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配られたカードは自分で引き寄せたもの

 これまでの仕事をふと思い返したときがあった。はからずも、それぞれの仕事が自分にとってどういう意味だったのか、ふりかえる。その時、唐突に一つの言葉を思い出した。それが、

"you play with the cards you're dealt."

だった。

 「配られたカードで勝負する」、昔聞いたときは違うと感じた。カードがダメなら、全部捨てる、自分で好きなカードを引っ張ってくる、そうあるべきだと思った。

 事実、そういうつもりで仕事をしてきたところがある。ところが、冒頭の棚卸しをしたときに、違った感覚を得たのだった。自分は果たして、思い通りに選択してきたとどれだけ言えるだろうか、と。

 ほとんど言えない気もしたし、それでいて振り回されてきたというわけでもなかった。当時とは違って、後から考えるとその仕事には意味があったと思える。

 自分の思い違いに気が付き、そして、あの言葉を思い出したのだ。結果的に配られたカードで勝負をしてきたし、その当時は意味が分からなかったとしても、こうして後から理解することができる。

 仕事の話を聞いたとき、「もっと筋の良いプロジェクトに行きたい、こういうんじゃない、自分の活躍する場所はきっと他にもあるはずだ」とか、思いたくなるかもしれない。

 だが、いま、自分の目の前に来た仕事は偶然とはいえない。自分のそれまでの振る舞い、発信、人との関係性、他者の自分に対する理解でもって現れたものと捉えると、来るべくして来たと言える。自分自身を映し出す鏡のようなところがある。

 配られたカードは自分で引き寄せたものなのだ。それをどう捉えるかも自分自身にかかっている。 

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