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「誰もいない開発」と「おまとめしておきました開発」

 世の中の受発注によるソフトウェア開発には、両極端がある。一つは、「誰もいない開発」。もう一つは、「おまとめしておきました開発」

全員集合なのに「誰もいない開発」

 「誰もいない開発」は、プロジェクトや開発の進め方をどうしていくべきか、誰一人考えられていない状況のこと。いろいろと「こうすべし」「ここが課題だ」と意見だけは出てくるが、主体的な行動が取られることは無い。

 業を煮やした発注側の指摘も、受注側のテコ入れ人材の指摘も、会議で波紋は呼ぶが、少し揺れて消えていく。いずれにしても、行動に落ちていかないため、言葉として宙をしばらく漂うだけ。「前回のあれどうなった?」で場には、再び波紋が広がるが、大した結果には繋がらない。

 結局は身をもって引っ張っていくような人物が出てくるまで、状況は変わらない。どれだけ発言があったとしても、行動に落とし込むまでは。言葉だけ重ねても状況は一歩も進んでいかない。

 おそらく、そこに居る誰もがこう思っているはず。

「誰か、早くこの場を仕切ってくれよ(もちろん自分ではない誰かが)」

 つまり、メンバー、関係者は揃いに揃っているけども、プロジェクトには誰も居ない。何が起きているのか? 何も起きていないのだ。そのプロジェクトには、向き合うべき問いかけが足りていない。われわれはなぜここにいるのか? そして自分は何者なのか? プロジェクトは、実はまだ始まってすらいない。

ご安心下さい「おまとめしておきました開発」

 もう一つ、おまとめしておきました開発は全くの逆で、受注側がすべてを先回りして、やるべきこと、つくるべきことの議論と意思決定と結果をお膳立てする開発のこと。

 発注側に、開発の知見がない、さらには要件を取りまとめる能力が足りていない、もっと言うと業務を知らない場合に、その状況が続いていった先で、発生しうる開発。

 「続いていった先」というのがポイントで、繰り返し直面する「おいおい、どうしよう、全然進まないし、このまま行ったらナチュラルに業火に焼かれるだけだぞ」を何とかしよう、プロジェクトの炎上だけは避けよう、という問題解決のアプローチの結果として到達する境地。

 こういう開発は、御前会議のようになる。話が早く、そして、受注側が適切な能力を持っていると、意外と上手くいく。いや、上手く行き過ぎてしまう。

 さて、誰もいない開発、おまとめしておきました開発、いずれもダメなのは分かるとして、よりダメなのはどちらだろう。おまとめしておきました開発は、誰もいない開発よりも結果が出る。では、御前会議のほうがまだマシだろうか。

 違う。後者は、本来発注側が事業会社として判断するべきところ、つまり事業会社として意思決定に悩まなければならないところ、悩むことで鍛えられるところまで、奪う形になる。一見何もかも上手く行っているように見える、思えるが、その実、組織としての能力は高まっていかない、そのことに気づきさえできない。

 相対的に、価値の高くない、ノンコア業務、システムであれば、おまとめしておきました開発も悪い選択肢ではない。組織の作戦としては普通にありえる。だから、どこで適用するかを問わなければならない。

 2者択一ならば、私はまだ前者の方が可能性があると思っている。前者は、「上手く行っていない」という分かりやすい情報がその場に展開される。どうにかしないといけないと悩める機会、つまりは学びの機会が生まれる。くれぐれも、開発を「大本営発表」を聞くだけの場に仕立ててはいけない。

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