も諦めてたのか。俺のやることをいつも笑って見てた。
 トメさんは今でも「エリーゼのために」を聞くと、落ち込むそうだ。
 俺が、
「エリーゼのためにってラブソングだろ?」
 と聞いたら、
「知らない」
 と言って、少しトメさんは怒ったようだった。
 それで、俺は、「しまった」と思った。余計なことを言った。
 すべてのものに潜む光と影をトメさんに会って、俺の意識もようやく変わり始めたところだったのさ。俺のはじまりの音だった。
 ひでぇ話だが、バイトのみんな、俺には言いたい放題だけどな。俺だって傷つくことがあると言っただけで、その場にいた全員が爆笑の嵐さ。
「秋次には、繊細さも、感性も、気遣いも、辞書に載ってなかったでしょ」
 とバイト仲間のハルが言うと、みんなが、
「同意します」
 と一斉に手を挙げたときには、さすがに苦笑いさ。トメさんも笑いながら、手を挙げてたのにはショックだったけどな。
 俺は、人の悲しみや喜びに関する感情が、他人と比べると、どこかおかしいらしい。自分じゃ普通だと思っていたけどな。
 有名野球選手に会っても、全然嬉しくなさそうだったと母親は言った。野球少年のくせにだぜ。
「あなたのことがわからない」
 と母親は不思議で仕方なかったらしい。
 なんせ母親が、
「ほら、サインもらいなさい。ファンでしょ」
 と言うと、
「いらねぇ」
 と小学四年生で言ったことが伝説になってる。
 子供の頃から他人に興味が湧かなかったのかな。どうでも良かったんだな。
 そんな俺でも成長したさ。トメさんに出会ってから、俺、変わった。
 トメさんと話すようになったゲリラ豪雨の日のこともちゃんと覚えてる。
忘れやすい俺には珍しいんだぜ。
俺は、トメさんのなにもかもが知りたくなった。
 そんなこと今まで思ったことなかった。
 自分さえ楽しければそれでいいと思っていた。
 それからは、なんか失言をしないようにトメさんのしぐさ、声色、表情をよく見るように試みた。
「何か私の顔についてる?」
 なんてトメさん言うんだ。
 トメさん、俺は、トメさんを見つめているんだぜ。
 不思議そうに俺を見る目もかわいくてさ。
 トメさんは、俺がトメさんの気持ちに気づかなくて、へまをやっちまうと、ムーっと口を閉じて、何も言わずに黙り込むことがあるだろ。
 それさえかわいくて。
 俺は、そこから考える。何に傷ついたんだろう。
 ほら、俺の成長だろ?
 トメさんは、いろいろ俺に話してくれるからさ。嬉しくて。
 トメさんは、高校生まで地獄だったと語った。
 俺は、俺よりトメさんはここまでたどり着くのが、大変だったんだなと思ったのさ。
「何があったんだ?」
 と俺が聞くと、今でもつらそうに答えた。
「鼻のあざをからかわれて、いじめられた」
「なんで?」
「世の中は、同じじゃないものを排除するのよ」
「だって人それぞれだろ?」
「みんなが秋次みたいだったら、良かったわ。秋次は特殊よ」
「俺が特殊?どこにでもいるぜ。こんな男。顔も含めて普通の極みだ」
「みんなが国語の授業で書くような美辞麗句は、現実ではないのよ」
「トメさん、今は、どうなんだ?幸せかい?」
「そうね。化粧を覚えたおかげで少し楽にはなったけど、今度はいつこのあざがパレるかと心を砕くようになったから、半分まだ不幸かもしれない」
「隠すことないじゃないか?」
「今までの話を聞いてなかったの?」
 とトメさんが言うので、俺は、話を聞いてなかったのか?ときょとんとしていると、トメさんは呆れたように笑ってた。
 俺とトメさんは、二人きりでバイト終わりに飲みに行って、日本酒の話で盛り上がった。
 トメさんは、日本酒を飲むと、汗で化粧が取れるのが怖いと言って、あまり飲まなかったが、俺は、トメさんと飲めるのが嬉しくて、
「トメさんも飲めよぉ」
 とからんで、日本酒を差し出し、本当に嫌な顔をされた。
 俺って救いようがないよな?
 俺もそう思う。
 俺、最近こんなことをよく考えるんだ。個体と個体がそのまま一つで存在するならば、きっと化学反応など起きない。だけど、一つの個体が、他の個体とつながりたいと願うなら、きっと少しずつだとしても必ず化学反応が起きるんだ。
 で、個体って俺?
 化学反応?
 かっこいいこと考えるだろ?
 俺の精一杯の成長さ。
 俺とトメさんは、きっと互いを少しずつ知ることで、これから素敵な何かが生まれる予感がするんだ。
 トメさん、俺たち出会ったんだよ。
 俺は、トメさんから見ると、まだまだ変化が伝わらないようで、すぐトメさんに笑われた。
「秋次って小学生みたい」
 とトメさんが言うから、
「成長したはずだけどな」
 と俺が言うと、
「私には、小学生の秋次が、今のようにみんなにからかわれている姿がありありと浮かびます」
 とトメさんが自信ありげに言うから、俺は悔しくて、
「俺の大人になった部分見るか?」
 と言ったんだ。
 そしたら、トメさんは、真っ赤になって下を向いた。
「何?何?何を想像したの?」
 と俺は、トメさんをからかって詰め寄った。
「やっぱり脳みそまで小学生ね」
 と大笑いされた。
 トメさんは、自分のことを好きじゃないと言ったけど、俺の言葉じゃ伝えきれないけど、ほんとうにいいところたくさんありすぎなんだぜ。
 トメさんは、俺と話すようになって、前より笑顔が増えたんじゃないかな。
 俺は、笑ってるトメさんがほんとうに好きなんだ。
 前から、優しく注文を受けるトメさんは、バイト先でも人気があったが、ますますお客さんに人気が出たようだった。
 きっと前向きな気持ちは、肌とか、纏う空気とか、そういうものににじみ出るものなんだろうな。
 トメさんは、冗談もよく言うようになった。
「なんで秋次なんかと仲良くするんだってよく言われる」
 と俺に言うんだぜ。
「なんでだ?」
 とトメさんに聞き返すと、
「教えない」
 とトメさんは笑った。本当に最高の笑顔だぜ。
 でも、人気者になるって、いいことだけじゃないんだな。
 俺さ、人気者になったことなんかなかったからさ。
 人気者のつらさがわからなかった。
 だって俺ときたら、女性には、気が利かない男として相手にしてもらえてなかったし、少し付き合ったやつもいたが、
「つまらない男」
 と言われてフラれるんだぜ。
 人気者のトメさんは、あるお客さんからつきまとわれるようになった。
 そいつが、バイト仲間の先輩らしく、連絡先も勝手に知られて、誘いの電話も頻繁にかかってくるのだという。
 そいつにあまりにしつこくつきまとわれるものだから、トメさんは、
「怖い」
 と怯えてしまって、俺は毎日、相談を受けるようになった。
「それは、怖いだろ。俺が家まで送り迎えをしてやるよ」
 自然と出た言葉だった。
 あまりにトメさんが怯えるものだから、俺は心配したさ。
 俺の頭の中は、トメさんへの恋心とか、心配とか、全部トメさんで埋め尽くされた。
 その送り迎えで、俺とトメさんの仲は、さらに深まった。
 お客さんは、なかなか諦めなくて、俺に予定のある日や俺がいないときを見計らって、電話をかけてきたり、駅で待ち伏せしたりするようになった。
「私に何の魅力があるの?」
「そりゃ、たくさんあるだろ」
「でも、私にはあざだってある」
「そんなこと関係ないさ」
 俺には、二つの役割が与えられた。トメさんを前向きにさせることと、ストーカーから守ることだ。
 俺はやる気まんまんだ。俺の使命なんだ。
とはいえ、俺らしいけど、俺、ときどきトメさんに本気で嫌われた。
 俺、自分では意識してないけど、楽しくなると、トメさんの話をしちゃうみたいで、
「秋次、ほんとにおしゃべり。なんでもすぐ話しちゃうのね。ほんとになんでそんなにお調子者なの。人の気持ちを考えられない人とは話したくもない」
 そう言って、トメさんは泣き出しそうな顔で俺を見るんだ。二人で話したことをぺらぺらしゃべられるのが嫌だと続けた。
 ストーカーのことでストレスも溜まっていたのだろう。
 俺は、どう謝ったらいいのかわからなくて、黙ってた。
 こういうときは、本当はごめんと謝るんだろ?
 謝り続けるんだろ?
 だけど、俺は、トメさんに嫌われたと思って、ショックで、珍しく落ち込んでしまって、咄嗟にごめんも言えなかった。
 口利いてくれないんだぜ。
 送り迎えも時間の連絡以外は、一言も話していない。
 それでも送り迎えは続けた。
 俺を頼ってくれるだけで嬉しかったんだ。
 一週間ぐらいトメさんは、口を利いてくれなくて、俺は、何かいい方法はないのかとひたすらに考えた。
 トメさんがくまのプーさんを好きだと言っていたのを思い出して、こっそりプーさんの人形をカバンの中に忍ばせておいてさ。俺、頑張ったさ。
 帰りの道すがら、突如、プーさんを取り出し、
「ねぇ、ねぇ、そこのキレイなお姉さん、このお兄さんが謝りたいって」
 俺は、このアイデアを思いついてから、プーさんの声も一人、部屋で練習したのさ。腹話術みたいにやってみせた。
 ちょっとトメさんの顔がゆるんだ気がしたので、俺はたたみかけた。
「そこのキレイなお姉さん、笑った方がかわいいって。おのお兄さんが言ってるよ。僕に笑って見せてよ」
 と俺はプーさんになりきった。
 そしたら、トメさん、どうしたと思う?
 顔を手で覆ったんだ。
 俺は、作戦の失敗を思い描いたよ。だけど、違ってた。
「秋次、モノマネが下手すぎる」
 と言って、トメさんが笑い出した。
「もう怒ってない?」
 俺は恐る恐る聞いたさ。
「私、根に持たないもの。話しかけてこなかったから、話さなかっただけ。それに送り迎えしてくれる人を悪くは思わないわ」
 絶対怒ってたくせにと思ったけど、俺から出た言葉は、
「俺たち、付き合おう」
 だった。すぐにトメさんが、
「私でいいの?」
 と言うから、
「トメさんがいいんだ」
 と力込めて言ったら、俺の慌てた声をトメさん大笑いした。
 俺は、有頂天になった。
 だってトメさんが俺と付き合うって言うんだ。
 こんなに嬉しいことないだろ?
 ないよな?
「いつから付き合う?」
 と俺が聞いたら、トメさん笑ってさ。
「契約じゃないんだから」
 と言うんだ。
 俺、ますます舞い上がって、意味不明に言ったんだ。
「明日からにしよう」
 最後まで俺はばかだった。
 その日は、手をつないで帰って、お別れにキスをした。
 次の日は、昼間からデートしようということになった。
 俺は、トメさんに気持ちが通じたのが嬉しくて、興奮して、眠れなかった。
 バイトは、二人とも休みを取ることにした。
 バイト先に電話すると、
「秋次さん、なんか予定あるんすか?」
 と聞かれて、思わず、トメさんとデートだと言いそうになって焦った。
「トメさんも休みなんすよ」
 と言われたときには、心臓が飛び出るかと思った。しばらく胸の動悸が抑えられなかった。
 突然、スマホが鳴った。
 トメさんからだった。

(後編へ)

後編
ファンタジー小説「深読み彼女」後編|渋紙のこ (note.com)




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