写真の上達とは
写真を始めた頃は、いろんなルールに縛られています。
絞りはいくつ、構図はポイントを三分割ラインに置いて、ホワイトバランスは少し青めにしたほうが「やった感」がでるかな、露出は白を飛ばさないように気を付けて…。
いろんなことに縛られながら撮り始めます。
だってそうしないと撮れないから。
基礎をひと通り身に付け、ある程度撮れるようになってくると、その縛りは高度なことに移行していきます。
露出や構図といった具体的なことから、ビジョンや美意識といった抽象的なことへ。
いかに自分のビジョンを体現した写真を撮るか。
そこにポイントが移行します。
撮り方に工夫を凝らし、現像処理を何度も調整し、自らの求める絵に近づこうとします。
写真の上達とは、いかに崇高なビジョンを持つか、そしていかにそれを忠実に体現するか。
そういうことになっていきます。
それは「求心力」という力の働き方です。
「縛る」とは、「ギュッとまとめる」という力の働きです。
それが生み出す結果は、「到達」「達成」「成就」。
そういうものです。
力み、頑張りの成果です。
自然の摂理に従うなら、次に進むのは「解放」という動きです。
まとまったものが、解けていく段階です。
力み、頑張りが弛んでいき、力が抜けていく段階です。
「別に白が飛んでもいいし、多少構図がズレても構わない」
縛りは一種の緊張感をともないますが、解放の段階では、その緊張感がどんどん弛んでいきます。
縛りからの解放。
それはすなわち「自由」です。
「自由に撮る」とは、「好きなように撮る」とは違います。
好きなものを好きなように撮るとは、違います。
自由に撮るとは、縛られていない、ということです。
つまり、好きじゃないものを好きじゃないようにも撮れるのです。(笑)
上達とは、自由です。
縛りからの、解放。
「どうしなくちゃいけない」「どうであるべき」からの解放。
撮り方からの解放、機材からの解放、そして美意識からの解放。
求心力が臨界に達し崩壊すると、弛緩し、拡散し、最終的には無に帰します。
無からやってきたものが、また無に帰ります。
右も左もわからない、まるっきりの初心者だった「無」から始まった我々の旅は、また無に還っていきました。
上達の最終段階、「無」へと至った人は、まるで初心者のように撮ることでしょう。
露出もルーズ、構図もアバウト。
「君なにもわかっていないね」
きっと初心者の人にも言われてしまうことでしょう。(笑)
では初心者の人と何が違うのでしょう。
きっとその人は、初心者の人に向かってこう言うでしょう。
「君の写真は素晴らしいね」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?