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「勘が良い」とは、「捉えるべき他者とは誰なのか」が見えているということ。

 適切なタイミングで、適切な行為やアウトプットを生み出す、このケイパビリティはどこから来るのか考えてみたい。いわゆる「勘が良い」とか「筋やセンスが良い」という言葉が当てはまりそうだ。

 結論から書くと「誰が見えているか」に依るのだろうと思う。私達の仕事は常に誰かがいて成り立つ。それはチームメンバー、同僚であるし、顧客やユーザーも勿論範疇に入る。上司や関係者といった外周の人たちもいる。まとめていうと自分以外の他者であり、彼・彼女たちが見えているか、ということになる。

 他者の存在が見えているか、さらには彼・彼女たちが何を思い描いているかをどこまで見て取っているか、だ。まずもって、あなたとすでに共有しているつもりでいる「目指したいゴール」(明示的な期待)がある。さらには密かに抱えている「暗黙的な期待」もありえる。

 こうした顕在的、暗黙的な「期待」を捉え、勘案の材料として扱えていなければ、自分が出すアウトプットはどれも的外れになりかねない。それが、企画案だろうと、プロジェクトの計画だろうと、開発機能の候補だろうと。何にでも当てはまる話だ。その割には、「そもそも捉えるべき他者とは誰なのか?」が見えていないまま仕事を手掛けているところを見かける。

 というと、「(他者とは誰かを含め)他者の期待を捉えることに注力しよう」となるかもしれないが、単に話を聞いて回れば良いわけでもない。ベースとなる対話は言うまでもなく必要だが、聞いて回る、お話することが目的ではない。
 ある程度の情報を得たところで仮説を立てる、それを何らかのアウトプットで表現する(紙ペラ1-2枚とかmiro上の簡単な図解で構わない)。そのアウトプットをもとに、次の対話を始めるようにする。
 このとき、勿論、アウトプットの完成度を高めていく時間などない。ここで期待合わせのアウトプットに時間を費やしているようだと、適時性が損なわれる。

 理解を形にあらわして、合っている合っていない、合ってそう、合ってないところはどこ?の会話をとっとと進めて、理解のアップデートを早期にかつ確実に得ることを姿勢としよう。相手から聞いて理解をあわせようとするのではなく、自分から出して理解をあわせるようにする。
 結局、「捉えるべき期待」と言ったところで、そもそも本人もぼんやりとしていたり、定かでなかったりすることも多い。そうした状況で、相手から正解を聞き出そうとする姿勢を取っても、徒労に終わってしまう。きっと居心地の悪い雰囲気になっていくだろう。
 だから、すでにある正解を探そうとするのではなく、共通の理解を作ろうとすることに焦点を置きたい。つまり、お互いにいま理解していることはこういうことですよね、を表出して、両者でもって掘り下げていくようにする。
(だから、インセプションデッキが必要なのだよね、といういつもの話に辿り着く。ところが、とにかくデッキを作れば良いのねという展開に転じやすいので、なぜなにの解像度を上げるべく、この話を書いている)

 なお、この話は実は前段と後段があり、他者云々の前に、自分自身が何を知っていて、どこからは分かっていないか。今何が優先なのか、どれがトレードオフの対象なのか、といった自分自身についての理解をはっきりさせておきたい。自分自身のことが分からないまま、他者に向き合おうとしても混乱を招きやすい。

 また、自分と他者の理解の先には、誰もまだ分かっていない領域がある。こここそ、みんなで仮説を立て検証するところになる。本当の意味での探索が始まる。


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