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ゴミ人間 ~日本中から笑われた夢がある~

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山に登って絶望を見た

えんとつ町は煙突だらけ。
そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。
黒い煙でモックモク。
えんとつ町に住む人は、青い空を知りません。
輝く星を知りません。

『映画 えんとつ町のプペル』はこんな言葉から始まります。

「えんとつ町」は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会。
この本を手に取る方の中には、現在進行形で、叩かれて、夢を殺されそうになっている人がいるかもしれません。この本はそんな方に向けて書かれています。この本は、今にも灯が消されてしまいそうな人に寄り添い、励ますことを目的とした文章でした。

著者である、キングコング 西野亮廣さんは、25歳の頃に同世代の誰よりも早く山を登ったといいます。生活もよくなり、日本中どこに行ってもチヤホヤされていたそうです。しかし、その山頂から見た景色は絶望的なものでした。「競争に参加した時点で負けが決定している」と気付かされたのです。

いいソフトを開発すればするほど、ハードにポイントが入ります。
結果を出せば多くの人が喜んでくれるので、ここはついつい見落としてしまいます。
「どこで結果を出すか?」を問い続けることが大切で、「一番」を目指すならば、競争に参加する(ソフト)のではなく、競争を作る側(ハード)にならなければなりません。

西野さんは昔から、「目的を達成するために何をするべきか?」を考えるのではなく、「何をしたら確実に目的を達成できないか?」をリストアップするようにしているそうです。「報われる努力」に巡り合えるかどうかは「運」が絡んでくるのでコントロールできませんが、「報われない努力」を排除することには「運」が絡んでこないので、コントロール可能だからです。ある問題に直面した時、「自分がコントロールできないこと」と「自分がコントロールできること」を明らかにしておくと、無駄な迷いが消えるのでオススメです。

誰にでも才能の種はあって、大切なのは「その種をどこに植えるか」。
その場所を教えてくれるのが「努力」の役割です。

育児放棄をした過去

どれだけ素晴らしい作品を作ったとしても、それがお客さんに届いていなければ、作ったこととしてカウントされません。これは、すべての作品(サービス)に共通する不変の理です。

「作る」とは何か?
「完成」とは何か?

西野さんは、「作る」という言葉の意味を再定義し、制作物がお客さんの手に届いた地点を「完成」と呼ぶことにしました。
すると、今まで取り扱っていたものが全て「未完成品」になりました。
お客さんに届ける仕事を、吉本興業や出版社に任せていたからです。

「売る作業」に参加すると、必ず「お金」の話が絡んできます。
お金教育を受けてこなかったので、お金の話をする大人を「卑しい人」として捉えてしまっていたのです。

しかし、ある時気が付きます。

「作るだけ作って、売ることは他人に任せている」というのはクリエイターのあるべき姿のようですが、実際のところは「育児放棄」なのだと。

子供が一人で生きていけるようになるまで育て上げる。
それが親の務めです。

巡り巡る物語

エピソードとして面白味のある努力しか世の中に発信されないのは、仕方がないのですが、実際のところ、挑戦の現場は「面白みのない努力」だらけです。
「面白みのない努力」の連続で、それによって生まれるエピソードもありません。ですから、「またダメだった」と考えるのをやめて、「なるほど。このやり方では効果が出ないんだな。」と考えるようになりました。そんな調子で、溺れかけながらバタ足を続けていると、時々、岩場に足がつく瞬間があります。

2013年1月、1か月後にニューヨークで個展を開催することを決めたものの、肝心の「予算」がないという状況で、「クラウドファンディング」に出会います。

人はいつも、自分が知らないものを嫌います。
調べようともしません。

そんな状況なので、ツイッターで呼びかけたところで、誰からも相手にされません。どれだけ網を投げてもスルーされるので、一人ずつ「モリ」で突き刺す方法にシフトし、その作業を繰り返しました。
朝から晩までツイッターにへばりついて、2週間で700名以上の方とやり取りをし、585名の方から531万1100円の支援を獲得します。

「1か月後にニューヨークで個展を開催する」というデタラメな挑戦は、決して数字だけではない大きな成果を上げ、幕を下ろしました。
メディアで報じられるときは、どうしてもスマートな部分だけが抽出されてしまいますが、裏側は「ドブ板営業」の積み重ねです。

『映画 えんとつ町のプペル』の製作総指揮を務める覚悟

海に最初に飛び込む勇敢な「ファーストペンギン」は、実は後ろからグイグイ迫ってくる他のペンギンたちに押し出される形で海に落っこちているそうです。
「リーダー」の成り立ちもそれとよく似ています。リーダーはもともと「チームを束ねる力」を持ち合わせているわけではありません。チームを束ねる立場になってから、必要に迫られて「チームを束ねる力」を手にします。

西野さんが、リーダーであるために心がけているのは次2つ。

①全員の意見に耳を傾けて、最後は独裁する
②正解を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする

リーダーがやってはいけない(もっとも無責任な)仕事は「多数決」です。
「多数決」で決めてしまえば、その判断が悪い方向に進んだとしても、リーダーには「決めたのは君たちじゃないか」という言い訳が残ります。
責任を負わないリーダーなど必要ありません。
全員が反対しようとも、結果的に全員を守れるのであれば、反対意見を押し通すのがリーダーの仕事です。

そして、もう一つ。
「誰もやったことのない挑戦」には正解がありません。
右に進もうが、左に進もうが、成功も失敗もあり得ます。
迷ったところで正解などないので、「リーダーは選んだ道を正解にする」しかありません。選んだ道を正解にする為の施策をすべて打つのがリーダーの仕事です。

いつも始まりは素人でした。
「ヘタクソなことぐらいわかっている。それでも何とかする。」という挑戦を繰り返し、その姿勢を応援していただき、ここまでやってきました。

そもそも『えんとつ町のプペル』を、お前以外の誰が書けるんだ。
お前の物語だろ。
大きな夢を語って、日本中から迫害されたお前の物語だろ。
それをお前が語らなくてどうするんだ。

自問自答を繰り返し、覚悟を決め、脚本を書くことに専念して「餅は餅屋」と育児を放棄しようとしていた西野さんは、『映画 えんとつ町のプペル』の製作総指揮を務めることにしました。

ファンとは何か

世界の理は「弱肉強食」ではなく、「適者生存」です。いつの世も、環境に適したものが生き残っています。そんな中、変化することを認めない人たちを「ファン」として、その人たちのリクエストに応えてしまうと、時代の変化とともにすべてが終わってしまいます。

「顧客」とは、サービスを買ってくれる人で、
「ファン」とは、サービスの提供者を応援してくれる人で、
「ファンだった人」とは、サービス提供者を私物化する人です。

今回のコロナウィルスで、餌食になったのは、「顧客」と「ファンだった人」で回している人たちでした。何がってもサービスを提供し続けたいならば、「ファン」を作らなければいけません。

そのために、「お金」を学び、「広告」を学び、「集客」を学ぶ。

お金の勉強をすると「銭ゲバ」と言われる。
広告の勉強をすると「クオリティーを後回しにしている」と言われる。
集客の勉強をすると「商売人」と笑われる。

人は、圧倒的な結果を創出する力を「才能」と呼ぶ。
「才能」は生まれ持ったものでも何でもなく、「挑戦した数」です。
挑戦し、そこで背負った想いや傷の集合体が「才能」なのです。
我々にはそれがあるでしょうか?持ち合わせていないのならば怯まず、今すぐ手に入れに行きましょう。

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