82日目 涙の理由

この週末はすっかりオリンピックに夢中になり、やや寝不足気味である。
普段のスポーツ観戦といえばもっぱらプロ野球、たまにサッカー代表戦ぐらいの私にとって、さまざまなスポーツをじっくり観戦することができるオリンピックという舞台は大きな価値がある。
始まった途端に見入ってしまう、世にいう「にわか」まっしぐらのスポーツファンである。

昨夜、日本中を大きく話題に包んだのは、柔道・阿部兄妹だった。
3年前の東京オリンピックで、史上初の兄妹同日金メダルという快挙を成し遂げ、一躍時の人となった二人。
このパリオリンピックが近づくにつれ、たくさんの特集番組が組まれる中で、二人の注目度はとてつもなく高かった。
「あなたの期待するアスリートは?」「注目する競技は?」
そんなアンケートで、何度も阿部兄妹の名前が挙がっていた。
少しキツイ言い方かもしれないが、取り上げるメディアからしてみれば、強さとビジュアルの良さを兼ね備え、兄妹アスリートいう話題性は格好の材料になる。
二人のストーリーは、日本全体を大きく動かす力を持っていた。

そして、迎えた結末。
私は諸用を終えて帰宅し、妹の阿部詩選手が敗退したことをニュースで知った。
実際の試合映像を見たのは、それからもうしばらく経ってからだ。
泣き崩れる映像を見た私は、言葉を失ってしまった。
あれほどまでに泣き崩れている人を、未だかつて見たことがないとさえ思った。
それと同時に、とめどなく涙が溢れてきた。

「相手へのリスペクトがない」
「進行を遅らせている」
「いくらなんでも泣きすぎ」
そんな言葉がニュースサイトにたくさん投稿されているのを見たのは、深夜になってからだ。
私は、涙で咽びかえる姿が人々の心を打たないこと、批判の対象になってしまうことはあり得るだろうと思っていた。
だが、私自身は、あの涙を批判も否定もする気になれない。
もちろん、にわかスポーツファンとして、そんな立場ですらないことは確かだ。
それよりも、あの涙の理由に対して、たくさんの思いがよぎったからだ。

「強くない」「幼い」「まだ子ども」
詩選手の弱さを説明する言葉ではあれど、私はあの涙に、人の抱えている思いの強さや脆さ、儚さなど、さまざまな感情を覚えてしまった。
一体どれほどの生き方をすれば、あのように涙が流せるのだろうか。
涙の理由を想像すればするほど、自分自身も心を揺さぶられてしまった。

開幕前から、メディアを賑わせ続けていた兄妹。
このストーリーも、また多くのメディアに取り上げられていくのだろう。
どんな未来を歩んで行くとしても、過去は変えられない歴史として刻まれていく。
私もこの日感じた想いを忘れないでいたい。
そうしてまた、新たなストーリーが紡がれていくたびに、いちスポーツファンとして
輝きを放つ人のことを、応援できる自分でありたいと思う。


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