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他者との会話によって自分自身を知ろうとする

 先日、会社を立ち上げた際のほぼ最初のクライアントになってくださった社長と2年振りくらいの飲みに行った。

 私よりも少し若く、10数年前に自分ではじめた事業を確実に成長させてきた方だ。もちろん、リスペクトしている。これまで仕事を通じて、忌憚のない付き合いをしてきたこともあって、ずいぶん間が空いていても遠慮なく話ができる。

 なぜ、2年振りにお会いしたかというと、近況を知りたかったというのはもちろんこと、自分自身の立ち位置を相対的に測りたかったのが理由だった。会社立ち上げ間もない時期に、時間をともにしてくださり、それ以降接点は少なくなったが並走する感じを保っている。

 だから、彼の人の状況、歩みを聞けば、自分自身の歩みが足りている、足りていないの判断ができるような感覚があるのだ。彼の人が前に進んでいると感じられれば、私ももう少し頑張らねばと思う。

 もちろん、相手から直接的なフィードバックが寄せられることもある。こちらの差分を明確に感覚的に教えてくれる。

 自分で自分の差分を把握するのは、意外と難しい。自分をどこまで客観的に見れるか。自分の頭の中だけ捉えるのは難しい。自分の外に自分自身を何らかの形で外在化して、比較するか、別の手段が必要になる。その別の手段が、他者との会話によって自分自身を知ろうとすることだ。

 私にとってこうした人物の数は少ないが、自分の中で定めていて定期的に会わせて頂いている。今回も彼に快く会話を引き受けてもらって、とても感謝している。2年振りの会話を彼も楽しんでくれたようだった。

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