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「正しいものを正しくつくる」とはどういうことか

 この1、2週間ほど「正しいものを正しくつくる」について、新たにどう語るのか考え続けており、なかなかまとまらず苦労した(ここで話す内容)。

 発刊から数年が経過しているが、中身について大きなアップデートが必要なわけではない。どちらかというとこの数年で追加で表現してきたことはアディショナルな内容である。それゆえに、改めてどこに焦点を置いて、「正しいものを正しくつくる」に言及するかは思っていたより厄介なことだった。

 出来ればアディショナルな内容を寄せ集めて語るよりは、「正しいものを正しくつくるとはどういうことなのか?」をより本質的に捉えられるものにしたい。発刊当初から「正しさ」という言葉に寄せられる疑念は少なくなく、何度かその書名の補足をしなければならないことがあった。

 「正しいものを正しくつくる」とは何か?
 これまでも数多く語ってきた切り口ではあるが、あらためてこの問いに向き合い、その回答を再構築することにした。より腹落ちがする、視座がもたらされるか。もちろん、難しいお題だ。

 幸いにして、この数年で私のほうも語彙は広がっている。結局のところ、事業やプロダクト作りにおいて、「正しいものを正しくつくる」とは何をすることなのか。それは「整合を取る」ということだ。

 肝心なのは、左に何を置き、右には何を置いて、何と何の整合を取るのかだ。「仕様」と「ソフトウェア」だろうか?

 左右が整合したところに「価値」が生み出される。「仕様」と「ソフトウェア」の整合から生み出される価値は、みなさんのチームや組織にとって期待する成果なのかどうか。それは取り組む仕事と視座に依る。この左右の置き方が間違っているわけではない。

 このあたりに「正しさ」の手がかりがある。つまり、何をもって「正しい」とするか自体を自分たちで決めなければならない。先の図で行けば、左側の「整合先」ここに何を置くのか。そして、もし左側に置いたことと、右側で取り組んでいることの間に不整合があるようであれば、それは「正しくない」とみるだろう。

 といった具合で、「整合を取る」ということに徹底的に向き合って、「正しいものを正しくつくる」を解剖し直したい。水曜日に話すことは、「現時点での」私の回答となる。きっと、これから先もこの問いに向き合っていくことだろう。


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