キャノンボールふたたび

ふと思えば、このバンドで音源を作ろうとしたきっかけは、色々なことで行き詰まってしまった状況で、人生があまりに八方塞がりで、体調も精神状態も悪くて。普通に考えるとよせばいいのに、あれは一体どうしてやろうと思ったのか、ちょっと思い出せない。

あのときのよくわからない情熱は、一体なんだったのだろう。

今日、母校の少し規模の大きなOB会があって、キャンパスの空気を吸って。ああ、いまのおれがもやもやと抱える憂鬱さって、あの頃と全然変わんねーんだなとか思ったりして。

先日、楽曲「地球ライダーズ」のモデルであるみつひろメンバーから、「斜に構えずに、顔を上げて、堂々と王道を目指して生きると良い」と言葉をかけてもらったことが、思い出されるのです。

そう、憂鬱な人生を歩むのは、もうそろそろやめようと思っているんです。

心配しても晴れ晴れとしても、結果が変わらないなら、晴れ晴れとしたらいいじゃない。

いや、むしろ晴れ晴れとしていた方が結果はついてくるんじゃない?

そんなふうに思うことが、私にとっては太陽が西から昇るのと同じくらいの、大逆転なのです。

うっすらと思い出すと、レコーディングして音源を発表しようと始めたのは、これからは好きなことをやろうという決意の表明だったんです。

好きなことや、得意なことに素直にスタンスを取りながら、目の前にいる人が困っていること、抱えている課題に何か力になれないかなと自然と考えられる人。そこから始まるプロジェクトの困難さが、押し付けられた義務ではなく自分が選んだ選択で、ひとつひとつのプロセスの積み上げは、仕事のようでもあり、修行のようでもあり、遊びのようでもある。

それが、あのとき理想に描いた「円い生き方」ってやつじゃないのかい?

まあ、こうやって理屈っぽく語っているうちは、まだまだなのかもしれないけど。

このnoteを書き始めたとき、「僕は死ぬように生きていたくない」という歌詞を引用した。

いまは、同じ曲でも、「そこに愛がある故に。僕は行こう」の言葉が刺さる。

そこに愛があることが、あたたかみが、感じられる気がすることを、自分を信じて、やってみたい。

夢を見て、かなえたっていい。

痛い、痛い、痛い。そりゃそうだよ、当然痛い。でも、本当の冒険を見たい、見たい、見たい。

という、別の曲の歌詞も、頭の中で響いてきたりする。

ううむ、どうしても、しめっぽい文章になって、いかん。

けど、まあ、そういう気分なんです。

セカンドアルバムの制作は、そんなにサクサク進んではいないけど、一曲作って、できて、その底抜けな明るさにやっぱり、手応えがあって。

次回作は、馬鹿みたいに明るくて、聞いた人が幸せになる音楽を作りたい。そんなふうに考えている。

(ようへい)



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