祖母に思いを馳せる

同居していた祖母が亡くなって、4ヶ月ほどになる。

いなくなってからの生活にも、結構慣れた。


最初の1週間は、祖母の部屋が視界に入るだけで泣いていた。

家で何をするにも、祖母がいた頃の習慣で動くから、ふいに「あぁそうかいないんだった」と気づき、

その度に泣いていた。


1ヶ月経った頃から、油断しなければ涙は出なくなった。
でも祖母の部屋の畳を眺めると、寂しかった。

2ヶ月3ヶ月と過ぎていき、だんだん新しい生活にも慣れてきた。



「失って初めて、その大切さに気づく」


ドラマとか映画でよく聞くセリフだ。
失う前に気づけるだろ。とか思っていた。


実際、私は気づいていた。


歳の順番的に別れが来るのは仕方ないけど、
祖母が亡くなったらきっと、
私は寂しくなるだろうし後悔もあるのだろうな。

わかっていた。



亡くなった時、実際そう感じた。

寂しかったし、まともにばあちゃん孝行できなかったことを悔いた。


でも、それだけじゃなかった。


祖母は、めちゃくちゃ愛された人だったのだと、今更ながらに気づいた。


亡くなってからというもの、
私たち家族の会話にはしばしば祖母の名が登場する。

あの時祖母はこうだったとか、
祖母がこんなことをしたせいでとか、
あーいう性格だから祖母は、、、
これ祖母が好きだったやつだー、、、

生前も話には出ていたけど、
死後も変わらず、いやそれ以上に話題に上る。


祖母、いい人だったんだな。


私にとっては、
忙しい両親に代わって身の回りの世話を全てしてくれた、
いつも私の一番近いところにいてくれた、
頑固で少し天然でちゃっかりした優しいおばあちゃんで。

母にとっては、
ちゃっかりし過ぎていて、一緒に行動するには周りの目が気になってハラハラするけど、
息子の選んだ人だからと心から信頼をおいてくれたお姑さんで。

父にとっては、
いくつ歳をとっても子どもの頃から知っている母親のまま。

だったのだろう。



とにかくちゃっかりさとマイペースさで、
かなり振り回された私たちだったけど、


それでもみんな、祖母のことが大好きだったのだ。


かけがえのない人だったのだ。




こうして、ゆっくり祖母に思いを馳せていると、また涙が出てくる。


いなくなってしまったことには慣れるけど、寂しさには慣れない。


きっと、死ぬまで寂しいんだと思う。


でもそれでいい。


それだけ、私が祖母のことを大好きだという証拠だから。

祖母に愛されていたという証だから。

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