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自分は何をする者なのか

 先日、2つのカンファレンスがあった。エンジニアリング組織に関するカンファレンスと、プロダクトマネジメントに関するカンファレンスの2つ。いずれにも登壇させて頂き、それぞれの領域での熱気を味わうことができた。

 前者のカンファレンスを終えて、相談に来た人からこんな質問をもらった。

「プロダクトとして何を作るべきかを探索するために仮説検証などをやりたいが、プロダクトオーナー(プロダクトの企画者的存在)をどう促せば良いか悩んでいる」

 これまでのプロダクト開発の在り方を見直したいが、いわゆる事業を預かる側に開発者としてどう関わっていけば良いのか、という内容だった。

 後者のカンファレンスでも、別の質問をもらった(もちろん先の質問者の所属とは異なる)。

「プロダクトオーナーとして仮説検証を進めていきたいが、どうやって開発チームを巻き込めば良いだろうか」

 こちらは逆に、プロダクトオーナー側からの相談だ。開発チームは「つくる」ということにフォーカスして活動している。そういう役割の人達に「何を作るべきか」を探索する活動に巻き込み、一緒に考えていきたいと思っているが、本来の役割から考えると二の足を踏んでしまう。

 つまり、お互いがプロダクト作りを行う上で巻き込みたいと考えている。だが、役割からの認識からいくと、巻き込みには躊躇が働く。これは、ちょうど最近考えていた問題意識と一致する出来事だった。それは、役割定義と専門性は分けたほうが良いのではないか?ということだ。

 専門性は仕事を進め、結果を出すためには不可欠だ。プログラミングやデザイン、マネジメント。自分の志向にあわせて、専門性をいかに磨いていくかは強い関心事になる。そのこと自体は何も問題はない。

 通常、専門性と役割は不可分で捉えられる。プログラミングが専門性なので役割はプログラマーである、デザインが専門性なので役割はデザイナーである、と。たぶん、何の違和感もないだろう。

 役割を定義したその瞬間から、相手への期待、果たす責務のイメージがおおよそ固まることになる。プログラマーといえばこういう存在である、と過去の経験から認識する。

 それぞれの役割を組み合わせることで結果が出る仕事や状況であれば、これで何も問題はない。だが、あらかじめ決めた役割定義や「いつもの認識」では、手にあまるような状況がある。それが、カンファレンスの質問者が挙げた内容だ。互いが当たり前のように持っている役割の認識を越えて、取り組む必要がある。この場合、役割定義や認識が強固であればあるほど、難易度は高くなる。

 プログラミングという専門性を持ちながら、プログラマーというラベルを用いず、チームの中で活動していくとしたら。自分のミッションや振る舞いをどう言語化し、チームメンバーに自分自身のことを何と表現するだろうか。そこで、向き合う問いが浮かんでくる。自分は何をする者なのか? と。

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