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BIGYUKI LAB 2022 JAPAN TOUR

BIGYUKI LAB

BIGYUKIのLABツアー。今回間近で観る機会を数回経て、どう進化し、深化しているかを書いていく。

まず指について。
BIGYUKIのキーボード、またピアノへのタッチは、基本的にロマン派以降の演奏に長けた演奏法、すなわち指を長く伸ばし、指先で鍵盤をキャッチする。こうすることで、アルペジオや高速のトリル、フレーズの際の鍵盤の保持がなされ、息の長いcantabileな演奏を可能とする。左手のベースラインの天才さは、利き手が左ということもあるが、非常に強靭でかつ、バネのある演奏である。
両手のアルペジオなどは手を伸ばし、しかし左手だけでのベースラインの際は、関節や指先を立てて、垂直におろしていく。この打楽器的なアプローチによって、パフォーマンスのエネルギーを増幅し、曲のクライマックスを描いていく。また、左手の役割は、ドラムマシン、ベースを担当し、右左を分離する際は一人で、そのリズムセクションならびに、トラックを生み出していく。

演奏の多様性
BIGYUKIはこういう演奏家、と一言で言い表わすことが難しい多様性に満ちている。
ピアノソロもそのダイナミクスレンジや表現の幅はクラシック的なアプローチから、SP404的なアプローチまで非常に多彩である。自らコーラスやルーパーをかけ、その音の素材をミックスし、生音と重ね合わせていく。
その際の和声の感覚は、まさに宇宙で、レイヤードする音の素材を吟味し、描くように和声を重ねていく、メロディアスな表現の裏に実は高度な和声の感覚、時に直感的にしかしながら厳格な理論に基づいた自由さで奏でる姿が印象的である。

進化する楽曲
また、BIGYUKIはライブを経て進化する。今回のLABに向けてはニューヨークの日々、特にオーディエンスとの対話によって磨かれ、変化した軌跡を実感した。ボコーダーを使用する事で広がるボーカルの地平線、ルーパー、ミキサー、コーラスなどPAを自身でかけながら、トラックを生み出し、ローズや鍵盤、ピアノを重ねるシーン、そこからの純粋なピアノソロは、1時間のセットを多彩にかつ、縦横無尽に駆け巡る。オリジナル曲、レッドピルは足元のリストにAfro Blueと書かれていた。どちらの配分が大きい、そういうことではなく、古典も自らのフレーズ、主題も今から奏でる音楽の素材として並び、重ね、命を吹き込んでいく姿は、今この瞬間にかけるエネルギーと突き動かされる感動を覚える。

最後にBIGYUKIの間について。
BIGYUKIは空間や音と音の間を、描く天才である。リズムがタイトであったり、レイドバックしたり、しかしながら全体のトータルとしてはBPMか統一されるのは、ショパンのルバートに通じる。パッと弾かない瞬間、エンディングに訪れる繊細な間、どこまでもエナジーを込めて打鍵していく隙間のない音の洪水の後の間、そのどれもが聴き手にブレスを与え、印象をより強くする。インプロに入ると、そのフレーズを歌いながら紡ぐBIGYUKI。今この瞬間に、全てを命をかけて奏でる音楽はどの瞬間も、眩しい。今回のセットの中で特に象徴的だったのが、Theiā。新しいBIGYUKIの全ての要素を網羅した曲で、多彩な音の方向性を提示したあとに、奏でられたシンセソロからのピアノソロは純然たる楽曲の美しさとBIGYUKIの音楽にかける美意識が音になり、それはまさに音の結晶、生きる希望であった。

追記
ボコーダーについて
BIGYUKIのボコーダーによるボーカルと、演奏は敬虔な祈りが感じられる。近距離で聴くと、BIGYUKI自身の声と、ボコーダーが重なる。
これまで、ほぼゲストボーカル以外は、その作品に具体的な歌詞を持たなかったBIGYUKIにとって、自身の声で自身のサウンドとともに、歌われる世界はスピリチュアルであり、クワイヤー、教会で聴くゴスペルのような印象を受けた。自身のアメリカでの日々が反映されている部分もあるのだろうか。前回横浜ビルボードで聴いた際よりも、よりしっくりとBIGYUKIが奏でる、歌に魅了された。エンディングのボコーダーはライティングと相まって、落日のような儚さとまだ、冷めない温度の変化を感じた。

次の来日はホセジェイムスとの5月。
ソロもあるのだろうか、いずれにしても常に今を追いかけたい芸術家であり、音楽家、アーティストである。

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