なぜ依田芳乃はパッションで鷹富士茄子はクールなのか #デレマス属性観

なぜ依田芳乃はパッションで鷹富士茄子はクールなのか #デレマス属性観

デレマスの3属性、キュート・クール・パッション。
190名全てがいずれかの属性として登場する。

担当外のアイドルについてこんなことを考えた人は少なくないのではないだろうか。
「依田芳乃や高森藍子はどうしてパッションなんだ?」
また自分の担当同士で話していてもこんなことがよくある。
「茄子さん可愛すぎるキュート属性だろ」「この鷹富士茄子とかいう女、頭パッションすぎないか?」

卯月・凛・未央のような3属性の看板のようなアイドルもいれば、上に書いたように設定されている属性の真意が汲み取りづらい子も少なくない。

そんな"属性観"について、わたしは一つの回答を得たので、以下に紹介していく。
あくまでわたし個人の考えなので、「ふーんなるほどね」と思って自身の”属性観”と照らし合わせたり、「そんなの考えたことなかった」人は深く考えるきっかけになってくれたりしたら嬉しく思う。

依田芳乃はパッション…?

優しい声を聴いているだけで心地よい眠りに誘われそうなこのアイドル、依田芳乃はパッション属性である。目覚まし時計になりそうな日野茜とは真逆に思えるが、同じパッション属性である。

パッション属性アイドルが、このように茜のような「わかりやすいパッション属性」と芳乃のような「わかりにくいパッション属性」に大別されるのは多くの人が感じているところであると思う。

ご存じの通り英語のpassionとは「情熱・熱情」など、かなり熱いニュアンスのものであり、芳乃や藍子といった子たちの印象とはかけ離れている。

しかしわたしの考えでは、それぞれの属性の名称は属性をあらわすものの一つでしかない。パッション属性は特にその性格があり、属性の代表的な要素として「わかりやすいパッション属性」と直感的につながる語が属性の名称になったものだろうと考える。

由来の英単語での短絡的・直感的な理解は属性の柔軟な解釈を妨げるため、名称を起点として考えるという固定観念をいったん捨てる。そうして「あくまで名称は名称」と割り切ったうえで、「わかりやすいパッション属性」と「わかりにくいパッション属性」に共通するものを考えていく。

結論、パッション属性のキーワードは「元気を与える」である。

イメージの話だが、本田未央や日野茜など「わかりやすいパッション属性」のアイドルたちが、自らのファンだけでなく、一般の通行人にも声をかけたりステージに呼び込んでいく姿は想像に難くない。デレアニ(2015年放送アニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」)第10話の凸レーション(莉嘉・みりあ・きらり)などまさにそれだろう。

パッション属性にとって、「アイドル」は手段でしかない(あくまで属性観の上での話なので怒らないでほしい)。
パッション属性の子たちは概ね、「全ての人を元気に、幸せにしたい」みたいな魂が根底にあり、「たまたま」それを叶える手段としてアイドルの道を選んだのだと考えることができる。

「務め」と「あいどる」の合致

依田芳乃もまた、そういったスケールの大きめな精神で生き、プロデューサーと出合い、「あいどる」になる。「あいどる」の特性が、自らの望む生き方と重なるものと感じたからである。



パッション属性のシンボルマークは「太陽」。はるか頭上で輝き、地上を照らし、生命に生きる力を与える。パッション属性はそんな、普遍的に、差別なく力を与える性質を表している。なにか一つ願いが叶うなら、ともすると世界平和を望んでしまう。それがパッション属性だと考える。

高垣楓はクール。

クール属性のキーワードは「自らを輝かせる」

クール属性に分類されたアイドルは総じて、才能としてアイドルに適した素質を持っていると見受けられる。その才を見抜かれスカウトされたり、自らその才に気づきオーディションを受けたなど様々だが、自らに眠る何らかを最大限輝かせるためにアイドルの道を選んだ。

名称のクール:coolについても「冷たい・冷静」といった第一印象が少なくないと思うが、これについてはどちらかというと「かっこいい・素晴らしい」といった口語的に使われるcoolのほうが近いと考える。


クール属性のシンボルは「宝石」。輝く才能をもった原石が、磨かれ、かたちを整えられることではじめて、宝石として見る人の心を動かすものである。
歌の才能、踊りの才能など、アイドルにつながる才能もあれば、直接的にはそうでないものもある。ものによってはパッション属性と同様、アイドルは単なる手段、自らが輝くための選択肢のひとつでしかないかもしれない。

パッション属性と異なるのは、宝石は自ら光を放たないということ。パッション属性がおそらくオフでもステージ上と変わらず人を元気にしようとするのに対し、クール属性はステージ上で光に照らされたときにこそ、その輝きを見せる。

アナウンサーだった川島瑞樹、モデルだった高垣楓のようにクール属性にはもともと他の道で活躍していた人も多くいる。クール属性もパッション属性と似て、アイドルであることは自らの才能を輝かせる手段の一つであり、世界線が変わればアイドルになっていなかったかもしれない。

モデル部門から転向した高垣楓
アナウンサーからアイドルに挑戦

才能を持った原石がプロデューサーによってアイドルのかたちに磨き上げられたのが、クール属性のアイドルである。


白菊ほたるはキュート。

白菊ほたるはキュート属性である。ここまでの記述からわかるとおり、これもcute「可愛い」からの短絡的解釈ではなく、内面的に考えてほぼ100%キュート属性だとわたしは考える。

白菊ほたるはキュート属性だが、決して表面的に”キュート”であるとは言い切れない(なかった)。

R 白菊ほたる

今でこそ可愛い、”キュートな”シーンが多いが、「不幸」「不運」というイメージや、それを端的に表した初期Rの表情は外見上のキュートさからはかけ離れたものである。そんな白菊ほたるは、何度不幸な目に遭い、何度事務所が倒産してもアイドルであることにこだわり続ける。その信念こそ、シンデレラガールズにおけるキュート属性の本質である。


キュート属性のキーワードは「理想の自分になる」
キュート属性のシンボルは「」。種から成長し、栄養を吸収し、花を咲かせる。
ここでの花とはまさにアイドルそのものである。なぜって?アイドルマスターなので。

カワイイ自分に絶対の自信を持ち、そうあり続ける輿水幸子。
プロデューサーさんを愛し、愛されるために尽くす佐久間まゆ。

彼女らもそれぞれ自らの理想のアイドル像を花咲かせようとしている。


アイドルたる自信と信念

また花というモチーフについて、「成長」という要素も組み込まれているように感じる。
育成ゲームである側面、成長は一部のキャラクターに限られる描写ではないが、キュート属性は「努力」がより強く描かれる印象がある。
デレアニでいえばCANDY ISLANDの回や、終盤の卯月の苦悩がそれに合致する。

まさに王道や主人公的というべきか、アイドルを目指す過程を体現しているのがキュート属性のアイドルである。


属性は量的ステータスなのではないか

ここで属性と似たような概念として「ポケモンのタイプ」を挙げる。ポケモンは種ごとに1つまたは2つのタイプを持っている。

初代(赤・緑)から登場している、「バタフリー」と「モルフォン」というポケモンがいる。

どちらも四枚羽をもったむしポケモンであり、飛行している姿が描かれるが、
バタフリーが「むし・ひこう」タイプなのに対してモルフォンは「むし・どく」タイプである。

どう見ても浮遊しているのに地面技が当たることに困った例は少なくないが、それはさておき、「ひこうタイプの素質はあるが、どくタイプの素質がより強い」ため、飛べるにもかかわらず「むし・どく」タイプとなっているのではないか、とわたしは考える。

つまり、単純に
「むし50・どく50」
なのではなく、
「むし50・ひこう15・どく35」
のような解釈で「むし・どく」タイプになったのではないだろうか。

(ちなみに分類もバタフリーは「ちょうちょポケモン」、モルフォンは「どくがポケモン」である)

デレマスの属性も同様に、全てのアイドルが
「キュート(クール・パッション)100」
なのではなく、
「キュート30、クール40、パッション30なのでクール」
のようなクール属性アイドルもいるのであろうということだ。むしろ「キュート100」のような純粋単一属性のアイドルのほうが少ないであろう。
勝手に名前を付すなら「属性値」というステータスで、「属性」とはあくまでその属性値のうちの代表的なものでしかないという解釈である。

属性とはあくまで代表的なものであり、各アイドルはキュート・クール・パッションそれぞれの性質を持ちうる。

3つの属性の相違

キュート属性は努力型、クール属性は才能型、パッション属性は平均してその中間。
キュートの桃華や志希にクール感が感じられる、なんていうのもこういったところと通ずる。属性値の話で言えば、クール40キュート60のような。

(アイドルへの信念)
キュート属性はアイドルにこだわりを持つことが多いが、クール属性・パッション属性は手段・選択肢のひとつであり、アイドル以外の道で生きている世界線も想像できる。

キュート属性はアイドルであることそのものに信念をもち、クール属性はアイドルとして自分が輝くことに信念をもち、パッション属性はアイドルを通して誰かを元気に、幸せにすることに信念をもつ。


(プロデューサーとの関係)
プロデューサーの立ち位置や役割も少しずつ異なる。
キュート属性のプロデューサーは師のような存在。水をやり、肥料をやり、花の成長を支える。
クール属性のプロデューサーは、その才能をアイドルにどう活かすかを考える。どのように宝石をカットし、どこから光を当てればよいか。
パッション属性のプロデューサーは、その光ができる限り多くの人に届くようサポートする。

本題からは逸れるが、このそれぞれのプロデューサーの関わり方がシンデレラガールズにおける「魔法」である。


(苦悩)
各種ストーリーで描かれる苦悩も属性ごとにベクトルが異なる。
キュート属性の苦悩は理想の自分と今の自分とのギャップ、クール属性の苦悩は才能と仕事のギャップ、パッション属性の苦悩は理想とする場や環境と現況とのギャップ。
デレアニでは随所でアイドルたちの悩みが描かれるので、こういった逆境下の行動を見ても「このアイドルは何属性の素質を持っている」という解釈が進むかもしれない。

なぜ鷹富士茄子はクールなのか


なぜ鷹富士茄子はキュート属性でもパッション属性でもなくクール属性なのか。
ここまで読んでくれば腑に落ちるのではないだろうか。

鷹富士茄子のパブリックイメージの最たるものといえば「幸運」。人知を超越したなにかであるとしか考えられないそれはまさに彼女のもつ原石である。似た例でいうと白坂小梅が同じタイプであろう。

次点で挙がるのが「かくし芸」。これも単純に才能のたまものである。かくし芸の内容はカードやコミュ、劇場で様々登場し、なんなら[多芸の才女]なんていうこの話にド直球なカード名もある。「やればできてしまう」ようなことを言っているセリフもいくつか存在する。

SR[多芸の才女]+


鷹富士茄子はキュート?パッション?


では鷹富士茄子は0:100:0でクール属性なのかというとそうではない。
キュート属性の要素については大きくないが、アイドルについて「幸運に頼らず努力することが必要」だと自覚していたり、そつなくこなしていたかくし芸も実は陰でたくさん練習していたという描写が存在していたりする。

彼女は「幸運を分けてあげたい」「もっとたくさんの人を幸せに」といった感じの言葉を発する。鷹富士茄子は自らの幸運体質を自覚しているが、そのうえで自分にかかわる人たちが幸せになることを望んでいる。かくし芸もまた、周りの人に喜んでもらうために始めたものである。これはパッション属性に通じる価値観である。

デレステ時空ではプロデューサーのスカウトによりアイドルになるが、こんな会話がある。

P「あなたには才能があります」
茄子「そうですかね~。でも、たしかに私、幸運には自身があるんです♪それもひとつの才能かなっ?」
P「アイドルでみんなを幸せにしませんか」
茄子「それは素敵な考えですねっ。私も、み~んなが幸せだったらいいなって思いますよ~。」

デレステ:鷹富士茄子とのメモリアル1

究極的には世界平和を願うタイプ


まさに、クール属性とパッション属性の特徴として述べたものそのままである。


鷹富士茄子はクール。

そのパッション属性の素質も、自身が「幸せ」に誰よりも敏感だからこそで、幸運という才能の上にある。
鷹富士茄子はその「幸運」という大きな宝石を、プロデューサーの照らす光で輝かせ、ファンに幸せを運ぶ。

あなたには才能があります



さいごに

ここまでの記述は全て、あくまで「わたし個人の解釈」である。190(+α)人すべてのアイドルについて把握しきれているわけではないため、これらの解釈と必ずしも整合しないアイドルも出てくるかもしれない。そんな人こそ、なぜ自分の担当アイドルがこの属性なのか考えてみてほしいし、答えがでたら #デレマス属性観 のハッシュタグつきでぜひ教えてほしい。

もちろん、「このアイドルのこんなところはキュートだ」とか「この考え方はパッションだ」とか、この記事を読んで気づきがあれば嬉しく思うし、それもぜひ知りたい。

他ブランドの属性分けについて考えたり、他ブランドのアイドルをデレマスの属性にあてはめて考えたりするのも楽しいと思う。

あとよかったら、クールでパッションでちょっぴりキュートな鷹富士茄子の応援もぜひ。
鷹富士茄子のいるグループBの投票は11月13日まで。宣伝は基本。

#デレマス属性観







おまけ:CUTE・COOL・PASSION

「属性の名称を”起点として”考えるという固定観念をいったん捨てる」とパッションの項で書いたが、ここで帰ってこようと思う。すなわち、「なぜこの名称なのか」という話。
属性のシンボルマークこそ各属性の本質を表しているといった感じで話を進めてきたが、じゃあなぜ名称が「フラワー・ジュエル・サン」ではないのか。ここまで書いてきて”わかりやすい”とか”かっこいい”とか形式的・商業的な話で片づけてしまうのは勿体ないので、これについても少し触れておく。

わたしの結論は「ファンが受け取るもの」である。
cuteとcoolについては少々短絡的だが「可愛い」そしてcoolの項で書いた「かっこいい・素晴らしい」という、アイドルを見た観客が受け取った感情や感想である。

ではpassionは?
ここでひとつ気付くのは品詞の違いである。cute・coolは形容詞だが、passionは名詞である。「情熱・熱情」そのものがpassionであり、「情熱的」という形容詞はpassionateである。

cute・coolは形容詞であるから、その対象はステージ上のアイドルである。ということは、名詞であるpassionの所在はアイドルではない?

ではどこか。

観た人の内部である。

cute・coolと揃えてpassionateとし、ステージ上のアイドルを指した場合やはり「わかりにくいパッション属性」アイドルと矛盾が発生する。パッション属性に通ずる本質は「元気を与える」であるとわたしは解釈したので、そこから考えても”元気”、ニュアンスで多少曲解して”情熱”は観客の中に生ずるものである。
「ライブ最高!明日からも頑張ろう!!」みたいなやつだ。

この解釈であれば、キュート・クール・パッションとは「観客(ファン)が受け取った感情」としてある程度統一性がある。アイドルとファンは切り離せない存在ということで、こんなところでどうだろうか。

「作った人そこまで考えてないと思うよ。」
そうかもね。それでもいいじゃない。わたしが勝手に納得して楽しめたんだから。

おわり

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