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シングルパパになった時~番外編~ 子供側の気持ち編


ども~、パパんがです。

今回は僕の人生の中でシングル家庭で育った子供側の目線で描く、番外編を書きたいと思います。

書きたいなって思った理由はTwitter内で囁かれている

「パパやママとして、男や女として、一人の人として、働きながら自分の道を模索している」

その様な現代社会の変化に、夫婦それぞれの立場の中、大切な何かを置き忘れていないかな…

と思う、自分の中の疑問があったからです。

あくまでも持論であるため、不快な思いをさせるかもしれませんが、ご了承お願い致します


パパんがの生い立ち

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、何を隠そう、僕自身も実はシングル家庭で育っています。

幼少期の3歳からの3年間と高校1年から。

パパは同じです。ママとパパが復縁して、また離婚した家庭だね。

理由はともにパパの浮気という。ま、浮気するヤツは同じ事を繰り返す例です。(笑)

今となっては、親子二代で何やってんだか…。 ですけどね。


幼少期の記憶

自分が小さいときの記憶って覚えています??

僕は結構記憶力が良かったのか、かなり鮮明に覚えているんですよ。

いい思い出はいいのですが、悪い記憶と言うか…。結構衝撃的な記憶まで覚えているんですよね。

例えばですが、

パパとママが言い争っている姿や、パパが家を出た行った時の後ろ姿…

パパのその時の言葉は

「〇〇、元気でな。パパどっか行くけど、ママと幸せなるんやで。ばいばい」

ハッキリと今でも覚えています。


そして、その時のママの涙…


この記憶は3歳になりたての頃の記憶です。


それほど子供であっても衝撃的であり、トラウマというか、しっかりと心の中と記憶に刻み込まれるんですよね…


子供1

幼少期のシングル家庭の時の寂しさ

当時僕は3歳、妹は生後8カ月という年齢でした。

パパが居なくなってからの生活の変化は、様々な記憶として残っています。


何より失意の中、僕達の前で弱音を吐かず、ママが懸命に頑張っている姿

そして、僕達が寝静まった後、一人肩を竦め泣いてる姿は今でも忘れられない光景です…


それでも、そこはまだ幼少期ということもあり、パパが居なくなった理由や現実をわかっているわけではなく、ただ自然とそうなっているという風にしか理解してなかったと思います。

ママは仕事をしながら、家に居る時も内職をしてなんとか生活をやりくりしていました。

そんな中、妹が生後10カ月の時、肺炎にかかり入院しなければならなくなり、ママは妹とともに入院…

僕はパパの実家に預けられていました。

当時、寂しさの限界だったのか、僕の身体に変化が見られ、金の玉袋に水が溜まり注射で水を抜いた記憶があります。

その後も、ママの負担になりたくないと我慢し、4歳の頃に1人で公園に遊びに行ったり、お留守番をした記憶もあります。

ママにかまって欲しいからと、1時間かけて1人で幼稚園に行ったり、母の職場まで歩いて迎えに行ったこともありました。


その時の気持ちは、ただ自分だけを見て欲しい…

ママと一緒にいたい…

純粋にその思いだけだったと思います。


子供2

時代はバブル崩壊後から共働きの時代へ

そんな生活が3年続いたある日、パパが突然帰ってきました。

ママとパパの再婚。

この時の僕の記憶は「いなくなったパパが帰ってきた」ただそれぐらいの印象でした。

それから時代はバブル景気もあり、裕福な生活だったなと感じるし、思い出も幸せしかなかった時代だったと思います。

母親は専業主婦であり、ワンオペではありましたが、必ず親が傍に居てくれた。

それが当たり前の環境に変化し、以前は寂しいという記憶しかなかったのが、安心感へと変わり、本当に幸せしかありませんでした。

ただ、その幸せもバブル崩壊から状況が変わっていきます。


子供3

また繰り返す不安、寂しさ…

当時、僕は13歳、妹は10歳。

バブルが崩壊し、経済的に苦しくなってきた頃、父1人の収入で苦しくなってくると、母も本格的に働かなければならない状況に変わりました。

父は地元では仕事が無く、出張という名の長期に渡る単身赴任に変わり、母は保険外交員として、バリバリ働き始めたのです。

母は元々、大手化粧品会社の販売員から成り上がっていく手前で結婚により寿退社した経緯もあり、働くことが大好きな人でした。

元々専業主婦があまり得意ではない、アクティブママだったんですよね。(笑)

子育ても1段落したこともあり、母も楽しかったんだと思います。

中学の頃は働きながら傍らで主婦をし、僕達兄妹のお弁当を作ってくれた事は、本当に今でも感謝しています。

僕が中学に上がるときに引っ越しをしたため、友達が全く居なく、また父がいないという不安、そして生活環境の変化に着いて行けず、いじめにあったりして登校拒否になったのも、丁度この頃です。

母は仕事からの帰りも遅くなり始め、ご飯も以前と変わりスーパーのお惣菜やコンビニ弁当などが増えていきました。

夏休みなどは、お金だけ置いて仕事に行くようになり、僕が母の代わりに家事をするようになったのもこの頃からです。

小学生の妹が寂しく思って欲しくない気持ちや、父が居ない分、母を支えたかった気持ちが強かった時期でした。


子供4

父の2度目の裏切り

父が居ない生活が3年過ぎ、僕が高校に入学してすぐのことでした。

登校拒否を乗り越え、無事市立の高校へ入学し新たな門出を迎えていたと思った矢先に…

父の2度目の浮気の発覚です。

単身赴任中に愛人作ってたオチ。(笑)

もぉ、地獄でしたね。修羅場からの2度目の「ばいばい」ですからね。

幼少期がフラッシュバックするし、完全に人間不信の時代の幕開けです。

ま、こっから先が、僕が闇に堕ちるグレーZONE時代です。(笑)


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そして、自分がパパになり

闇の時代の話は、機会があればお話します。(笑)


闇を抜け、僕もパパになった時、僕の気持ちは子供第一に変わります。

僕の幼少期の思い出や、経験を子供達には絶対させたくなかったからです。

本編で何故、妻にここまでされてるのに、よく我慢してるなと感じた方もいるかと思います。


それは、

一人親にはさせたくなかった

同じ苦しみ、寂しさを経験して欲しくなかった


この想いが、1番の理由だったからです…。


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子供の頃の寂しさを経験してるからこそ

なぜ僕が番外編を書いたか。

それは今、時代が変わり、共働きが当たり前になり、男女平等の中、男も女も一人の人として働く、キャリアアップ出来る時代に変化したからこそ、伝えたいことがあったからです。


これは夫婦の片方だけに伝えたいわけではありません。


夫婦であるなら


〇〇だからではなく、お互いが意識をして子供に向き合って欲しいからです。


生きていくにはお金を稼がないといけない

自分のやりたい夢があるから

自分の時間が欲しい


様々な思いが、夫婦お互いにあると思います。その中で、お互いがお互いを尊敬し、協力しあえる関係を築いて欲しいからです。


しかし、現状は違っており、一方的に相手を責め、まるで自分が被害者であるとアピールする、便乗してパートナーの悪口を言う。

そういったことが目立ち、とても残念で仕方ありません。


私は自分の名前を変えた。子供を産み身体に負担が掛かり変化したのに。自分の夢も諦めた。諦めてばかりの人生なの。

俺は家族のために自分のしたいことは諦めてる。欲しい物や、乗りたい車も諦めた。何のために働いているかわからない。


その言葉を自分の子供が聞いたらどう思うのでしょうか…

自分の親から聞かされたら、あなたはどう感じるのでしょうか。


自分のやりたいことや、自由を求め過ぎて、何か大切なところを置き去りにしていませんか??

もう一度立ち止まり、子供達の立場に自分を置き替えてみて考えて下さい。


子供5

自分が共働きの家庭で育っていなければ


もし自分自身が共働きの家庭環境の中で育っていなければ尚更です。

自分が経験したことが無い気持ちを、わかることが出来るでしょうか。


時代が変わり、前例が少ない中、今が初めての経験を子供たちにさせているのが現実であるならば、


子供達の本当の気持ちは、どこに向けばいいのでしょうか…


大変な状況、納得のいける状況でないのも痛いほどわかります。

でも、そこに、

自分の欲や、自分本位な気持ちを優先するのではなく、


「我が子の気持ちを、何よりも優先し、大切に考える」


僕が経験したからこそ、子供目線の気持ちや考え方を頭の片隅にでも置いて欲しかったのです。


子供と過ごせる時間は人生の中でもホントに僅かな時間です。

後悔のないように家族の時間を、夫婦で共有して欲しいと思うから…


これからも子供を全力で愛して下さい。


そして幸せな家庭を築いて下さい。



番外編  ~完~


番外編を最後まで読んで頂きましてありがとうございました。

あくまでも僕個人の考えです。

誰かを否定したい訳でもありません。


不快な思いをさせてしまいました事がありましたら、この場を借りて、心から謝罪申し上げます。

今後とも、パパんがパパを宜しくお願い致します。

本編も宜しくね♪(笑)

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