声優はアスリートであると

声優はアスリートであると思うこの頃。

随分前にちらっと流れてきたツイートで、わたしにも手がかりが薄くて今から原典の探しようがないものだが、こんなものがあった。(要旨)
『挑戦したが本職の声優さんはすごい。ディレクションにあわせて声を出すために身体の使い方を絶妙に調整していくのはアスリートのそれ』
と、原文はさておきだいたいこんな感じに読み取れるものだった。ツイート主は、例えば一般企業の宣伝担当か何かの一般人がCMでレコーディングに挑戦したみたいな、そんなところだったと思う。

声優でアスリートと言うとまず水樹奈々さんのライブパフォーマンスが思い浮かぶが、あれほどでなくとも声優はみんなアスリート、スポーツ選手のカテゴリとして解することができるなと感じた。

一般的に声優は「表現者」として括られて、漫画家や小説家、イラストレーターとかと同じベン図の中に認識されることが多いと思う。声優自身も多くはそう考えているだろうし、これ自体に間違いはない。

声優がアスリートであるというのは、見方の切り口によって、これらの芸術家よりもむしろスポーツ選手と同じところにカテゴライズされるのでは、と思ったというお話である。

先の宣伝担当か何かのツイートで気づいたのが、声優は仕事のために自らの肉体を使うということ。
当たり前じゃんと思うのでわかりやすく区別するなら、例えば小説家であれば表現物は頭の中で考えられたものだし、イラストレーターであればペンの持ち方や手首の動かし方よりもむしろ感性や色のセンスなど目に見えない才能によるところが大きい。
対して声優は、声を表現物とするので、そのために操作するのは喉や口、もっというと筋肉である。
わたしが声優でないので具体的な例えが出せないが、「こうすると子供らしい声になる」「こうすると痩せた人間の声になる」みたいなのは最終的には肉体のコントロールによってなされている。

それは、「このタイミングで足に力をいれれば高く跳べる」とか「腰に捻りを加えれば強くバットを振れる」とか、どちらかというと芸術家よりそういうのと同じなのではないか、と気づいた。

スポーツ選手と直接異なるのは、成果物が記録や試合の勝利ではなく芸術であるということ。例えば100m走であれば、スポーツ選手が(極端な話)9秒58を目指すのに対して、声優に求められるのは「15秒ぴったりを目指して走ってください」みたいなことという感じ。
アスリートとして考える声優がやっているのは、スポーツ選手がバラエティ番組に出てするパフォーマンスのような仕事だろう。ウルトラマンDASHという番組を知っているだろうか。まさにああいう仕事を普段からしているのが声優。

「ライブで踊りながら歌う」とかに限らず、アニメのレコーディングから数秒のCMまで、自らの肉体をコントロールしてディレクションに応える声優は皆、一流アスリートであろう。

風邪を引いても熱が出ても極論手が動けば絵は描けるし物語も作れるが、アスリートたる声優はそうもいかない。
忌々しい流行り病は喉にも症状を伴うというので、これ以上広がらないこと、すでに罹患した方々にも今後影響がないことを願うとともに、アニメなどで心を動かしてくれる多くの声優に改めて尊敬の念を示したい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?