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とつぜん、わかる

突然意味が分かることがある。「まさにそれです」に遭遇した時のうれしさ、高揚感はいいすぎか、でもなんかちょっとわかってしまったような、そういう気持ちになる。

「踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損々」

あるときいろいろ考えていて、私はとにかく不安が強いタイプなんだと気づきました。不安ありきで物事を考えている。不安になったらいやだから、先に不安になっておくのである。予測できない不安よりは、いまここで自分の意志で不安になっておいた方が気が楽、と思っている節がある。たとえば赤ちゃんを育てている時、病気になったらどうしよう?と考えたりするのもそう。まだ病気になっていないのに、不安になっておく。それで対策をとったり、知識を増やしたりする行動につながればよいが、別にそういうわけではない。というかそこは繋がっていない。必要な対策はするし、知識も付けるし、それが育児だとは思うが、それで病気になるかもしれないという不安が消えることはない。とりあえず、怖いことが起こる不安に備えて、先に、自分の意志で不安になっておくのだ。
見る阿呆のほうである。特に何も起こっていないのに、あーだこーだ言っているだけで、なにもしない。

ワクワクが強い人間になりたい。ワクワクする方向に進んで行ける人に憧れている。そういう人は行動力がすごくて、パワフルだ。自分とは無縁の性質を持つ人間たちだと思っていた。

しかし気づいたのです。そういう人たちは、不安ではなく楽しそうと思うほうに自分の意志で進んでいってるということ。楽しそうだから、やってみよう。面白いことになりそう。こうなりたいから、もうなっちゃおう。ただそうしたいからそうしているだけらしい。私と同じだ。怖くてどうしようもないから、先に不安になっておこうと、そうしたいからそうしている。

不安に対してか、ワクワクに対してか、それが違うだけで、やっていることは同じなのだ。そうしちゃう。まだ起こっていないことに対して、つよく引っ張られているところが同じなのだ。何に引っ張られているかが真逆なだけで。

じゃあ、それならワクワクに引っ張られて、ワクワクの方に進んだ方がいいじゃん。絶対そっちが楽しいじゃん。どうせなら、踊った方が、良い。


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