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多言語前夜

誰か、アドベントカレンダーに参加して〜。

さて、昨日から始めたのだけど、12月1日の分が空いているのはもったいないので、プロローグ的なものを書こうかなと思いました。題して、「多言語前夜」。

多言語多言語いうけれど、私自身がいくつ言語を話すかをまず書いておくと、聞かれた時には、4つと答えることにしています。日本語、英語、ロシア語、マリ語の4つ。この4つについては、千野先生の『外国語上達法』にあった?表現を借りれば、通訳・翻訳の経験があります。では、こんな私はどうやって育まれたか?を少し書いてみたいと思います。

日本語
生まれて育ったのは、香川県東部の大川郡引田町(現・東かがわ市引田)というところです。言語的には、讃岐弁の東部のバリエーションを話されている地域ですし、家庭内でも讃岐弁を話してました。テレビは、子どもの頃は、香川や徳島の放送局よりは、瀬戸内海を越えて届けられる、大阪のテレビ番組を見ていたので、お笑いのセンス?は関西風です。

小学校の頃、国語の教科書の日本語と、自分(たち)が話している日本語が違うことに気がつき、作文で、自分や友人が言った言葉を引用するときに讃岐弁にするべきか、標準語に翻訳するべきか、を悩みました。これが多言語事始め、というか、多様な日本語事始めだったかも知れません。

英語
うちの父は高校中退、母は中学校に行っておらず、勉強という環境ではなかったうちの実家では、家族が英語などの他の言語を話すなんてことは想像もできませんでした。あ、二人の姉は中学、高校で英語を勉強してましたが(汗)

私が小1くらいの時に、PTAのバザーで(よくあったでしょ?)、父が子ども向けの英語の教材を買ってきました。絵本のような教科書5冊にカセットテープが12本、みたいなやつです。それを与えられて、自分で独習を始めました(笑)。といっても、もちろん両親が付き添ってくれるわけでもなく、Ten Little Indian Boysとかを歌って終わりました。これが、外国語事始めですかね。

ロシア語
ロシア語にたどり着いたのには、実は(ちょっと)長いストーリーがあるので、それはまた別の機会に譲りますね。でも、幼稚園の頃に読んだマンモスについての絵本で、ソ連のレニングラードにある博物館には、シベリアで見つかったというマンモスの剥製があることを知り、「ソ連」「レニングラード」「シベリア」あたりの語いはここで覚えました。また、実家の近くに住んでいた父方の祖母には、小さい頃からよく可愛がってもらっていましたが、彼女のところには、どなたからか、お土産でいただいたマトリョーシカがあって、それを見せてもらうのが、とても好きでした。中1の時に祖母が亡くなったんですが、その時の形見分けで、このマトリョーシカをもらいましたが、そのくらいロシアとは近かったんだなあ、と今から振り返ると思いますね。ということで、これがロシア事始めだったんでしょうね。

では、今日はこんなところで。

お願い、誰か、書いて〜。

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